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2010年05月13日

ポスト近代市場の可能性を日本史に探る~通史的まとめ(前編)

縄文ブログ会員のみなさんの協力のもと、ポスト近代市場の可能性を日本史に探るシリーズ13話が完了しました。その記事を踏まえて日本市場史から見えてきたポスト近代市場の可能性についてのまとめを2回に分けて投稿します。
●以下は序論から中世までの論考です。
○ブログ記事より( )内は担当した会員です。
序:「ポスト近代市場の可能性を日本史に探る」をはじめます(怒るでしかし~)
 
①古代市場の萌芽は贈与ネットワークにあった 前編後編(tano)
 
②古代日本外交史 ”主体的”外交への転換(ないとう)
 
③神道の広まりが租税を可能にし、市場発達の基盤を作った(ないとう)
 
④日本古代市場の魁=修験道ネットワーク(怒るでしかし~)
 
⑤宮廷サロンをつくった商人とそれを支えた受領(うらら)
 
⑥中央集権から封建制へ~武士の台頭(yoriya)
⑦中央集権から封建制へ~農民の武装化と地方市場の拡大(yoriya)
⑧中世市場をリードした「堺」の武器と茶の湯(tano)
 
○以下はるいネット掲示板での論考です。
単一民族日本が持つ特殊性と可能性について 
貴族階級の豪奢と横暴がもたらした都市難民と寺社勢力の台頭
古代日本に、中央集権国家は実現したといえるのか?
 一遍上人の登場は市場と仏教の関係を示唆している

