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2007年06月12日

国を統一して譲ったヒーロー、大国主命とは?

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こんばんは!bunchanです。 
「古事記の世界」 さんを参考に、古事記の中では、「国をつくって国を譲った男」として描かれている「大国主命オオクニヌシノミコト」について紹介してみたいと思います。(「古事記の世界」 さんより、要約・引用させてもらっています)

1.兄弟から追われる
大国主命はスサノオ七世孫として誕生しました。
大穴牟遅神(オオアナムジノカミ)これが若かりし頃の大国主神の名前でしたが、稲羽に八上比売ヤカミヒメという大変ミメ麗しい媛がいました。
大穴牟遅神の兄弟達は皆、我こそは八上比売を妻に!という思いを胸の内に秘め、揃って稲羽へ出掛けることに。大穴牟遅神に袋を背負わせ、従者として連れて行ったのですが・・・。(途中、因幡の白兎を助ける)
八上比売ヤカミヒメが「あなた方の言うことは聞きません。大穴牟遅神と結婚致します」といったばかりに、大穴牟遅神(オオアナムジノカミ)は兄弟から何度も殺害計画をたてえられ、生き返らされたり逃げたりの連続でした。最後には須佐之男命(スサノオノミコト)のいる根之堅州国ネノカタスクニへ行くことに。

・・・・続く
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2.スサノオの娘と結婚
根之堅州国ネノカタスクニへ着いて早々、須勢理毘売スセリビメと電撃結婚。
須勢理毘売スセリビメは、スサノオの娘でした。スセリビメが父親のスサノオに紹介したところ。。。
蛇責め・百足・蜂責め・火責め と数々の試練を課します・・・が、須勢理毘売の授けた蛇の比礼ヒレや百足と蜂の比礼、ねずみの助言などに助けられ、次々と試練をクリア。
大穴牟遅神は須佐之男命が寝入ったのを確かめると、須佐之男命の長い髪を手にとって、その部屋の柱ごとに結び付けた。そして、五百人がかりでようやく動かせるぐらいの巨大な岩で部屋の入口を塞いで、須勢理毘売と一緒に須佐之男命秘蔵の生太刀・生弓矢・天の沼琴ヌコトを抱えて逃げ出します。
追いかけたスサノオノミコトは、追いつかないと知ると、
「葦原色許男命(大国主命のこと)よ、その生太刀・生弓矢でお前の腹違いの兄弟達を坂の裾に追い伏せよ。川の瀬に追い払え。そして自身は大国主神となり、また宇都志国玉神ウツシクニタマノカミとなって、我が娘須勢理毘売を正妻とし、宇迦の山のふもとで、大きな磐の上に宮柱を太く立て、高天原に千木を高くそびえさせて住むがよい。よいかっ、葦原中国の支配者となるのだぞ!」(つまり許したってこと?)その言葉どおり、オオクニヌシノミコトは葦原中国の支配者となりました。
3.高志国コシノクニの沼河比売ヌナカワヒメと結婚
須勢理毘売は嫉妬!でも仲直り。
4.少名毘古那神スクナビコナノカミと国づくり
5.国譲り
高天原の神々の筆頭である天照大御神は、自分たちの後継者(天津神の御子)が地上を統治するべき!といろいろな神を派遣しますがすぐに逃げ帰ったりいったまま(居ついて)かえって来なかったりとなかなか上手くいかなかったのですが、とうとう、建御雷之男神タケミカズチノオノカミに国を譲って大国主命は出雲大社に隠棲することに。

ワイルドで波乱万丈で、この話の意味するところは何????と思ってしまうのですが。。。
高天原タカマノハラ/タカアマノハラ …神々(天津神)の住む天界。
葦原中国アシハラノナカツクニ …地上世界。
まず、国つくりというのは、地上世界でのことです。
大国主命は、地上世界の国つくりをして、最尾には、天界の神々に国を譲ったという物語です。やさしく謙虚で女の人にモテる色男、数々の試練にあいながら、いろんな人が助けをさしのべるヒーローという感じです。譲るというのは穏やかな表現ですが、実際は天照大御神アマテラスオオミカミにその統治権の正当性を主張されたがなかなかこれに屈しなかった。でも最後には侵略されてしまった・・・ということなのではないでしょうか。

