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2011年06月14日

中国とは何ものか?~「鋳造」が作り出した支配の歴史

中国の歴史の特殊性を考える上で避けて通れないのが金属の歴史です。他地域でもヒッタイトの鉄のように金属を持った部族が圧倒し、国家を打ち立てた事例は多数あります。中国の古代王朝もその歴史法則をトレースしており、金属の製造技術の確立とともに武力国家が誕生しました。しかし中国の金属史を語る上でもう一つの重要なポイントがあります。

「古代中国の金属製造技術は「鋳造」に始まったことに最大の特徴がある。このことはその後の中国の金属文化のすべてに大きな影響を及ぼしている。欧州古代においては、青銅器は青銅器時代の晩期であっても、鍛造で製造された。しかし中国では全く異なり、新石器時代の末期から青銅器は鋳造で作られた。」

中国の製鉄技術史より抜粋させていただきました。※以後の記事もオレンジ色の部分はこのサイトからの引用です。
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兵馬俑~おびただしい数の青銅像は秦の始皇帝の時代にすべて作られました。
これを見るだけで中国の青銅器文明とその象徴としての王の権力がいかにすさまじかったかが伺えます。幸せな生活より借用しました。
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「この鋳造技術が一応の確立をみたのは夏時代(紀元前1766年)である。商時代初期からほとんどすべての青銅器は鋳造で製造され、商時代には鋳造技術の最盛期となった。現代人が驚くような複雑なものや大型なものも多数製造された。鋳鉄は鍛造よりも生産効率が高いが、高温度まで上げられる溶融炉などの設備と優れた技術者が必要である。古代の中国の文献にも「鉱石から銅を精錬し、鋳型に鋳込むことができるようになって、初めて金属文化が開花した」とあり、中国の金属文化の特徴とルーツを鍛造技術に求める。」


銅の鋳造はその後の中国の鉄の歴史にも繋がっていきます。鉄の鋳造温度は銅よりさらに高温で現代的に考えても相当の技術力を要する事が想像できます。しかしその技術力の壁を中国の場合簡単に突破して行きます。

「鉄の鋳造技術はヨーロッパではAD14世紀頃からであるのに対して、中国ではそれよりも千数百年前の戦国時代(紀元前476年―221年)頃に始った。
青銅器の鋳造技術はその後の戦国時代には鉄を対象に適用され、鉄の鍛造技術としてさらに発展した。対象が鉄に変わったことによる技術的ギャップは、中国に限っては現在想像するよりも容易に試行錯誤することによって乗り越えることができたと考えられる。」

