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2008年01月19日

中国文明:意識の源流を探る~「人間」ではなかった人々

最近、中国ネタの記事を読んでいて、ふと感じたこと。やはり、この国の人々の意識は何か違和感を感じざるを得ない 一体、どこに源流があるのだろうか
今までは、どうも支配する側の意識を追求しすぎていたと感じた。今日は、支配する側だけでなく、農民などの庶人の意識などにも視点を置こうと思います 😉
じゃぁ、どの時代か…やはり殷ではないかと考え、史実を改めて追ってみると…
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これほどの扱いを受けると人間の意識はどうなるのだろうか?恐ろしさを感じた
byさーね
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殷王朝期の「家内奴隷と犠牲用異民族」の話です

いうまでもなくこの人びとは、自分の生死が主人の生死によって決定されるのであるから、けっして自由民ではなく、族長個人に隷属した奴隷であったと考えることができる。この奴隷は、族長の身辺に奉仕するのがその仕事であり、農耕などはそのおもな仕事ではなかった。こうした奴隷は、厳密には家内奴隷とよばれている。それともう一つの人びとがやはり問題になる。それは首をきられて犠牲とされた人びとである。この人びとは、まったく人格を無視された存在であることはいうまでもない。しかし、これを奴隷だといちがいにいってしまうことも危険である。なぜなら、歴史学で奴隷というときは、農業生産などに使役されながら、ほとんど人間としての人格を認められない人びとをさすばあいが多いからである。

甲骨文にも、この首を斬って神に供えることを卜(うらな)った記録が相当数あるが、そのときには羌とか南とよばれる、殷にとって異民族視された人びとが首を斬られることが多い。それだけでなく、羌などの捕獲の成否をも卜っているから、農業生産の労働者としてよりは、むしろ犠牲とすべきものとして考えられていたのだろう。

では、こうした犠牲とされる人たちを、当時同じ人間として考えていたのであろうか。たとえば、鄭州(ていしゅう)の殷前期の層の濠溝から鋸をつかって切断した人頭骨の上半部分が百近く発見された。これは碗として使うために作られたもので、鋸で挽いたあとは、砥石で整形している。このほか骨角器の製作場址からは他の哺乳動物の骨とともに、人骨を材料としたものが多数発見されていることから考えると、これらの器具の素材とされていた人間は、牛や羊などと全く同一視されていたといえよう。おそらく血縁かなにかの社会的な関係で結ばれている範囲が、同じ人間として意識される範囲であり、それ以外は人間とは考えなかった、現在のように種族をこえた「人間」という意識などは全く存在しなかったといえよう。これに対して、後期の時代に斬首をして、その首を死者の霊に供え、それによって死者の霊を強化しようとしたことは、たとえ種族は異なっても(事実、侯家荘から武官村にかけて発見される人身御供にされた犠牲の墓から、斬首された骨格が大変大きな人間が十数人発見されている。おそらく人種がことなるのであろう)、霊としては同じ働きをすると考えていたことがわかる。

殷王朝は、多くの異族や国と同盟関係を結びながら勢力を拡大したのであるから、すべての異族を羌や南のように扱うことは不可能であった。だからその紐帯の一つとして、ほんらいの異族神を自然神として殷で祭祀したり、それを王系のなかに組みこんで、なんらかの関係を設定しようとしたのであるし、また、古い祖先のときから同盟関係があったという話も考え出されていたのである。こうして「人間」という意識が形成されたのである。

いずれにしても、この首を斬られたものを、いちがいに奴隷ということはできないのであり、そこには現代のわれわれとは異なった血縁の論理があったのである。

(「古代中国 原始・殷周・春秋戦国」貝塚茂樹 伊藤道治著 講談社学術文庫より抜粋)
自らが神の正統な継承者であると正当化するために、王朝は、このように「人間」という意識を形成してきた。到底、現代では理解できない意識である。
一方で、このような状況下で犠牲になった部族の人々はどのような意識になるだろうか
完全に他人を否定視する意識に陥るだろう。しかし、人が一人で生きていけるはずもない。その結果が、このブログでも報告されている中国の特有の人間関係 「幇」に結びついたのではないだろうか

幇内の人間関係は、まことに生死をともにするものである。では、幇外の人間関係は、どういうことになるのだろうか。
ひとことでこれを言うと――。
何をしてもよろしい。窃取強盗ほしいまま。略奪、強姦、虐殺・・・・何をやっても少しもかまわない。いや、かまわないどころではない。それが論理であり、それが道徳である。・・・・・

殷の後期になると、それまで異民族とされていた人以外もまた犠牲用異民族となったようだ。さらに、部族間の警戒心と猜疑心に拍車がかかっただろう。
殷王朝期に形成された意識:人を「人間」としてみない
この史実が、中国の人々の自己中心的な意識の源流を形成しているのではないだろうか

投稿者 sawatan : 2008年01月19日 List  

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コメント

メソアメリカ年表初めて見ました。非常に興味がわきます。
3500年の歴史があるのですね。遺跡で発見されている部分だけですからたぶん集落の歴史はさらに5000年は遡るでしょう。
西欧や中国の社会と500年前まで接触せずに全く別の流れで進んできたアメリカ大陸の文明史を調べていく事は、単に4大文明と比べる亜流文明という見方だけではなく、戦争を中心として科学技術を発展させてきた欧州・アジアの私権社会文明とは異なる流れを探していくことにも繋がると思います。
今後の探索、おおいに期待です。

投稿者 tano : 2008年2月10日 11:35

メソアメリカという概念始めてしりました。
興味津々です。

投稿者 banzai : 2008年3月1日 17:52

紀元前1000前後のメキシコでオルメカ文明が栄え、南米ペルーでは紀元前800年頃からチャビン文明が隆盛期にありました。両文明の遺跡から発掘された土器や石器は、シャーマンから鳥獣(ジャガーが最もよく出てくるテーマですが)への変身過程を表現しているものが多いです。
NY在住の為、休暇の度に米国内の美術館巡りをしているうち、メソアメリカの美術・文化に興味を持つようになりました。今ではメソアメリカ文明を初めとする、オセアニアやアメリカのインディアン文化など世界中のPrimitive Artと呼ばれると先住民族の芸術に魅了されています。
これらメソアメリカ文明関連の土器(壺、人物や鳥獣の像)、石器、金製品などは欧米ですと”プレコロンビアアート(コロンバスがアメリカ大陸に到達前の文明という意味)”と呼ばれ、サザビースなど主要オークションハウスで取引される為、収集家の間で活発に売買取引されているようです。日本国内にはプレコロンビアアートの流通市場は確立されているのでしょうか? ご存知の方いらっしゃいますか?

投稿者 TomVeraCruz : 2013年5月5日 04:23

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