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2008年07月29日

縄文~現代:日本が誇る13,000年の精霊信仰

今晩は、さーねです :o 前回の縄文の精霊信仰~山岳信仰に引き続き、日本の精霊信仰に迫ってみたいと思います
同じく、原初的山岳信仰の変遷を参考にしました。
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秩父の神奈備山”武甲山”
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①山岳に登る技術も準備もできないから、山に登ると死の危険性がある(縄文時代)。
②だから、山には登らないほうが良い。
③山は死の危険を及ぼす所だから、山は恐ろしい所である。
④山には恐ろしい存在が宿っている。それは山神とみなされた。
⑤しかし、山の中には食料も取れるし、恩恵もある → 「畏敬」(縄文人の山岳信仰の最終形態)
⑥稲作の導入により、山岳は水をもたらす「恵みの山」となる(弥生時代)。
⑦山神は「恵みの神」であり、人々は山および山神を「崇敬」した。
⑧しかし、やはり山神は神聖視されるべき畏れ多い存在であるし、山は神の住まう神域である。
⑨神のテリトリーである山中には、畏れ多いから立ち入ってはいけない。
⑩そうした神観念が体系化され「聖山=神域=禁足地」という神奈備山観念が成立した(古墳時代)。
以上が、縄文から古墳時代までの山岳信仰の変遷をまとめたものです。
ここで個人的に注目したいのは、縄文人が山に登らない理由と、古墳時代の人々が山に登らない理由が全く異なっているという点です。縄文人の人たちの論理では「山に入ると危険だから入らない。山は怖い所だから神がいる」となります。一方、弥生~古墳時代の人々の論理では「山は神域だから、山に入ってはいけない」となるのです。「山に入らない」という点では一致しているのに、その理由が全然異なる所が非常に興味深い点ですね。原初的山岳信仰の変遷より

このように、縄文時代から脈々と古墳時代に至るまで、山岳信仰はその時々の生産様式と密接に関わりながら醸成されてきたのだろうと思います。
一方、人格神が登場するのは概ね弥生中期。卑弥呼が誕生した当りと考えると日本の山岳信仰の深さがわかります。
縄文草創期の始まりが約13,000年前。弥生中期は約2200年前。単純に、戦乱に巻き込まれることなく、山という自然を信仰していた歴史がかなり長い。
その証として、現在でも神奈備山として山を神聖なものとし、山の麓にある神社や寺は非常に多い。○○山○○寺とか、~の総本山などという呼び名がその表れです。(これは、アジア特有のようです)
戦乱に巻き込まれ、神や権力者が登場しても、日本の底辺には13,000年の山岳信仰=自然信仰が根強く生き続けている。多くの国が、現実の苦しみから逃れる宗教が根付いたのに対して、日本は、現実直視の山岳=自然=精霊信仰が根付いた。これは誇るべきことです。
おまけ
信仰・宗教観念の成立構造整理
このるいネットの記事は、今回紹介した山岳信仰=精霊信仰や守護神信仰,古代宗教の成立過程をわかりやすくまとめています。ぜひ、読んでみてください

投稿者 sawatan : 2008年07月29日 List  

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