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2012年04月10日

日本と中国は共働できるか?15~エピローグ1(中国を識る)

このテーマを半年間あまり縄文ブログ仲間と議論し追求を重ねてきました。 🙂
その為にはまずは中国の歴史を知るべし、それも教科書の内容ではなく、裏の本質部分を少しでも深く抉り取りたい、そんな思いでこのブログの記事を積み重ね、私たちなりには一定の成果はあったのではないかと自負しております。
さて、冒頭のテーマの答え をそろそろ出さなければなりません。
結論を急ぎたいところですが、中国を識る という事で、まずはこのブログで展開してきた記事を総集してみます。各記事で書かれた文章の中から ここぞ というポイントを抜粋して振り返っていきます。
各記事の後ろにこのテーマで設定した5つのジャンルテーマ
 支配・戦争/市場/思想/大衆/気候外圧を明記しておきます。各ジャンル毎に時代を経て3つから4つの記事で書かれており、ジャンル毎に読まれても通史が見れます。
支配・戦争 リンク1リンク2リンク3リンク4リンク5 
市場 リンク1リンク2リンク3
思想 リンク1リンク2リンク3
大衆 リンク1リンク2リンク3
気候外圧 リンク1
ジャンル別記事)
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プロローグ「日本と中国は次代で共働できるか」
このような内戦につぐ内戦を繰り返した国家の歴史を持つ国は他に事例がありません。
つまり、この支配者と大衆の間の繰り返す内乱こそ中国を読み解くポイントであり、なぜそのような状況が生まれたのか?を見ていく事が中国の幇に代表される集団的自我、中華思想に代表される国家的自我を解明する手がかりではないかと思います。
1.国家形成前、夏・殷・周時代の支配・戦争の歴史支配・戦争1
中国はこのように有史以降は遊牧民が国を作り国を壊していった過程が長く続きました。しかし、一点忘れてはならないのが、争いに塗れた支配層の下で農耕民は生産の担い手として重宝され、西洋のように皆殺しや殺戮は行なわれなかったという事です。支配者となった遊牧民は農耕民には容易に転じず専ら彼らから交易や徴税して搾取する事で生計を立てていたのです。それがこれから読み解く中国の基本構造ではないでしょうか?
2.中国の市場国家の起源とは?市場1
人類は洞窟を出て地上に進出し、集団の拡大→分化を繰り返し、同類闘争の潜在的な緊張圧力が働き始める中、「贈与」=互いに贈物etc.を通じて友好関係の構築に努め、闘争を回避していました。一方、後に登場した遊牧部族は、それとは違った地域間交流をしていました。遊牧という生業ゆえに登場した「交換」「交易」がそれです。
⇒中国が市場国家であるのは同時に遊牧国家と同義と言えます。遊牧民は元々、移動、交換によって成り立っていたのです。物資を移動し交換する市場の原型とは遊牧民の生活スタイルを延長させたものと言えるでしょう。
3~道教から中国の可能性を探る思想1
中国では、受け入れ体質の農耕民に対して、その集団性や文化を残したまま支配しました。共同体(共認充足)が温存された結果、現実は充足対象のままであり、西欧のような現実否定に基づく架空観念(ex.あの世)は必要なかったのです。
中国人の意識の深層に、本源性を色濃く残した道教の精神が残っているのなら、その道教(の精神)を紐帯として協働の可能性はあるでしょう。
4~中国の大衆史①母系から父系に転換したのは何で?~大衆1
中国の集団は大家族単位の父権社会を強固に維持していく事になります。秦、漢時代を通じて、大衆の強制移住、集団移住は繰返され、土地に根ざさない移動の民、中国の大衆の意識を作り上げていきます。しかし移民であるが故に常に移動した先での外圧は高く、家父長のリーダーシップが集団の命運を決定付けました。その意味では中国にとっての家族とは国家からの強烈な法制圧力、理不尽な強制力への大衆側でとった唯一の抵抗手段でした。
5~中国の自然外圧は豊か?厳しい? 気候
中国の自然破壊とそれによってもたらされる災害は既に自然外圧ではなく人災であると言えます。現在この環境の再生に政府はようやく気づき、その途につき始めていますが、所詮ビジネスの枠の中で考えており、自らの自然観を疑ってみるようなことはしていません。中国と日本が共働できるかどうかを困難にしているのは、経済や国家体制のみならず、この自然に対する考え方の差異にあると思われます。つまり、日本人は中国の(開発指向の)自然観が理解できず、中国人も日本人の(摂理を重んじる)自然観を理解しようとしない。この溝をいかにして埋め合わせていけるのかが、このテーマの本質の一つだと思います。
6~春秋戦国時代~秦・漢時代の支配・戦争の歴史支配・戦争2
このように、秦の時代に形成され漢に継承された唯我独尊の『徳化』志向が、中国の思想の底流に刻印されたのです。「徳化」とは、中国の君主の徳に相手が“同化されること”で、一人の中国の君主のもとに、あらゆる地域の人間が、また民族が、中国の君主の権威高揚のための手足となり、一人のためだけの世界が成立することを理想として打ち出されたものです。
