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2009年01月29日

邪馬台国は朝鮮半島にあったのか-1 倭国は朝鮮半島にあった

😀 くまなです。
今回は邪馬台国論争に迫ります。
邪馬台国は、中国の歴史書に30カ国を治める連合国家の王・卑弥呼の国であると記されています。魏志倭人伝(『三国志』魏書東夷伝倭人条)には倭の国々の位置・官名、生活様式などが記載され、邪馬台国の所在地も、魏の帯方郡からの行程(一万二千里)として記述されています。しかし、この行程を素直に読むと日本の南の沖合いにあることになり、謎となっています。
江戸時代より、数々の歴史学者や在野の研究者が謎解きに挑んだが、未だに答えは出ていません。多くの支持を得ている説は九州説と近畿説ですが、吉備や出雲にはじまり琉球やジャワ説、果ては邪馬台国は無かった説まで噴出しています。
そして、この邪馬台国論争に根本的な認識転換を迫るのが「邪馬台国論争 終結宣言」(山形明郷著、1994年)です。
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これは、朝鮮半島説とでも云うべきもので、内容もこれまであまり扱われてこなかった中国の歴史書を紐解き、丹念に論証し、説得力のある内容になっています。今回は、その内容を紹介し、邪馬台国論争に決着が付けられるのかを検証したいと思います。
邪馬台国がどこにあったかは、日本の連合国家成立がいつどこで成立したかに係わります。それはその後のヤマト王権の成立過程にも影響します。倭人伝が朝鮮半島のことだとなれば、倭国大乱も邪馬台国も朝鮮半島にあったこととなります。そして、日本における連合国家の成立は、古墳時代になってからということになるでしょう。
では、まず朝鮮半島説の論証のポイントを紹介します。
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詳細はるいネットに要約が掲載されているのでそれをみてください。
①古朝鮮はどこにあったか?
②楽浪郡・帯方郡はどこにあったか?
③倭はどこにあったか?
④卑弥呼は遼東侯公孫氏の係累
⑤邪馬台国はどこにあったのか
朝鮮半島説の倭国の所在地に関する論証のポイントを4つ挙げてみます。
①古朝鮮は列水流域にあり、列水は遼東半島にあった。
朝鮮に湿水・洌水・汕水あり、三水は合して洌水となる。
『史記集解』
列は水の名、列水は遼東に在り。
『後漢書郡国志』 ※遼東=今日の中国遼寧省東部
列口は県名なり。列水の河口は遼東に在り。
『資治通鑑』の「漢記」
>これらの条件を満たす河川はひとつしかない。すなわち、中国遼寧東部を流れる「太子河」である。よって、古代朝鮮もこの河川流域に存在した古代国家だった。
②楽浪郡は元は古朝鮮だった。それは遼東半島にあった。
楽浪は郡。もとの朝鮮国なり。遼東に在り。
『後漢書巻一光武帝紀』
朝鮮、音は潮仙。国は遼東に在り。
『十八史略巻之二漢孝武帝三十七』
楽浪郡が統括した県の名に「朝鮮・列口・帯方…」がある。
『漢書地理志第八』
漢の武帝の元封三年、朝鮮を滅し分ちて楽浪・玄菟・臨屯・眞番四郡を置く。即ち今の奉省南蓋平・海城・復州等処に在り。
『長白征存録』 ※奉省=今の遼寧省遼河以東渾江以西、南蓋平=今の蓋県
奉天府の東南は、遼東・楽浪・玄菟三郡、及び朝鮮の地なり。
『大清一統志巻五十七盛京統部表』 ※奉天府=今の遼寧省瀋陽市
③帯方郡は遼寧省東部方面に存在した。
帯方県を按ずるに、疑うらくは、亦、今の省境に在り。
『奉天通志巻五十三沿革志』
※帯方県=帯方郡帯方県、省=奉天省=今の遼寧省東部方面
帯方は列口県に有り。
『山海経巻十二・海内北経』
④楽浪・帯方の南に韓国があり、韓国の南に倭がある。
韓に三種あり、一に馬韓と曰い、二に辰韓と曰い、三に弁辰と曰う。馬韓は西に在り、五十四国を有し、その北は楽浪と南は倭と接す。辰韓は東に在り、十有二国、その北は穢貊と接す。弁辰は辰韓の南に在り、また十有二国、その南、また倭と接す。
『後漢書巻き八十五東夷列傳』
>『三国志巻三十魏書韓傳』中にも「韓」は「帯方」の南に拠って居た旨の記載がある。
以上をまとめると、
古朝鮮は遼東半島の列水流域にあった。
楽浪郡はもとは古朝鮮であり、遼東半島東部の列水流域にあった。
帯方郡は列口県にあり、列口(列水の河口)は遼東半島にあった。
楽浪郡・帯方郡の南に馬韓があり、馬韓の南に倭国がある。
馬韓の東に辰韓、辰韓の南に弁辰、弁辰の南に倭がある。
つまり、楽浪郡・帯方郡は遼東半島にあり、その南に三韓(馬韓・弁韓・辰韓)、その南に倭があった。
さらに、山形氏は三韓が遼東半島に収まるとし、遼東半島より南側、現在の北朝鮮より南側を倭国であるとしています。
山形氏は在野の研究者ですが、倭国が朝鮮半島にあっとことについておよそ160ページに亘って詳細に論証しています。各論拠に係わるこれまでの定説の誤りも明らかにしています。この本は15年前に出版され、タイトルも内容もインパクトがあります。もっと取り上げる人がいてもいいはずです。しかし、ネットでもほとんど取り上げられていません。(取り上げられている場合は高く評価されています。批判は見当りません。)
なぜでしょうか?
邪馬台国論争に熱狂する者にとっては、論争が終わっては困るというのもあるのでしょうが、それは一部の方々だとして、有力な原因として考えられるのは、邪馬台国論争の出発点となっている魏志倭人伝についてほとんど扱っていないからだろうと思われます。山形氏は魏志倭人伝について信憑性が無いとしています。だから、朝鮮半島説では倭人傳の記述=行程問題の解明がほとんどなされていません。
要するに他の説とは土俵が違うのです。だからこそ、常識(定説)を覆す結論が導き出せたのです。魏志倭人伝の謎は魏志倭人伝に拘ると解けないということなのです。

では、山形説(朝鮮半島説)では行程問題は解けないのでしょうか?
解けないとしたら、倭人傳の行程の記述は一体なんなのでしょうか?
一方、山形氏も魏志倭人伝の行程問題に触れている部分があります。そこでは、倭国の北岸である狗邪韓国が朝鮮半島南端部分であることは認めています。七千里の里程も成立しうるとしています。
だとすると、狗邪韓国から海を渡り倭国の国々へ至るその行程から、邪馬台国は日本にあったことになるのでしょうか?

投稿者 kumana : 2009年01月29日 List  

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コメント

倭国がクヤ韓国を支配していた事実を知られたくないから韓国人もだんまりなんでしょうね

投稿者 匿名 : 2014年6月29日 20:44

魏志倭人伝によると、邪馬台国は徳之島だと思います。魏志倭人伝によらない邪馬台国は何処でも良い。皆さんは地域おこしの為に魏志倭人伝によらない邪馬台国を述べておられる。

投稿者 er : 2016年4月9日 14:26

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