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●ポスト近代市場の可能性を日本史に探る
世界を見渡しても、近代市場社会へと早期に脱皮することに成功したのは、西洋と日本だけである。今でこそ、BRICSなどと騒がれているが、ロシア、中国、インド、中南米において市場社会が浸透するのは容易なことではなかった。市場経済の成熟・・・この点において日本は西洋と共通性を持つ。
他方、西洋は金貸し主導で近代市場が急拡大していったのに対して、日本は国家主導の管理市場という特性を持つ。この国家主導の管理市場という特性は、所謂戦後の護送船団方式もそうだが、明治政府の「富国強兵」も国家主導であったし、江戸幕府もその出発点においては、貨幣発行権を掌中に収めた管理市場であった。
西洋発の近代市場が行き詰まりをみせ、金貸し規制(管理市場)と自然の摂理に沿った持続可能な経済システムに期待が集まる中、日本が江戸時代に生み出した独自の市場システムに注目が集まっている。江戸時代は①鎖国=管理外交と②参勤交替=超集団統合体制という2大政治システムの特徴を基盤にして①貨幣発行権を掌中に収め、金貸しの暴走を許さない国家管理型市場②自然の摂理に沿った自自給自足経済、自然循環型社会という特徴的な経済システムを構築した。
日本市場の西洋にも負けない市場の歴史的成熟と、金貸し<国家という、西洋とは違う管理市場という特異性はどのようにして生み出されたのであろうか?
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写真は今回の参考書のひとつ鬼頭宏「文明としての江戸システム」人口の歴史研究家による江戸文明についての論考。文明問題を考える上で重要な人口史研究家ならではの視点は非常に参考になった。
●弥生農耕民の従順さと縄文以来の舶来信仰が古代市場拡大の原動力
古代市場が生み出される以前、縄文時代から日本は、贈与ネットワークとして豊かな海洋物流ネットワークを構築していた。大陸から流れ着いた流入民である原日本人は、それ故に、後からやってくる流入民に対しても寛容であり、基本的に「他集団にも共認原理を適用して受け入れる」というスタンスで接してきた。それ故に、集団の間には「集団間の安定的なつながりへの期待」と一体となった「モノ」が行き交うことになる。また、縄文後期の気候変動による日本国内での集団移動も、この贈与ネットワークの拡充に拍車をかけた。
そこへ、江南地方から、朝鮮半島から、稲と鉄の先進文明を携えた渡来民が漂着し、彼らを支配階級として迎え入れることで、弥生文明へと変化し、古墳時代を経て、古代王朝文明へと社会は移行していく。この大転換期にあっても、受け入れ体質の原日本人たちは、彼らと彼らが携えてきた先進文明を基本的に拍手で迎えた。こうして、縄文的な受け入れ体質の上に、マレビト信仰そして舶来信仰が塗り重ねられる。隼人や蝦夷といった少数派の反乱はあったものの、大多数は、既に縄文時代に進んでいた定住化と縄文農耕の発展形として稲作を受け入れ、弥生人=農耕の民になっていく。稲作を受け入れた人々は、稲穂を神からの授かりものと感謝し、豊作の一部を「初穂」として返すことを当然のこととして受け入れた。こうして稲作からの上がりを基盤にした神社ネットワークが国土を統一していき、天皇制の基盤をつくる。(ただし、複数の有力豪族の緩やかなネットワークに過ぎなかったため、中国から輸入した律令制=公地公民制は定着せず、基本的には有力豪族が各地に分散的に経営する荘園ネットワークとして定着していくことになる)
また海を生活の場に選んだ部族の中からは、大陸との交易の水先案内人として、古代交易ネットワークを支える海人族(安曇族、宗像族)が台頭していった。この延長に、住吉神人や日吉神人といった神社に支えられた海運ネットワークがつくられていく。
この神社ネットワーク→荘園ネットワーク+海運ネットワークから吸い上げられた富が平安の都に集積することで、平安京は一大消費都市となる。農民たちの稀な従順さと、島国ゆえの平安故に、軍備増強の必要のなかった平安貴族は、まさに平安ゆえに豪奢への欠乏を肥大させていく。そのため国交を閉ざしていたにも関わらず、唐物を求める舶来信仰への傾斜は相変わらずであった。つまり弥生農耕民の従順さと縄文以来の舶来信仰が古代市場拡大の原動力であり、それゆえに、西洋社会に負けない市場の成熟を非西洋社会において稀に達成したのである。
日本における古代市場の成熟において、仏教教団が果たした役割は極めて大きい。金貸しの源流は初穂を起源とした米貸し=出挙に遡る。金貸しは金があって、かつ計算ができないとやりたくても出来ない。この条件を充たすのは舶来の学問を学んだ僧侶だけだった。こうして日本では神社が仏教を取り込んで行き、神仏習合の形態をとっていく。寺社は「金を返さないと来世は動物になるぞ」と脅して資金回収を行ったことが「日本霊異記」から分かる。古代の出挙は聖なる初穂を起源として、絶対返さないといけないものとされていたが、仏教はそれを悪用したともいえる。
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写真は今回の参考書のひとつ網野善彦「日本の歴史を読み直す」網野氏は左翼的な「自由」観念に拘りすぎるきらいがあり、その点は注意が必要だが、稲作農耕至上主義では見えない歴史の裏側にスポットを当てたという点ではやはり重要な歴史家である。
●日本における金貸しの原点は教団ネットワーク
平安も末期になっていくと、平安貴族の快美欠乏から農民の負担が増大するようになると、農民の反乱を治めるための地方官吏(受領)の暴走と、都市難民の増大が加速する。そして、都市難民を神人、行人として商工業の担い手にした寺社勢力はますます金融主体として活動を拡大させていく。最初に権勢を誇った延暦寺は死の商人として武器輸出にも関わっていたし、為替の変動を予測して、今で言うFX取引のはしりのようなことまでしている。鎌倉時代になると一向宗、浄土宗、禅宗といった鎌倉宗教各派が競い合うように金貸しに精を出すようになる。
西洋・イスラムでは金貸しの暴走からイスラム教・キリスト教による金貸しを卑しいものとする教えが一般化し、ユダヤ民族への差別へと発展していくが、日本では中世まで金貸しは偉い坊主のやることだったのである。
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写真は今回参考とした伊藤正敏「寺社勢力の中世」の口絵に使われている「都名所図会の比叡山延暦寺」網野氏が持ち上げすぎた無縁所の実態を丸裸にしてみせたのは伊藤氏の功績であろう。
引き続き、後編に続きます(文責:怒るでしかし~)

投稿者 staff : 2010年05月13日 List  

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コメント

力作図解、ありがとうございます♪
一神教でありながらも、他の文化をうまく取り入れ、融合させていくやり方などを見ると、どこまでも現実直視、実現思考の部族なんだなと思いました。
受容れて、加工して、真に役に立つものを生み出していく文化は、ほんと日本によく似ていますね。

投稿者 nishipa : 2010年8月7日 20:07

>非-排他的な学問追求の態度が、ギリシャを始め、バビロニア、ペルシャ、エジプト果ては中国までもの文化を吸収し、融合した。
イスラムは世界中から、当時最先端の知識を集め吸収していったのですね。その必要性がどこから来たのかが興味深いですが、交易・商業というところでしょうか?

