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2008年06月20日

農耕生産は私権闘争には直結しない

naotoさんからバトンタッチで、今回は 「農耕が戦争の引き金になるのか?」 を扱いたいと思います。
2つ前の当ブログの投稿で、くまなさんが「教科書の弥生時代」でも言われているとおり、
人間は余剰生産物ができると、それらの貯蔵を巡って所有関係が発生し、たくさん所有した人は別の品物と交換していろいろなものを手に入れたくなる。そこで、土地を巡って争いが始まる、というのが教科書を始め、歴史書に書かれている大筋の戦争の起源の話ですが、比較的豊かな暮らしができていた縄文人が、余剰生産物ができると戦争を起こしてまで、さらに豊かな生活を求めるのでしょうか?
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図はhttp://www.saga-s.co.jp/yoshi_vol3.htmlより引用
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以下、「農耕生産は私権闘争には直結しない」より引用、なるほどと思いましたので紹介させて頂きます。
> ①稲作が私権闘争→私権社会を生んだのか、それとも②性闘争が私権闘争→私権社会を生んだのか
「農耕闘争起源説」3パターンは、次のように要約できると思います。
1.農耕による余剰生産を巡って自然発生的に私権闘争が発生した。
2.農耕による人口増大→食料不足が私権闘争を発生させた。
3.農耕に内在する自然支配・改変の思想が私権闘争を発生させた。

サルの時代から縄張り闘争は存在しますから、食を巡って争いが起きる可能性はあり得ます。しかし、食の本能は欠乏を充足すれば終いで「余剰」を求めることはありません。豊かな食料が闘争を生むならば、南方の採取部族が最も好戦的でなければならず、1の余剰説は現代の私権観念から逆追いで発想されたに過ぎないと思います。

2については、食料不足から同類闘争という事態が起こった可能性はあり得ます。しかし、江戸時代の農村共同体の「間引き」や農民一揆を考えても分かるように、このような生存確保のための行動は基本的に「集団課題」であり、それだけでは私権闘争~私権社会には直結しません。

3についても、私は環境問題が深刻化した現代の価値観がやや混在しているように思います。確かに、農耕という生産様式で人間は初めて大々的に自然に手を加えたわけですが、農耕技術自体は道具や言語の発明と同じ適応のための知恵であって、そこに特別な思想性はなかったと思います。現代のような深刻な自然破壊に至らしめた要因は、このような「技術」そのものとは別にあるのだと思います。

私権社会へ繋がる「私権闘争」の決定的な条件は、個人間闘争であること、つまり「集団」から「個」への意識の解体です。 生産様式や技術がその背景になった可能性はありますが、突き詰めれば「個人が個人を所有対象or敵と見做す本質的動因は何か?」という問題ではないでしょうか。
以上、引用終わり。
「渡来人が弥生時代を創ったというのは誤りである」でも述べられているとおり、最初に稲作技術を持った渡来人達は、技術を伝播しながら縄文人と融合していった可能性が高く、寧ろ、その後大陸北方を中心とした侵略戦争を経てやってきた渡来人の方が弥生以降の戦争に影響を強く与えた存在ではないかと思います。
一度掠奪闘争が起こると、あっという間に武力支配の集団の下に個人がバラバラに組み込まれ、それらの戦争が続くと人々は警戒心と自我の塊となって、個人が個人を絶対的な力で所有しなければ秩序は維持できないという社会が生まれる。 これらの支配思想が日本に広まっていったのが弥生後期で、そこから戦争の幕が切って落とされたと考えられます。

投稿者 simasan : 2008年06月20日 List  

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コメント

ユダヤの情報です、大変興味深いです、日本の神社との関わりが解ります、
http://www.shima.mctv.ne.jp/~newlife/

投稿者 カマドー : 2008年7月23日 12:00

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