教科書の弥生時代 |
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2008年06月19日
【渡来人が弥生時代を創ったというのは誤りである】
弥生時代というと、渡来人が稲作技術を持ち込み、あっというまに日本を席巻し、本源的な縄文文化を破壊し戦争→私権社会を築いたという認識のもと、否定的にとらえていたのですが、これは固定観念にすぎないのかもしれません。
この気づきを与えてくれた投稿が、るいネットにあったので、紹介したいと思います。
渡来人が弥生時代を創ったというのは誤りである。るいネット:田野さん
弥生時代は多くの渡来人が稲作の技術をもって訪れ、たちまちに縄文文化を凌駕した。鉄器やガラス細工といった工芸が定着し、土器も縄文時代よりうすくて赤みをおび、模様がなく形も整った土器が使われるようになった。又、環濠集落に代表されるように、集落外周を堀で固め、戦闘、防衛が有ったことを伺わせ弥生集落の特徴的なことの第一義として挙げられている。これらは考古学的資料の少ない時代(根拠が薄い)に作り上げられた教科書的に言われている弥生時代への固定観の一つにすぎないことが、最近の縄文-弥生論争で明らかになりつつある。
一つずつ疑ってみたい。
まず大量の渡来人があったという件。
これは縄文晩期の寒冷化と中国の統一に起因するところが多い。
渡来した民は前漢が朝鮮を侵略したのとは違い、基本的には逃げ延びた民である。おそらく航海技術をもっていた漁民たちが中心だったろう。一方急激な寒冷化で、食料を求めて南下した民には農民もいただろう。稲作という技術をすでに持っていたが、南へ生活の地を求めてなんとか辿り着いたというところではないか。
彼らは単発で訪れ縄文人と対峙するが、侵略の意思がないことは迎える縄文人も理解したのではないだろうか。数字的には大量の渡来人はあったのかもしれない。しかし、稲作の技術をもって友好的に訪れた弥生人は縄文人と融合することで、かろうじて自らの生活の場を確保できたのだろう。
この辺の状況は、渡来人の出自(2)るいネット:橋口さんの投稿が参考になります。
弥生時代に関係する中国大陸の民族移動の様子について、安田喜憲著「龍の文明・太陽の文明」の中に以下のような記述があります。
>四千年前頃、長江文明が気候の乾燥化と北方の畑作・牧畜民の侵略によって衰退すると、北方の龍族が大きな力を持って南下し、ついに長江流域に生活していた苗(ミャオ)族など、三苗(さんびょう)とよばれる太陽族・鳥族・蛇族を駆逐しはじめた。とりわけ三千年前以降の気候の寒冷化は龍族の南下に拍車をかけた。かくして、太陽族・鳥族・蛇族の苗族たちは敗れ、雲南省や貴州省の山岳地帯へとおちのびていく。その一派が海上難民として日本列島にも到達し、稲作と太陽信仰、鳥信仰をもたらしたのである。
安田氏は北方の畑作・牧畜民によって南方へ追いやられた稲作・漁労民が東シナ海に逃れ、対馬暖流を北上して九州南部(隼人)へ、さらに九州北部を経由し出雲へ、最後は富山の越の国へ至る「南方渡来説」の立場のようです。そして、朝鮮半島から北方の畑作・牧畜民が日本列島に渡来するのは弥生時代後期から邪馬台国の時代と区分されています。
渡来人の第一波は南方からであり、弥生時代の基礎を創った。その後、第二派が弥生時代の後半に北方より押し寄せ古墳時代の基礎を創ったと考えると弥生時代が判りやすくなるのではないでしょうか。つまり、縄文を最基底にした三層構造の塗り重ね度合いが地域差として現れているのではないでしょうか。
再び、田野さんの投稿に戻ります。
文化が異なる複数の民族がそう簡単に共存できるのか?という疑問は確かに残る。その素養が弥生人の側より縄文人の側にすでにあったことを認めなければならない。1万年にわたる縄文時代は三内丸山での中国文化の浸透に見られるよう渡来人の受け入れの歴史でもあった。
異文化と接触することでそのいい所を吸収するという価値観は縄文時代から育まれていたと見る事はできるのではないか。
第一波は命からがら逃げ延びてきた人々です。彼らがいきなり日本を征服するほどの力を持っていたとは考えられません。何とか受け入れてもらう中で、役に立つ技術を提供しながら、融合していくしかなかったのではないでしょうか?
