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2009年01月07日

オオヒルメムチからアマテラスへ

みなさん、お正月はいかが過ごされましたか?
私は元日のNHKの討論番組で竹中平蔵の詭弁に憤りを感じ、二日はフォークの神様・岡林信康の邦楽を取り入れたパフォーマンスに感激・・・と久しぶりにテレビをみました。竹中の詭弁に騙されないためにも、そして岡林に代表される日本回帰の機運を高めるためにも、縄文ブログますますがんばっていきましょう。
今日のテーマは「オオヒルメムチという神様」についてです。実はこの神様、私の地元、九州最南端鹿児島県指宿市の枚聞神社の祭神なのです。
今年は枚聞神社に初詣に行きました。いままでならたいして信心があるわけでもなく、たこ焼きなぞ買って帰るだけの初詣なのですが、縄文ブログを始めて、いろいろと興味もわいてきました。そこで宝物殿に足を運びパンフレットを読んでみたところ、この「オオヒルメムチという神様」と出合ったのですが、実はこの「オオヒルメムチ」は「アマテラス」別名なのです。

しかし、別名というには違いすぎる、この「オオヒルメムチ」と「アマテラス」の関係はいかに???

jinja3.jpg
奥にちょっとだけ頭を出しているのが薩摩富士ともいわれる開聞岳です。
jinja2.jpg
薩摩一宮の風格。今年は天気もよく、参道は参拝者で溢れていました。
jinja1.jpg
南蛮風のデザイン・・・南方文化の影響が見えますね。
写真はこちらのブログから頂きました。(ありがとうございます)
http://blog.goo.ne.jp/noyamany/e/744e54b161d4be52747a1d44178f95bd
尚、こちらのブログでは詳しい神社の由来も読んでいただけます。

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調べていくと、「オオヒルメムチ」はもともとは海神族の「ヒルコ・ヒルメ」信仰の対象となる女神だったが後に「ヒミコ」信仰に置き換わり、更には「ヒミコ」が伊勢神道に統合される過程で「アマテラス」に置き換わっていったことが明らかになりました。つまりもともと海人族の土着神「オオヒルメムチ」が天孫族が海人族を支配する過程の中で、「ヒミコ」にさらには日本書紀編纂の過程で「アマテラス」へとすりかえられていったのです。
まずは、海人族の信仰対象としての「オオヒルメムチ」について
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jkiki/jkiki5.html より要約。
縄文以来の太陽の女神は大蛭女貴(オオヒルメムチ)である。また大蛭女貴(オオヒルメムチ)の相手方は蛭子(ヒルコ)大神である。そのヒルコ大神は後に神仏習合の結果、舶来の海神エビスと一体化した。蛭子はエビスともヒルコとも読む。
この片足のないエビスはヒルコのことで、素晴らしい漁民の神様である。何故かというと漁民が一生魚と格闘してきて、ワニ鮫に足を喰いちぎられても、尚かつ矍鑠(かくしゃく)として海に挑戦している老漁夫の鏡である。その姿をした生きた神様である。神様は人間の形をしている。人間が作ったものですから。片足のない老漁夫、それをモデルにした非常にユニークで生き生きとした神様である。
ところが、その神様、蛭子(ヒルコ)大神が『古事記』・『日本書紀』に出現する。女性から望んだセックスにおいて生まれた子は不具の子=蛭子(ヒルコ)となり、海に流したという話だ。輝ける漁民の神ヒルコを不具の子と悪し様に罵(ののし)るために作られた話なのだ。「もうヒルコ大神の時代ではないよ。」という蛭子(ヒルコ)大神排撃の物語なのだ。「國譲り」という美しい言葉で表現しているが、実際は海人族は天孫族に支配されたということだ。
なるほど、ヒルメ・ヒルコは勇敢なる海人族の神だったのですね。そして海人族はヒルコがバツになったため舶来のエビス神にその思いを重ねていった。というかもともと南方由来の海神の中国での進化系がエビスで、日本での進化系がヒルコだったということなのでしょう。
しかし、オオヒルメムチは「大蛭女貴」から「大日靈女」へ「天照」と転換していく。
『日本書紀』によれば、アマテラスは、その名をオオヒルメムチ尊(大日靈女貴尊)といった。このうちの「大」・「貴」・「尊」は美辞句なので、その実名の部分は「日靈女」になる。「靈女」は「巫女」であるから、「日靈女」は「ひみこ」とも発音できる。これは「卑弥呼」と同じになるわけだ。『日本書紀』編纂者は承知の上で、「日靈女」の文字を当てたのではないか、と勘ぐりたくなる。つまり、まず「卑弥呼」があって、次に彼女をアマテラスに仕立てたというわけだ。
http://www2.plala.or.jp/cygnus/s10.html
こうした流れを年表にまとめられたサイトもあった。
《天照大神の誕生》 
AD250年頃    中国春秋戦国時代以来の論理化の余波を受けての
           シャーマン的な卑弥呼の登場
AD300-400年頃 大和周辺の太陽信仰の集約した三輪王朝
AD400-500年頃 全国の太陽信仰を男神伊勢荒祭宮に集約した河内王朝
AD507-671年   儒教・仏教の伝来に対抗して全国の太陽信仰
         [他田日奉部・聞得大君等]の見直して女神大日霎貴
             (オオヒルメムチ)に再集約した継体王朝
AD672-712年   女神大日霎貴を伊勢に祭って天皇が現人神となる天武王朝
AD712-720年  女神大日霎貴を女神天照大神と呼び代えて古代神話が完成