中国の金属史は他地域と同様、銅から青銅、さらに鉄に変遷していきますが、青銅と鉄は長い間併用されており、加工しやすくて十分に硬度が有り、さらに独特の光沢を放つ青銅は鉄よりも優れた金属として重宝されました。その結果、中国における銅と鉄の歴史は実に1000年間も重なっているのです
【中国の銅の歴史】
中国の銅は青銅にすることで硬度を保ち、祭具だけでなく、農機具、武器にまで使われました。銅を青銅にする技術は銅に錫を混合させる技術で、中国以外にも歴史的にはかなり古くから発見されていますが、中国のそれは硬度においても生産量においても、製造技術においても他地域とは比べ物にならないほどの優れたものでした。既に殷代の青銅は現代的に見ても優れた美術品として評価されており、相当の技術とそれを支える職人集団、さらには遠方の産地から集送するルートを持っていたことを示しています。
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シルバーアクセサリークロマニヨンさんより借用しました。
銅の産地は現在では南方に固まっており中国北部には朝鮮半島上部に一部存在する程度です。(下記分布図参照下さい)
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古代は現在とは銅の産地も分布も多少異なるかもしれませんが、いずれにしても中国の各地から銅を集積していたのは間違いないでしょう。殷王朝での銅器は祭器や食器に多く見られますが、それは単に殷が祭祀文化であったことを示している訳ではありません。銅は武器として使われていたのではないでしょうか。梅原猛氏は著書「長江文明」の中で以下のように語っています。
「あの殷、周のような銅器は他の世界にはないのです。どうして中国はあのようなものを作ったかというと、神祭りだという。中国においては祖先祭祀が大事だったからだという。あれはみんな礼器ですね。どうも僕は、それだけではなくて、黄帝が蚩尤をやっつけたのは、黄帝のほうが青銅の武器を持っていたからです。自分が使って勝った青銅の武器を尊敬する為に青銅器の礼器を作ったんじゃないかと思っている。どうもそういう銅器の武器で圧倒的に勝ったような気がする。」
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つまり夏も殷も周も、中原という南船の終着地、中継地を押さえることで金属を受け入れる体制を作り出したのだと思われます。時の王朝が中原を押さえた要因は南方との銅交易にあったのではないか。そう考えると中国の市場網の起源とは鉱物を運ぶ流通網だとも言えます。
【中国の銅の歴史】
次に鉄の歴史を見ていきます。鉄は周の時代から認められますが、実際に国内に出回ったのは春秋時代が終わった頃、戦国時代(紀元前400年―200年頃)の始まりです。鉄の製法は中国の南と北で異なりました。河南、湖北では赤鉄鉱、鏡鉄鉱、砂鉄など、華北の磁鉄鉱に比べ概して低い温度で還元できた為、原始的な床型や竪炉で充分還元できます。この製法が朝鮮や日本に伝わる、いわゆるたたら製鉄です。この工法は人力に依って鋼にしなければならず、非常に丈夫であるが、効率が悪く量産には向かない。南の地域ではかなり後代まで鍛造による製鉄が行なわれています。
華北の製鉄はそれに比べ、それまでの銅の製法を引き継いで鋳鉄を大量生産する工法によって製鉄の歴史は始ります。しかし当時の鉄製品はすべて農機具がほとんどですが、この大量に作られた農具で華北の農地は戦国時代から秦代にかけて大量に開墾され、各首長の領土が拡大されました。この領土の拡大合戦が戦国時代の争いを生み、中国国内での激しい戦乱史に繋がります。やがて鉄による武器の開発が進み、秦代になると鉄を大量に所有した秦が中国最初の統一王朝として君臨していきます。
%E8%BE%B2%E8%80%95%E5%99%A8%E5%85%B7.jpg~農耕具型の貨幣です。
鉄の生産地はどこにあったのでしょうか。鉄という文字が銕と書くが、夷というのは東という意味で、中原から見て東、あるいは南東を示しており、呉や越のある地域に鉄の産地も集積していた事を示しています。
この頃の鉄の生産はすべて民間の地主によって開発され独占しており、秦代には鉄富豪が多数存在していました。しかし次の王朝、漢になると紀元前119年にすべての鋳鉄所を国営にし、皇帝がその製造を独占します。当時は全国に46の国営鋳鉄所があり、鉄官を配して、鉄を集約する事で国家の体制を整えました。漢は鉄官に代表されるように国家が市場を独占する最初の王朝であったとも言えます。膨大な収益と武力を整えた漢はその後、数百年間の安定王朝を築きます。
このように夏の時代から漢まで、金属がその時々の王朝の武力を決定付け、中国は鋳鉄という技法を自前で獲得する事で名実ともに世界の中でもいち早く文明国として先行、国力を有する文字通り中華思想を作り出す国家となっていきました。しかしこの金属の歴史によって華北の自然破壊はあっという間に進行し、既に漢代には華北の森は消え黄土の地と変り、中国の歴史の中心は南へ移動する事になります。
中国が戦乱にまみれたのも、市場を中心に国家が形成されたのも、結果的に富と武力を国家が中央集権的に管理するようになったのも、この金属の支配権を巡る争いであったと見ることができます。現在でも金属の産地であるチベットは言葉も文化も異なり、自治区としながら決して中国の国土から手放そうとしません。チベットは銅、レアメタルなど豊富な金属資源の宝庫だからです。
これら金属の歴史を考えてみると中国が国民性や国家体制など西洋と異なり、他の東洋の国家とも一線を画すのは、鋳造という手段を自前で早くから獲得し、その結果、飛びぬけた国力を有してしまった
意外とそういった理由が中国の特徴を考える上で重要なのかもしれません。

投稿者 tano : 2011年06月14日 List  

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