●そう考えると、弥生時代からひきおこされる戦争というのは、どのような経緯で始まったのでしょうか?第二波の連中?それとも侵略意思を持った第三派?
●同時に、農耕が戦争の引き金になるのかも追求していきたいと思います。
今回は、上記2つの問題を提起して、次につなぎたいと思います。
それでは、次の方、よろしくお願いしま~す
投稿者 naoto : 2008年06月19日 TweetList
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コメント
投稿者 y.suzuki : 2008年7月21日 18:01
事実を知れば、ネーミングそのものから価値観が見てとれますね。
というか、明らかに歴史の改竄ですね。
投稿者 みつこ : 2008年7月21日 19:19
この時代のヨーロッパ人たちが先住民たちに対して行った内容は残虐非道極まりないですね。それを正当化する観念こそ、現代の戦争を起こす正当化観念と全く同じだと思いました。
もし、現代において過去の過ちに気が付くことが出来るなら、「大後悔時代」なんてのはどうでしょう?
投稿者 真実 : 2008年7月21日 21:22
私もちょっと前に大航海時代を調べがことがあって、教科書で習った話と事実があまりにも違うことに驚きました!
大航海って、略奪して儲けられる場所を探しに行くことだったんですね。私も事実を知るまで、ヨーロッパ製世界史にすっかり騙されてました~(≧ヘ≦)
投稿者 ぴんぐ~ : 2008年7月22日 02:35
TB有り難うございます。
ご参考:
西洋文明の常識
http://sun.ap.teacup.com/souun/1750.html
投稿者 早雲 : 2008年7月22日 18:06
コメントいろいろありがとうございます。
>ヨーロッパ人たちが先住民たちに対して行った内容は残虐非道極まりないですね。それを正当化する観念こそ、現代の戦争を起こす正当化観念と全く同じだと思いました。(真実さん)
欧米人が許せないと思うのは、正当化観念を駆使しながら掠奪を繰り返していることです。そして日本人は無自覚にそれに乗っかっている。
もっとも欧米人も殆どは正当化観念に騙されているとも言えます。根幹は正当化観念を作り出している連中ですね。
投稿者 Hiroshi : 2008年7月23日 15:54
早雲さん、はじめまして
コメントありがとうございます。
いつも「晴耕雨読」拝読させてもらってます。
『西洋文明の常識』も読ませてもらいました。西洋におけるイギリスのポジションが、非常に興味深いです。
また西洋の作り出した近代思想や民主主義、それらの常識群がいま問われているように思います。
またおじゃまします。
投稿者 Hiroshi : 2008年7月23日 16:05
記事内容に非常に共感しました。
連中は、いまだにまったく総括していないし反省もしていない。
それどころか、「有色人種どもが文明化できたのは我々のおかげだ。ありがたく思え」ってなもんです。
この略奪と強姦と虐殺の歴史を正面から総括していないがゆえに、白人たちは現在も形を変えて同様の破壊を繰り返しています。到底許されることではありません。
貴ブログの歴史へのアプローチに共感をおぼえるとともに、今後も応援していきたいと思います。
投稿者 雅無乱 : 2008年7月24日 02:01
雅無乱さん、応援ありがとうございます。
>連中は、いまだにまったく総括していないし反省もしていない。
連中は、いかに相手に反省させるか?同意させるか?という仕組みを常に考えてますね。
教科書や東京裁判やマスコミは、その最たる道具や仕掛けだとおもいます。その結果日本人はいつも反省と謝罪ですね。
ちょっと俯瞰してみると、一番悪い奴がのさばっている、全くおかしな構図になっていると思います。
ただ面白いのは、世界の人々は欧米の悪さを実はよくわかっていて、世界全体で見ると欧米は信用されていない。日本人はすごく信頼されている。だから日本人を巻き込んで世界を騙そうとする。イラク戦争にしても、CO2温暖化詐欺にしても。
だから日本人が転換すれば、彼らは主導権を失う。
投稿者 Hiroshi : 2008年7月24日 23:54
