| メイン |

2011年06月27日

中国人とは何者か?~中国の私権性、商業的詐術の起源を殷人に探る2

前稿に続いて、殷人の特徴を見ていこう。
●殷人の特徴2~商業
●○夷人のもっていた贈与のための貝文化を商業ネットワークに換骨脱胎
C04.jpg
写真は子安貝の貨幣。数ある貝の中でも子安貝は沖縄、ベトナム、モルディブなどでしか採れない希少価値の高い貝であった。こちらよりお借りしました。
殷人による夷人改造は武力に関することだけではなかった。殷人は夷族が贈与のために使ってきた「貝の文化」を吸収し、商業ネットワークに換骨脱胎していった。

 にほんブログ村 歴史ブログへ


もともと海洋民である夷族たちは海岸線に沿って、故地であるスンダランドまでネットワークを形成していた。その証が子安貝である。殷の支配階級はこのネットワークを使って南海から子安貝を集めた。殷代中期墓から460個の子安貝、殷代後期の都殷墟の妃の墓”婦好墓”からは6880個もの子安貝が、副葬の青銅器、玉器とともに出土している。殷人がこの時から貝を商売道具として貨幣のように使っていたかどうかは定かではないが、地方からの貢物だったのだろう。おそらく夷族のリーダーたる殷に海洋民族はせっせと子安貝を貢いだに違いない。
ところが殷は国を失うと商売人に転じ、これらの貝を貨幣として使いはじめる。つまり周との争いに敗北した殷人はその溜め込んだ貝を元手に商売を始めたというわけだ。殷人は周の支配が及ばないニッチに出かけていっては、南方モンゴロイドにも理解しやすい道教を使って浸透していき、市を開き、商売網を広げていった。もともとモンゴル高原で遊牧民でもあり、武力集団でもあり、商売人でもあった殷人にとって周に負けたからといって商売に転じても十分食っていける技能は備えていたのだろう。(尚、彼らがその商業性を身につけたのはウイグルのホータンの玉の売買を通じてではないかと想定される。玉は新石器時代から中国最大の贈与品であった)さらに殷代には夷族に浸透するための夷族理解もかなり進んでいた。このように夷族が贈与のために使ってきた「貝の文化」を吸収し、換骨脱胎して殷人=商人によるアジアの商業ネットワークがつくられたという訳だ。これまた壮大なる詐術である。
kai448.jpg
子安貝の産地であった沖縄はその後、ゴホウラ、イモガイをもとにした貝貨をつくり朝鮮、そして日本にそのネットワークは広がっていった。日本古代史の重要な役割を担う薩摩の海洋民はこの貝ネットワークの本締めだったのかもしれない。こちらよりお借りしました。
●殷人=最初の北方、南方両モンゴロイドの融合民族にみるアジア的私権性
以上、殷人が南方モンゴロイドを支配し、私権性そして商業性を獲得する流れを見てきた。
まとめるなら、青銅器と馬車と潅漑技術という先進技術をひっさげて南下してきた北方モンゴロイドが、豊な海洋文化を持っていた夷族を、占術という観念支配を通じて戦闘的に改変させ、同時に夷族たちの贈与ネットワークを市場関係に組み替えていった。この北方モンゴロイドによる南方モンゴロイドの改変は、殷に限らず、その後の中国の歴史を通じて繰り返され続ける。春秋戦国時代にはますます多くの中原人が北方流入民に押し出されて南方に逃げ延びては商売を始めた。魏朝の頃には、東方へも市場を拡大していき、朝鮮そして日本も中国の商業ネットワークに組み込まれていったのだ。
こうしてアジア全体に北方モンゴロイド発の私権社会と市場社会が広がっていくことになる。
最後に、こうして形成された中国人の私権性、商業性と西洋との違いをみてみよう。中華思想に代表されるように中国人が自己中的体質を持つことは否定できない。しかし、同じ自己中でも、中国人の自己中と西洋人の自己中には大きな違いがあるように思われる。
例えば、中国人は自分たちこそ徳のある文明の中心であると主張し、その制度・文化に同化しない周辺地域の民族を夷族、蛮族と蔑む。ただし、彼ら夷族、蛮族の思想を抹殺することはない。他方、西洋人(ヨーロッパ人)の自己中さは、自分たちの文化がセム・ハム族やトルコ族たちよりも後発であるというコンプレックスによってつくられている。例えば印欧語族の歴史を古くみせよう、みせようとして、ケルト人であれ、母権のアナトリア人であれ、自分たちの一部であるかのようにしてしまう。
つまり、中国人の自己中さは、南方モンゴロイドは簡単に騙せる、という北方モンゴロイドの経験に立脚した自信に裏打ちされているのである。
この史実からいえることは、アジアの平和=脱戦争と脱市場において、南方モンゴロイドのもう騙されないぞという認識(史実を踏まえた発想の逆転)が非常に重要だということである。
「南から見た縄文」シリーズ の視点も含めて、モンゴロイドのモンゴロイドたる特性をしっかりと認識し、もう騙されない、と気付くことがアジアの未来にとっても、世界の未来にとっても非常に重要なのだ。

投稿者 staff : 2011年06月27日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/06/1282.html/trackback

コメント

 儒教(その前身は周代の思想や学問)を軸に、時代状況を背景に各思想が生まれていった様子が、図解通して掴むことができました。商鞅のエピソードも面白かったです。
 ところで、諸子百家達は結局、この時代の中国に何をもたらしたのでしょうか。思想が花開き、多くの思想家達が生まれることは、その国の発展にプラスに働くのかどうか、良かったら教えて下さい。
 あと、その後の中国では儒教が国教化されたとのことですが、その時、他の思想はどうなったかも気になるところです。

投稿者 KT : 2012年1月17日 22:24

勉強になりました。
ところで、いろんな思想に家がついているのはなぜなんでしょう?もしわかったら教えてください。
そういえば国家も家がついていますね。何か思想と関係があるのかも。

投稿者 kenta : 2012年1月17日 23:40

コメントしてください

 
Secured By miniOrange