7~鉄によってもたらされた中国の市場市場2
西洋の市場が王族に限られた幻想商品の段階に留まっていたのに対して、中国では大衆レベルまで裾野が広がっており、その商品の中心は生活必需品に近い鉄や塩といった、いわば「実質市場」に終始していたからだと考えられます。つまり、中国の市場は「幻想市場」を経由せずいきなり「実質市場」から始まったのです。
8~諸子百家とはなんだったのか思想2
支配層から大衆までをも一貫する私権確保の目標。これを実現するための統合思想への期待。それを実践する官僚という役割への収束。そして、多くの官僚を登用しうる各国の経済力。中国において諸子百家を登場させた、帝国王朝成立前夜の状況です。
群雄割拠の戦乱期、各国が富国強兵を推進し、覇者となり各国を支配するため求められた高度な思想や制度的方法論。そのような各国の現実的な統合期待(政治的要請)に応えるため登場したのが諸子百家です。
9~遊牧民からみた中国史支配・戦争3
このように時々の遊牧民の影響を常に受け、匈奴、鮮卑、モンゴルと中央アジアの支配者の力学で変化していったのが大国中国です。
しかし、常に前代の王朝のシステムを継承し、それを先鋭化させていくという方法は いかにもどの時代を取っても支配者は同郷である中央アジアの遊牧民であることを示しています。その意味で徹頭徹尾遊牧民による支配国家が中国という国家の実態なのでしょう。
10~中国の大衆史②”幇”の構造。切っても切ってもつながる中国人大衆2
しかしこの幇を紐帯として集団で生きることを選んだ中国の人々を私たちは異常で愚かな人たちとみることはできません。中国は周辺遊牧民が次々と乱入し、農民は食い物にされてきた歴史があります。そんな中で生きるための処世として、繋がるための幇をつくり適応していったのではないかと考えます。その意味では人間関係の中に可能性を求める集団性を残した中国人とみることもできます。
11~宋代の経済力を支えた江南地方の稲作農耕民市場3
遊牧民の支配体制は、その土地の集団や社会制度は温存したまま支配するという二重支配がその特徴ですが、宋も同様に支配したと思われます。それゆえ、稲作農耕民の村落共同体はそのまま残り共同作業が不可欠な水田稲作において、彼らの高い共同性や勤勉性が発揮され、それにより高い生産力を実現したのではないでしょうか。
宋代とは、それまでの漢族・(漢化した)遊牧民中心の華北文化に、南方の稲作農耕民の文化が深く浸透した時代だったと言えるかも知れません。注目したいのは、この宋代の江南地方の稲作農耕民の存在であり、その中国国家に対する影響です。日本に稲作を伝えた末裔とも考えられる彼らとならば、次代で共働できる可能性がありそうです。
12.経済破局後、国家の束縛から解かれた地方都市と中国人特有の集団性にこそ可能性がある~大衆3
また、中国の改革・開放期以降、地方分権により、地方の権限がかなり強化されました。これによって地方の自律性が高まっています。今後、共産党の統合力が弱まるにつれて、地方都市の独立性が高まってくると考えられます。中国人を長年拘束してきた、私権の強制圧力が衰弱し、その呪縛から解き放たれた時、中国人は本来の農耕民としての勤勉性を取り戻す可能性があります。元々幇に見られるように集団性に長けた中国人です。
日本と中国が協働できる可能性の糸口は、地方都市の独立と中国特有の集団性の2点であると最後にまとめておきたいと思います。
13.中国の共産主義に可能性はあるのか思想3
一方、日本が中国と共働する意味は、根本的には脱欧米路線です。 否定発の共産思想を超え、新たな思想を構築できるのは、肯定発の縄文気質が残る日本人しかいません。今、資本主義が行き詰まりを見せる中、日本は世界を先導する新たな理論の構築とその実践の場になることが求められています。そのとき、初めて真の意味で中国との共働が可能になるのです。
14.中国の軍事力は脅威か?その1/中国の軍事力は脅威か?その2支配・戦争4
人民解放軍は、中華人民共和国という国家が自分を防衛するために作り出した軍隊ではない。既に出来上がっている中華民国という国の中で、圧倒的に優勢な国民党に反抗した共産党という少数派が、生き残るために武器をとって必死に戦った。その戦いの中で自然と育ってきた軍隊だ。すなわち、最初から内戦用に作られた共産党の軍隊なのである。
この軍隊は冒頭でも述べた通り、元々の出自が国防軍ではなく革命軍であり、バンの絆を紐帯とした地方軍閥の色彩も濃厚に残していることから、地方の独立の動きが活発化し、共産党の勢力が極端に低下すれば、中央の意向は行き届かなくなり、地方の防衛軍として機能していくこともあるかもしれない。
中国は抑止力としての軍事力は保有しているが、過去の歴史を振り返ってみても、対外戦争を行ったことはなく、侵略戦争を自ら起こす可能性は極めて低いと考えられる。

投稿者 tano : 2012年04月10日 List  

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