藤原氏を探る 祖神のすり替えと神話作り |
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2009年03月30日
渡来人は倭国に何を求めてやってきたのか?
古代史を勉強していていまだ不可解なのが大陸や半島からの人の流れとその理由です。
一般的に言われているのが、中国大陸、朝鮮半島から戦乱の度に負けた部族が次々と亡命してきたという説です。
それはそれで間違いではないと思うのですが、渡来の目的は単一的ではなく、いくつかあるように思います。ざっと思いつくものを列記してみます。
①戦乱逃避(ボードピープル)
②交易の為の渡来、人的交流
③気候変動(寒冷化)による南下
④資源を求めて渡来
⑤侵略目的
渡来人の初期段階は①、②、③が多く、古墳時代に入って新天地を求めて⑤が登場します。
その中で今回注目したいのが④です。日本列島に大陸にはない資源があったとしたら十分に成立しますし、一般的に考えれば危険な海を越えて命がけで渡ってくる場合、相当の目的があるということが想定できます。
大陸には既に採掘されつくして枯渇していた水銀を求めて日本列島にやってきた、と考えられない事もないのです。
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まずは水銀とはなにか?その効用について調べてみました。
ウィキペディア「辰砂」より
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辰砂(しんしゃ、cinnabar)は硫化水銀からなる鉱物である。日本では古来「丹(に)」と呼ばれた。水銀の重要な鉱石鉱物。不透明な赤褐色の塊状、あるいは透明感のある深紅色の菱面体結晶として産出し、錬丹術などでの水銀の精製の他に、古来より赤色(朱色)の顔料や漢方薬の原料として珍重されている。
中国の辰州(現在の湖南省近辺)で多く産出したことから、「辰砂」と呼ばれるようになった。日本では弥生時代から産出が知られ、いわゆる魏志倭人伝の邪馬台国にも「其山 丹有」と記述されている。古墳の内壁や石棺の彩色や壁画に使用されていた。奈良県、徳島県、大分県、熊本県などで産する。
中国医学では「朱砂」や「丹砂」等と呼び、鎮静、催眠を目的として、現在でも使用されている。有機水銀や水に易溶な水銀化合物に比べて、辰砂のような水に難溶な化合物は毒性が低いと考えられている。
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⇒つまり水銀とは漢方薬であり、鎮痛剤なのである。
また、古墳や壁画の彩色顔料としても重宝されていた。
しかしそれだけではない。水銀は中国に限らず、エジプトやインドなどの古代史に必ず登場する貴重な金属なのです。それについて書かれている記事を紹介します。
yahoo百科より紹介します。
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古代から知られていた重要な金属の一つで、中国、インドなどで古くから保存用その他として化合物が広く用いられており、紀元前1500年ごろのエジプトの墓中からも発見されている。辰砂を焼いて水銀を取り出すことについては、前300年ごろローマのテオフラストスによって初めて確実で詳細な報告がなされており、6世紀の末ごろには金鉱石から金を抽出するのにすでに水銀が用いられたという記録がある。
しかし、それよりはるかに古く、たとえばエジプトや中国、朝鮮その他の古墳の発掘品に、水銀アマルガムを用いて金めっきを行った形跡のあることがわかっており、水銀の使用が始められたのはきわめて古い時代のことであったと思われる。
前漢のころの書『淮南子(えなんじ)』にはすでに「丹(たん)」の記載があり、3世紀の『博物証』には「丹砂を焼けば水銀を成す」という文章が残されている。
日本でも『風土記(ふどき)』や『日本書紀』には水銀についての多くの記載が残されており、水銀採取に関係のある神社として古くからの丹生(にう)神社は各地に存在している。また、たとえば東大寺の大仏建立にはアマルガム法によるめっきが行われ、使用された錬金(ねりがね)1万0436両、水銀5万8602両という記載が残されている(『東大寺要録』)。
水銀が液体であることと、多くの金属を溶かしアマルガムをつくることは、とくに錬金術師たちに注目されていた。すなわち、水銀はすべての金属の共通成分であり、水銀の含有量を変えることで、ある金属を他の金属に変えることもできるというように考えられていた。
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水銀は保存用として使用され、さらに液体である為に金属の加工、活用に必要な重要な薬品であったのです。
この水銀が日本列島に相当量埋蔵されているとしたらどうでしょうか?
水銀は火山帯に即して採掘されます。日本列島では辰砂は中央構造線に確認されています。朝鮮や中国に少なくて日本に集中しているもの、それは火山帯 です。
中国の有力者が早くからそれに目を付け、採掘の為に人と技術を送り込んだとしたらどうでしょうか?
十分に可能性のある話だと思います。朝鮮半島には鉄、日本には水銀と当時の大国、中国は鉱物資源の産地を求めて交易さらに搾取をしたという仮説も十分成り立つのではないでしょうか。
最後にその辺りを書いた最近のるいネット記事を紹介しておきます。じっくり読んでみてください↓
三輪山、葛城山が聖域とされるのは何故か?この地の水銀=辰砂が大和建国の鍵を握っていた!
投稿者 tano : 2009年03月30日 TweetList
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コメント
投稿者 さぶろた : 2009年5月4日 04:47
平坦な田んぼを広く造り、水路を張り巡らすために土砂捨て場を一ヶ所だけにした。
もし必要な埋め土があれば、勝手に掘らずに、そこからしか出さないルールをつくれば平坦が担保しやすい。
最後に残った土で古墳を作ったのかなあ。