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2006年12月30日

鉄器の登場と戦争の関係は?

12月20日のみつこさんの記事「灌漑による集団統合課題の登場☆」、みなさん読まれましたか
水利をめぐって、戦争がおこるようになってしまったのはなぜ
ヒントは”鉄器”とのことで・・・私がそのネタ奪っちゃいます
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弥生時代に入ると灌漑農業が盛んになり、そこでは水をより潤沢に使えるか否かがとても重要になる。すると、水系を巡り、
「うちは下流の方だから、水が少ないわ :-(
「あなたのとこでそんなに取ったらうちのなくなるじゃない :x
「あっちの川の方がいい環境だからあそこが欲しいわ 8) 」
ってな具合に私有意識が芽生えはじめてしまうのですね。
この段階では、まだ首長の調整などで集団間の争いにまでは至ってなかったのが、渡来人が持ち込んだ鉄器が流通し始めると、鉄器を手に入れることが、その集団の存続に関わるほど重要なこととなり、さらに私有意識に拍車をかけることになる。
以下、鷲田豊明氏の「日本社会システムの起源」より引用します。

鉄は絶対的といえる希少性をもった財だったのである。この時期における鉄素材は主に大陸や朝鮮半島から供給され、それは列島を横断しながら各地に普及していった。この鉄の流れは水の流れと同様に集団間の秩序に決定的な影響を受けたことは確実である。鉄を利用するためにはこの秩序の中にはっきりとした位置を占めることが必要なのである。鉄を利用できなくなることは、それが可能な集団に対する水稲農耕の生産性したがって集団の能力や人口収容力に決定的な差がつくことである。生産集団やその結合体にとってその存続をかけて利用可能にしなければならなかった資材だった。

そうなると、ついこの間まで共認を命綱に生きてきた縄文人体質はどこへやら・・・ 戦争を仕掛けて奪いに行くという行動に出てしまう。これが争いの始まり。鉄器の登場によって、争いが生まれてしまったんですね。
でも・・・時系列でいうとそうなんだけど、果たして鉄器ができたからなの
みつこさんの記事のコメントにあるように、農業が始まったということは、どのみち争いは起きていたんだと思う。
鉄器はそれを後押ししたにすぎなかったんじゃないかな?と思うのですが・・・みなさんどうなんでしょう わかる方コメントいただけたら嬉しいです

投稿者 pingu : 2006年12月30日 List  

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コメント

面白い記事をありがとうございます。
縄文人は「手」を使い、工夫思考で様々なものを生み出していますよね。縄文土器、漆塗りなどは世界的に見て驚くべき成果と思います。
採集部族として定住をして適度な余暇を得た彼らは、その余暇を様々な技術開発にあてたのだと思います。
こうして培われた追求姿勢が製鉄技術などにもいかされたのでしょうね。
輸入した技術を骨格にして工夫を重ね、改善に次ぐ改善を施し、結果として、オリジナルの技術をはるかに凌駕する成果を出す、というのは日本人の特徴。
「日本人にはオリジナリティがない」などと揶揄されたりしますが、この世界に誇るべき追求姿勢は縄文期に培われたものかもしれませんね。
(ちょっと横道にそれたコメントでごめんなさい)

投稿者 隼 : 2007年1月11日 11:59

日本の鉄の文化をもっと調べると面白いかもしれませんね。
鋳鉄、製鉄、鍛鉄・・・。
古代の鉄はたたら吹きという製法があったそうです。
5世紀頃 出雲地方や九州地方で製鉄が始められた。しかし、他の文化圏のように高温を保つ技術力が無かったため、製鉄としては低温なたたら吹きが開発され広まった。幸運な事に、たたら吹きでは純度の高い玉鋼を作り出す事ができ、それが後の日本刀を生み出す礎となった。
たたら吹きとは・・・(踏鞴吹き、鈩吹き、たたらぶき、タタラ とは、和鋼(玉鋼)を製造する製鋼法で、玉鋼製造ともいい砂鉄による直接製鋼法で日本独自のものである。木炭と砂鉄を交互に装荷し、燃焼反応により砂鉄を還元させ和鋼を得る方法。島根県横田町(現奥出雲町)に日刀保たたらがあり、そこが唯一の正統な日本刀の素材供給所として、この方法で和鋼を製造している。
隼さんがおっしゃるように、まさに「手」の文化の結晶ですね。

投稿者 tano : 2007年1月11日 20:26

隼さん、tanoさん、コメントありがとうございます☆
そうなんですー。調べていたら”たたら”に関する記事が多くヒットしました!特に中国地方は砂鉄や鉄鉱石が採れ、多くのたたら場があったようですね。
中でも村下(むらげ)と呼ばれる技術責任者?は、どのタイミングで風を送り込むのか?とか相当の熟練の技を持っていたようです。村下の中には、火を直視する為ついには視力を失ってしまう方も多かったそうです><。(火の中に精霊を見てたりしたのかな?)
縄文時代に培われた追求力、現代こそ発揮していきたいですね。

投稿者 みつこ : 2007年1月12日 20:07

 そういえば、旧暦の10月を神無月といいますが、
出雲では全国から神々があつまるので、神在月に
なっているといいます。この理由の一つに、諸神の
母神であるイザナミの法事を行うということが考えられています。鉄の都、安来にはイザナミの御神陵があるので、「神々の首都」とは面白い表現ですね。
 じつは、島根県観光動態調査というところを検索して、島根県の各地域の1年間の観光客数の推移を見てみますと、他の地域はお盆に観光客数が増えるのに、毎年、安来だけは神無月にピークをむかえているのです。なんかきになりますよね。
 あと「雲太、和二、京三」ってことばの別解釈に
首都の変遷順を示しているという説があるのも見逃せないですね。

投稿者 久米横屋 : 2007年9月1日 23:31

 和鋼ってひょっとすると日立金属さんのヤスキハガネの前身のもののことじゃないですか?特殊鋼業界ではいちばん有名な素材の大本の話になっているわけですね。

投稿者 八島 : 2008年7月30日 21:24

 でも、イザナミ神の神陵は出雲の国境とは、また辺鄙なところにウメトク羽目になったものですね。大切なものなので、出雲の中心地みたいなところに埋葬するような気がするのですが。

投稿者 タジマ : 2008年11月21日 18:56

 なるほどスサノオ神がそこを目指して降臨したのは、母親の供養のためだったのですね。

投稿者 八洲起源浮橋事之段 : 2017年3月18日 23:22

狩りをしていて人も殺せるとおもい水争いを終わらせようと思って戦争を起こしたのかも知れませんね

投稿者 匿名 : 2017年4月14日 19:23

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