2008年4月11日

2008年04月11日

ヒスイの広域に渡る存在は、交易か贈与か?

😀 くまなです。
縄文時代の広域にわたる物の移動が贈与なのか、交易なのかについて、「ヒスイ」に注目して深めていきたいと思っています。
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写真は北海道美々4号遺跡の曲玉。EnjoyKoreaより。
過去、このブログでの記事には以下があります。
縄文時代の贈与・交易は寒冷化を生き延びるため?
黒曜石の広がりは、交易か贈与か?
縄文の黒曜石の流通は、交易とは似て非なるもの
縄文時代において、黒曜石やヒスイが広範囲に出土する状況について、一般的には「交易」の結果だといわれています。一方、このブログでは集団間の緊張緩和のための「贈与」の結果であるとの提起がされてきました。
「交易」と「贈与」には大きい違いがあります。
縄文人が他集団、すなわち、集団を超えた‘社会’に接したとき、どのように捉え、どう対処しようとしたのか。交易は自集団の利益のために他集団と取引(≒騙し)をしようとしたのであり、贈与は争いを避けるために友好関係を結ぼうとしたということになります。
縄文時代の物の広域移動が「贈与」である根拠は以下の2点です。
A)交易であれば一般的に考えて特定の部族間でやり取りされるはずであり、広域の広がりを説明できない。
B)自給度が高い歴史を積み重ねてきた原始共同体にとって、他の部族に自らの生活条件及び生存条件の一部を依存するという発想は極めて出てきにくい。

参照:黒曜石、翡翠の広域に渡る存在は、交易ではなく贈与の結果ではないか②
上記を念頭に置きつつも、縄文時代における物の広域移動が「贈与」であるということが出土状況等のデータから検証できないか、というのが現在の課題意識です。
この間、いろいろ調べる中で、なかなかスッキリとした答えが見えてきません。
どのような状況がハッキリすれば贈与と断定できるのか…(あるいは交易と断定できるのか…)
現時点での疑問点=解明しようとしている課題を次に示します。
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(さらに…)

投稿者 kumana : 2008年04月11日  



 
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