投稿者 Hiroshi : 2010年8月7日 20:22

>このパラダイム転換に気付けば活路は見出せるのでないか?
問題は宗教イデオロギーに囚われているか?いないか?という問題になると思います。学問の年表を見ると、どうも、己の交易に関する研究する学問(代数学・医学・文学・錬金術・天文学・地理学など)が多いように思います。徹頭徹尾、現実判断とも言えると思いますが、侵略した地域(エジプト、ペルシャ、ギリシャ、東ローマなど)から学んだ=悪く言えば掠奪したともいえないでしょうか?
イスラムが、アラビア語に記録していたころ、中世ヨーロッパでは、キリスト教支配の科学には暗黒の世界があり、後、イスラムの記録からヨーロッパ人が学問を市場原理の中で発展させたという歴史があります。その意味では、貴重な記録を残してきたともいえましょう。
 今後、イスラムが宗教イデオロギーを超えて、集団性・共同性を社会に発信することができれば、本物であると考えています。イスラムでの科学や学問もこのような活用がなされるといいですね。

投稿者 2310 : 2010年8月7日 20:41

nishipaさん こんにちは
>力作図解、ありがとうございます♪
→何かの役にたてば嬉しいですね
>一神教でありながらも、他の文化をうまく取り入れ、融合させていくやり方などを見ると、どこまでも現実直視、実現思考の部族なんだなと思いました。
→一神教としたのは各部族の守護神では、部族共同体を超えた集団を統合できない。全ての守護神の上にいる神が統合上、必要だったのでしょうね。
このムスリムの意識レベルの統合とは別に、経済的にイスラム共同体は、ムスリムの外部の(私権)集団に勝って行く必要があったはずです。しかし、作物も取れない砂漠を背景とする環境外圧は、おのずとイスラム集団の武器=商業・交易の先鋭化に収束することになる。その為に有用なものならば過去に遡ってでも取得することになる。このすざましい外圧が、どこまでも現実直視、実現思考に向かわせたのでしょうね。
>受容れて、加工して、真に役に立つものを生み出していく文化は、ほんと日本によく似ていますね。
→そうですね。
日本もイスラムと同様に資源が無い中で勝ち残る外圧がかかっています。この点も同様ですね。

投稿者 sakashun : 2010年8月8日 11:52

Hiroshiさん こんにちは
>イスラムは世界中から、当時最先端の知識を集め吸収していったのですね。その必要性がどこから来たのかが興味深いですが、交易・商業というところでしょうか?
→nishipaへの返信に記載しましたが、
経済的にイスラム共同体は、ムスリムの外部の(私権)集団に勝って行く必要があったはずです。しかし、作物も取れない砂漠を背景とする環境外圧は、おのずとイスラム集団の武器=商業・交易の先鋭化に収束することになる。その為に有用なものならば過去に遡ってでも取得することになる。このすざましい外圧が、どこまでも現実直視、実現思考に向かわせたのでしょうね。

投稿者 sakashun : 2010年8月8日 12:02

2310さん こんにちは
>学問の年表を見ると、どうも、己の交易に関する研究する学問(代数学・医学・文学・錬金術・天文学・地理学など)が多いように思います。徹頭徹尾、現実判断とも言えると思いますが、侵略した地域(エジプト、ペルシャ、ギリシャ、東ローマなど)から学んだ=悪く言えば掠奪したともいえないでしょうか?
→アラビア半島を出て領土を拡大する時には私権国家等の非アラブの国を統合する必要があり、相手の出方に合わせて対応を決める柔軟なイスラムの戦略は合理的で正しいと思います。
その中身は、受け入れたり、片やジハードとして、敵と見たりするわけです。言い換えると相手の出方で、融合に見えたり、掠奪に見えたりするということです。その意味で掠奪といった見方にはとらわれ無い方が良いと思います。
次に、宗教イデオロギーへの囚われ度の判定は難しいですね。
難しい要因の一つは、マスコミから流れるイスラムの情報が事実か否かが定かでないことです。まず、ここが見えればそのイデオロギー度も見えてくるのですが。
とにかく、重要なことは彼らの歴史を知り、且つ、同化しながら色眼鏡はかけずに事実を探って行くことが今は大切だと思います。

投稿者 sakashun : 2010年8月8日 13:35

nishipaさん こんにちは
>受容れて、加工して、真に役に立つものを生み出していく文化は、ほんと日本によく似ていますね。
→今、気付いたのですが、真に役に立つものの対象が、日本では、技術(例:車、電子機器等)に、一方、イスラム教は観念に収斂したようです。観念の収束先は商売(⇒商人の為のネットワークの拡大)に行き着くようですね。根っ子は同じようですが、アウトプットされるものに違いがありますね。なんでかな?

投稿者 匿名 : 2010年8月8日 13:49

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