http://www3.ocn.ne.jp/~nippou/pair.htm 
注目すべきは「聞得大君」だ。この聞得大君は聞得大君」は「最も名高い神女」という意味で、琉球の信仰おける神女の最高位の呼称である。「聞得」と「枚聞(ひらきき)」近いではないか!しかも「枚聞」神社は元々は背後に控える「開聞(かいもん)」岳を御神体としていたという。つまり聞きしに勝る海洋神に向かって開かれた海路を見守る山が開聞岳であり、枚聞(ひらきき)神社ということではないだろうか。
つまり、琉球と鹿児島をまたに駆けて活躍していた海人族の守り神ひらきき神が国家統一の過程で、琉球王朝と切られて本土側の海人族の神である大蛭女貴へ挿げ替えられ、さらには大日霎貴、天照大神へと転換されていったということではないだろうか。
また枚聞神社は「海幸・山幸神話」の伝承とも関係の深い土地であり、天孫族に支配された海人族の筆頭が実は、鹿児島の隼人族なのである。(ちなみに鹿児島湾のことを錦江湾というが、同じ名前の川が韓国にはあるし、天孫降臨の舞台と呼ばれる霧島連山には韓国岳という山もある。)そして、天皇を神輿に担いだ明治政府の牽引役を果たしたのも、また薩摩人脈であった。もっといえば、織田・豊臣・徳川といった武将の発祥の地、尾張の地もまた海人族の根城である。
神社の歴史を紐解くと、天皇制の隠された古層=海人族が首を覗かせる。海人族は所謂、倭人であり、海洋ネットワークを持つことから、軍事面、物流面において日本の歴史の動脈を押えてきたといっていいだろう。他方では騎馬民族的思考を持った天孫族がうまく土着の海人族をコントロールしてきた、ともいえる。騎馬民族的思考の解明同様、海人族=倭人の思考についても歴史的解明が必要ではないかと思った。

投稿者 staff : 2009年01月07日 List  

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コメント

>しかし、そもそもなぜ人は移動(移住)するのか?
23世紀くらいには、人類も宇宙に移住してる
のですかね?
理由はわかりませんが、ひとつの居住にとどまれない本能
が仕組まれているのかもしれません。
火星に移住できたとしまして、地球の歴史と同じように
どこそこの国の人間のルーツはなんて議論が
さかんになるんでしょうか。

投稿者 スバール : 2009年2月11日 00:35

スバールさん こんにちは
23世紀ですか、古代を知る以上に23世紀を知る事は、難しいかも知れません。でも、人の本質が変わらない限り、可能性はありますね。
なぜ人は移動するのか?
人は共認動物です。
未開の荒野を目指すのは、ひょっとして、先住の人を求めてなのかもしれません。

投稿者 dokidoki : 2009年2月13日 15:04

渡来人問題へのこだわりです
漢から魏、蜀、呉、五胡十六国、北魏、隋、唐、そして高句麗の滅亡に至る数百年の時代は大陸の情勢は波乱に満ちていました。牧馬畑作の北方民族の南下と朝鮮半島経由での北九州経由の日本列島への支配階層の渡来が注目されますが、そうでなくて、主として高句麗の時代に沿海州や南満州から日本海経由でリマン海流から対馬海流に乗って日本列島に渡来しただろう中国文明への同化以前の、書き言葉の無い普通のツングース系の人たちが多数の小波となって渡来してきたはずですよね。
彼らについては、自らの記録は北米「インディアン」同様全く存在せず、奈良京都の政権側は、これも北米に建国した西欧白人国家が先住民族を一絡げにインディアンと呼んだように、かれらを「エミシ」と呼んだのではないでしょうかね。
しかし、奈良京都の政権もエミシと呼ばれた人たちもその出自は北東アジアです。ですから、アジア系のアメリカ・インディアンと違って、エミシの大部分はこの数百年の間に急速に西日本の文化に合流、同化した結果その姿を消して、最後に残ったのがアイヌ系の人たちとなりました。
という考えはいかがでしょうか。
私は北米に30年近く住んだ期間に、いろいろと先住民族問題を研究しましたが、日本史の中でのエミシ問題は、北米インディアン問題への理解が私に新しい角度からの光を与えてくれました。
ご意見ください。
岡本 豊

投稿者 岡本 豊 : 2009年2月22日 11:32

>8万年~5万5000年前になっていよいよアフリカを離れます。
本当にこの時期の拡散の始まりについては謎が多いですね。私は南部アフリカのマラウイに住んでいますが、マラウイ湖沿岸にはカヌーを操る漁民が沢山います。そしてトトという漁村もあります。幼児語の日本語で魚のことをトトと言いますので、関連があるかもしれません。マラウイ湖からザンベジ川を下りインド洋に出て、北上すれば紅海になります。紅海を渡ってインド方面に向かうときにはすでにマラウイ湖で十分カヌーの操船技術は習得していたと思われます。その意味で南モンゴロイドの故郷はマラウイ湖と思われます。

投稿者 玉川陽平 : 2010年3月26日 19:25

玉川洋平様コメントありがとうございます。
非常に面白い記事をUPいただきありがとうございます。
マウライ湖が旧モンゴロイドのルートの始まりという視点を言葉で解析しているのはなるほどという部分があります。
これからも縄文ブログにぜひご参加ください。

投稿者 tano : 2010年3月27日 14:01

岡本 豊 様
>書き言葉の無い普通のツングース系の人たちが多数の小波となって渡来してきたはずですよね。
>かれらを「エミシ」と呼んだのではないでしょうかね。
このご意見には賛同できません。蝦夷(エミシ)は大和政権の蔑称であり、北海道、東北地方にあった続縄文時代の人々のことで、縄文時代からの連続性があり、稲作農耕の弥生人が渡来した頃と同時代に北方アジアから渡来した人々とは考えられません。
玉川 陽平

投稿者 玉川陽平 : 2010年3月29日 19:42

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