投稿者 bunchan : 2007年06月12日 List  

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コメント

観光ガイド@京都・大阪・奈良~ぶらり気ままに旅をするの管理人taekoと申します。
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ステキなブログですね。参考になります。
私も古代史ファンです。
特に日本の古代史が好きです。他にエジプト、マヤ、ムー大陸に興味を持っています。
よろしく(^^♪

投稿者 taeko : 2007年6月29日 13:29

さっそく、新テーマについて調べてくれたんですね。ありがとうございます。
ナラ林帯が広がった東日本の方が立地的に採集に向いていたということですね。なるほどです。ということは、稲作の広がりが早いのは、逆に食料資源の少ない照葉樹林帯の西日本ということが言える? 今度、調べてみようと思います。

投稿者 カッピカピ : 2007年6月29日 21:36

>taekoさん、
ご訪問ありがとうございます☆
素人仲間で古代のことを書き綴っているのですが、素朴な疑問が活力源です☆
縄文、弥生時代はナゾの部分が多く、いろんな説があり、いろいろと想像を掻き立てられますね^^
これからもよろしくお願いします。
>カッピカピさん、
早速レスありがとうございます!!
確かに西日本は照葉樹林帯らしいですがそれと稲作ってどういういう関係なんでしょうね?ぜひ調べてみてください。期待してます。

投稿者 bunchan : 2007年6月30日 01:08

ナラ林帯から取れた豊富な木の実って具体的にどんな木の実なんですか?またそもそもナラ林帯ってナラ以外にどんな樹木が多いんですか?

投稿者 masa : 2007年6月30日 13:41

>masaさん
素朴、かつ鋭いご質問ありがとうございます^^
ナラ林帯ってどんなんなんだ?と、さらに調べてみました。
参考サイト:http://ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku04.html
「もののけ姫」を読み解く
から要約すると、
ナラ、ブナ、クリ、カエデ、シナノキなどの温帯落葉広葉樹林の林で、砕けば食べられる堅果が大量に落ち、日光照射もあるため森の下草である植物種も豊富だったようです。
堅果類とは(クリ・クルミ・トチ・ドングリ)のことです。

投稿者 bunchan : 2007年6月30日 22:26

私の出身地茨城県北茨城市、華川中学校など、校庭で、縄文時代の鏃が雨の後など出てくるんです。最も40年も前の事です。私も10個ぐらい持ってました。つい最近も2個見つけました。しかし、この情報が面倒なのか、だれも避けているように思えます。この中学校一体が、縄文時代の存在を表しているのに。学実的調査が入るのを拒むのが大事な様で、住宅建設優先の考え方、歴史無視無視が現在の市の累々とした方針なのでしょう。是非とも歴史追求優先としてほしいものです。場所が学校なのですよ、学校

投稿者 森のきこり : 2008年5月6日 22:27

佐々木高明の「縄文文化は東北日本のナラ林帯の自然を背景に成立説」の欠陥

佐々木高明はその「縄文文化は東北日本のナラ林帯の自然を背景に成立説」を次のように述べている。
“ 縄文文化は食料採取民の文化としては、地球規模で見ても、ま…

投稿者 お絵かきじいさんのある日 : 2008年5月26日 15:48

関東地方は、照葉樹林帯なのに、縄文期人口密度が高い、佐々木高明のナラ林文化説に疑問を持ってやっています。よろしく!!

投稿者 お絵かき爺 : 2008年5月26日 15:53

>森のきこりさん、
鏃が校庭から出てくるなんてスゴイですね~♪
私の住んでいた土地にも、(縄文時代のではないのですが)土器のかまのあった地域らしく、破片が裏山に落ちていたりしました。
歴史追及することで、市民も自分の住んでいる所を誇りに思って活性化しそうな気がしますが、どうなんでしょうか。
>お絵かき爺さん、
関東地方は照葉樹林文化でもナラ林文化でもない、特殊な感じがしますね。
大変勉強になります☆
これからもよろしくお願いします。

投稿者 bunchan : 2008年5月29日 21:35

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