>ただ面白いのは、世界の人々は欧米の悪さを実はよくわかっていて、世界全体で見ると欧米は信用されていない。日本人はすごく信頼されている。だから日本人を巻き込んで世界を騙そうとする。イラク戦争にしても、CO2温暖化詐欺にしても。
だから日本人が転換すれば、彼らは主導権を失う。
・・・・なるほどです。
確かに最近は声高に主張していなくても日本に注目は集まっているように感じます。
後は日本がそれを自覚して、巻き込まれずに巻き込む側に廻るかですね。歴史事実を明らかにするということはその為に最初にやらなくてはいけない作業のようです。
投稿者 案山子 : 2008年7月25日 02:02
案山子さん、こんばんは、
>後は日本がそれを自覚して、巻き込まれずに巻き込む側に廻るかですね。歴史事実を明らかにするということはその為に最初にやらなくてはいけない作業のようです。
そうですね。ある意味地道な闘いだと思います。ただ、気がつくとおかしな所がいろいろ見えてきて、そうなると“ヨーロッパ製世界史”も砂上の楼閣にすぎなくなる。
人々が事実追求に向いはじめれば、すぐに解ける呪縛かもしれません。
投稿者 Hiroshi : 2008年7月26日 22:05
コルテスもピサロも、上陸後、極少数の軍隊で圧倒的多数のアステカ帝国、インカ帝国を短期間で滅亡させた。これは病気のためであるとか、武器や馬の使用といった武器の差だとか、アステカ、インカに内戦があったからだとも言われているが、実のところ、気がついた時には王を殺されてしまい支配権を握られてしまっている。こんな芸当ができるのは、当たり前のように人を裏切り、騙した上で自己正当化する「邪心」の強さ故であろう。
この記事を読ませていただき、インカ「帝国」やアステカ「帝国」といった名称も見直す必要があると思った。
投稿者 Quetzalcoatl : 2008年7月31日 00:45
はじめましてzhuangyuanと申します。この本にはヨーロッパ人は難民だったと書いてありましたが確かに鄭和の船の豪華さと比べるとかなりちゃちい船ですからそれもありえますよね。鄭和は財宝たっぷり積んで出かけたわけですからここも違います。でも鄭和は忘れられて白人の大航海時代の栄誉は残った。やはり歴史は勝者によって作られますね。
投稿者 zhuangyuan : 2008年9月9日 21:03
こめんとありがとうございます。
Quetzalcoatl さん
>こんな芸当ができるのは、当たり前のように人を裏切り、騙した上で自己正当化する「邪心」の強さ故であろう。
現代の金融工学や温暖化プロパガンダもそうですが、西洋人の騙し能力はほんとにすごい。最近はその騙しの構造がだんだん判明してきましたが・・・・
zhuangyuan さん
>やはり歴史は勝者によって作られますね。
その通りですね。
ただ西洋の場合、自分も信じ込んでしまっているようで、なんか性質が悪い感じがします。事実でもなかなか認めないでしょうね。
投稿者 Hiroshi : 2008年9月16日 12:34
世界史上において大航海時代ほど酷い時代はない
投稿者 匿名 : 2008年11月8日 21:07
>世界史上において大航海時代ほど酷い時代はない
その通りですね。一方的な殺戮という点でこんなに惨い時代はない。
ただ比肩すべき時代があるとすれば、古代の西アジア・メソポタミア地方で開始された掠奪闘争(皆殺し→防御のための都市国家形成)と大航海時代の延長上にある近代の植民地支配・戦争くらいでしょう。
投稿者 Hiroshi : 2008年11月9日 02:23
なるほどです。当時の農業を富の収奪源とする国家にとって、海を舞台に活動するものは、野蛮な民という認識で、当初、中国の明朝においては海に関わることを厳禁していたようです。倭寇なども、実態以上に悪く思われているのは、そういう事情があったからだと思います。
大航海については、実態がどんどん露わになってきたようですね。当時の教皇によって、大西洋はスペイン、インド洋はポルトガルというように縄張りを決めざるを得ないような、掠奪意欲とそこから派生する諸問題があふれていたようです。そのあたりも今後期待してます。