| メイン |

2011年04月04日

「人類の部族移動」1,2,3の中間整理

「シリーズ 人類の部族移動」は、西洋や東洋の諸文明が形成された過程を解き明かすことで、現在崩壊の過程にある西洋文明の正体と、それに替わって期待される東洋文明、中でも日本の可能性を明らかにする事を目的としています。
シリーズ「人類の部族移動」その1~人類史を追求する意義と視点
シリーズ「人類の部族移動」その2~モンゴロイドの誕生と拡散
シリーズ「人類の部族移動」その3~南方モンゴロイドの拡散と新モンゴロイド
これまでの記事から明らかになってきた文明形成以前のモンゴロイドの姿について中間整理を行います。
%E3%82%B9%E3%83%B3%E3%83%80~1.JPG
アジアのモンゴロイドのふるさとであるスンダランド。原モンゴロイドが辿りついた5万年前はこのような姿だったと考えられるが、1.4万年前から水没をはじめ6000年前には現在の姿になった。
↓応援をお願いします。
Blog Ranking にほんブログ村 歴史ブログへ

 にほんブログ村 歴史ブログへ


■これまでの記事の新認識をまとめると
「モンゴロイドの誕生と拡散」
●原モンゴロイド
ユーラシア大陸の大半に広がったモンゴロイドの基点は、もっとも遡れば7万年前、少なくとも5.5~5万年前に遡る事ができる。これを「原モンゴロイド」と呼ぶ。
シリーズ「人類の部族移動」その2~モンゴロイドの誕生と拡散
●南方モンゴロイド
原モンゴロイドは5~4.6万年前にインドからスンダランド、中国南方へ拡散し、以降、長い年月の間、大きな移動もなく南方に適応的な形質を高め、温暖な気候の中で相互に共存共栄してきた。
この南方での数万年の歴史がモンゴロイドの基礎になっている。
●北方モンゴロイドと中亜モンゴロイド
インドから中央アジアを経て4万年前?北方に向った部族もあったが、これは現在の新モンゴロイド(トルコ族/モンゴル族/ツングース族)とは別部族であり、繋がっていない。
「南方モンゴロイドの拡散と新モンゴロイド」
●D系統について
1.4万年前にスンダランドが水没。スマトラ島あたりを原点にする部族(D系統)がなぜチベットと日本に存在するのか?Dは一旦モンゴル高原まで北上し、ここで日本へ(D2系統)と、チベットへ(D1/D2系統)と2方向に分かれたとみれば整合する。
●新モンゴロイド
現在の新モンゴロイドは、1.4万年前のスンダランド水没によって東南アジアからタリム盆地に北上した部族(O系統)のうち、1万年前にアルタイ山脈~モンゴル高原へとさらに北上した部族(O3系統)である。
■ポイント:新認識とこれまでのイメージの違い
●ポイント1.
昔、中国にいた部族が現在の中国人の特性(気質や形質)の原点という事にはならない。(部族が異なる) これは他の国でも同様で、諸文明は部族移動によって塗り重ねられて形成されたと見るのが正しい。
●ポイント2
新たな事実(Y遺伝子)から見えてきた部族移動史からすれば、いわゆる「北方モンゴロイド」という総称は極めて不正確で誤解を生みやすい。
ここでは4万年前?バイカル湖周辺などの北方に痕跡が残っている部族を「北方モンゴロイド(C系統)」、2.7~2.1万年まえに中央アジアから北方に移動した部族を「中亜モンゴロイド(C3系統)」と呼び、1万円前にアルタイ山脈~モンゴル高原へ北上した部族を「新モンゴロイド(O3系統)」と呼んで区別する事にする。
●ポイント3.
また、いわゆる北方モンゴロイドと南方モンゴロイドという2つのグループの設定は、新モンゴロイドが数万年前の歴史があるかのような錯覚で、部族移動の史実にそぐわない。シベリア等に残っている一部の部族(C3)やアメリカ大陸に向った部族(C3/Q)を除けば、モンゴロイドは(新モンゴロイドを含めて)全て南方に原点がある。
■参考となる記事を合わせて紹介します。
シリーズ「人類の部族移動」その1~人類史を追求する意義と視点
 →「2010年末なんで屋劇場レポート1」
  →「Y染色体亜型分類の系統樹」
  (Y染色体からどこまでの事がわかるのか?)
シリーズ「人類の部族移動」その2~モンゴロイドの誕生と拡散
 →「2010年末なんで屋劇場レポート2」
  →「モンゴロイドの歴史① 20万~4万年前 スンダ・モンゴロイド、北方モンゴロイドの誕生」
   →「インドのY遺伝子分布(基礎情報)
   →「インドの民族の形成過程について」
   (インドには原モンゴロイドのHタイプがある)
  →「モンゴロイドの歴史② 4万~1.3万年前 中央アジア・モンゴロイドの誕生と拡散」
   
   →「NHK『日本人はるかな旅1』は断片的事実」
   (NHKの北方モンゴロイドの解説は???)
シリーズ「人類の部族移動」その3~南方モンゴロイドの拡散と新モンゴロイド
 →「2010年末なんでや劇場レポート3」
  →「モンゴロイドの歴史③ 1.4万~1万年前 スンダ・モンゴロイドの誕生と拡散」
 
   →「Y染色体亜型分類の系統樹」
   (D型がどの系統から分かれて日本人(D2)になったのかの系統図)
   →「遺伝子で見る日本人との違い 3」
   (D1、D2、D3の分岐系統の解説。出典元は「三日月城通信」)
   →「Y染色体D2系統(≒縄文人)の起源に触れた論文」
   (D系統に関する中国人研究者の論文)
 
  →「モンゴロイドの歴史④ 1万年前~6000年前 新モンゴロイドの誕生と拡散」
   →「遺伝子で見る日本人との違い 4」
   (O系統に関する記事)
   →「北方(新)モンゴロイドの拡散(ツングース族、モンゴル族、テュルク族の起源)」
by tamura 

投稿者 nandeya : 2011年04月04日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/04/1236.html/trackback

コメント

東北地方の韃靼人が支配したとする山縣氏の見解は私自身新たな発見でした。
東北の蝦夷は確かに大和朝廷から畏れられ、蝦夷討伐に何度も失敗し多くの時間、人を費やしたという歴史があります。
これまで多くの歴史書では蝦夷を縄文人の末裔ではないかとし、私もそのように思ってきました。中でも蝦夷のリーダーであったアテルイは英雄で、未だに東北地方では語り継がれています。アテルイ軍の取った戦略はまさにゲリラ戦で朝廷軍の背後に回り意表をつくその作戦です。
しかし、平和志向の縄文人がなぜこれほどまでに戦闘に長けていたのか、ずっと謎でしたが、これで晴れたように思います。
アテルイは縄文人の末裔などではなかった。列記とした騎馬民族だったのです。そう言えばアテルイの名前も騎馬民族のような名前に見えてきますね。
山縣氏の史観に興味が湧いてきています。

投稿者 tano : 2011年9月11日 11:13

カタカムナに学ぶ~放射能の中性化も可能にするカタカムナ人(原日本人)の認識

画像は「楢崎研究所」からお借りしました。 「近代科学の史的総括1」、「近代科学の史的総括2」において、 西洋近代科学が市場社会の拡大による自我の肥大を原…

投稿者 日本を守るのに右も左もない : 2011年9月14日 00:16

コメントしてください

 
Secured By miniOrange