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2009年08月16日

“商業”を発明したフェニキア人とは?

こんにちは、saahです。
現代の金融と商人の起源については、「金融と商人の起源:「バビロニア」、そして「フェニキア商人」へ」でも紹介されています。
さらにその後、フェニキアの一植民市であったカルタゴからローマ、ベネチアの商人へとその系譜が移っていきます。(「ユダヤ・フェニキア勢のカルタゴ脱出→ローマ帝国解体→ヴェネチア」)
今日は、世界史上まれに見る商才を発揮し、古代地中海において一大商業都市を発展させ、「商業を発明した」と言われるフェニキア人とは一体どのような人々だったのかを追ってみました。
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(現在のテュルス(ユーラシア旅行社)よりお借りしました)
【歴史の表舞台に登場するまで】
■フェニキア人とはそもそも人種の呼び名ではない
 フェニキア人とは、紀元前1200年頃から、東地中海沿岸地域に住み、精力的に交易活動を行っていたカナン人の事を呼ぶ呼び名のようです。ただし人種的には一つではなく、共通するところとしては彼らは共通の言語を話していたことから、まとめてそう呼ばれていたようです。
■セム語族のアラビア半島からの拡散→カナンの地へ
 フェニキア人の話していた言語から、彼らはセム語族に属するとみられています。
 セム語族の出身はアラビア半島と考えられるのが有力なようで、そこから考えるともとは砂漠の民であり、半遊牧半農耕的な生活を営んでいた民と考えられます。
 
その後彼らは食糧難からか、各地に拡散→カナンの地に到着し、原カナン人他、各人種との混血を繰り返して行きます。(全て同じセム系)
 こうして、東地中海沿岸一体に住みついた人々をフェニキア人と呼ぶようになったようです。
 その後「海の民」と呼ばれるギリシャ系の海洋民族とも融合し、造船、航海術を身に付ける事になります。
■海の民による沿岸侵略→大国の権力の空白期に交易の場を広げる
 海の民とは、紀元前13世紀頃、東地中海一帯を荒らし回っていた集団で、民族的にはギリシャ系と考えられています。
彼らはエジプトにまで攻め込んで、そこでラムセス3世の軍勢に敗れて拡大に歯止めがかかったが、彼らにより、同地域一帯は多大な影響を受け、当時の大国、ヒッタイトやエジプトの勢力衰弱=権力空白地帯を生み出し、それに乗じてフェニキア人が交易の活躍の場をつかんだと考えられます。
(「カルタゴのページにようこそ」(武田寛礼氏論文)より要約)
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(「地球の歴史」より)
【フェニキアの国家形態】
■フェニキアの各都市は、独立的で、単一国家としては統合されていない
 フェニキア人には「国」というものはなかったようで、テュロス、シドン、ビプロスなど、それぞれがきっぱり独立したライバル都市であり、共通の敵に対抗するとき以外は協力して事に当たるというような事はほとんどなかったようです。
つまりは、フェニキア人とは領土によって定義される国民ではなく、商人の集合体であったようです。 
 →このことは、すでに本源的な共同体を解体されていたことの裏返しか?
  それが後述するフェニキア人の”資質”を作り上げているとも考えられないでしょうか。
■自らが統一国家として支配するより、交易による反映を選択した
 大国(エジプト、シリアなど)を相手に、交易で利益を掠め取る手段を選択 
 ∴交易の対象は権力者(王、領主)
          ↓
  自由貿易(取り扱い品の拡大)による利益の拡大
  さらには地中海沿岸に植民市を広げ、交易の対象範囲を広げる。
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(画像をクリックすると大きくなります)
【フェニキア人に対する評価】
■フェニキア人の評価→「策略家」「陰謀家」?
 北アフリカ沿岸の植民市カルタゴの建国にまつわる、次のような逸話があります。
 

フェニキアの都市テュロスにはその頃エリッサ(注)という王女がいた。
王女にはピグマリオンという弟とアケルバスという叔父がいた。叔父は裕福で、王女は彼を結婚相手に選んだ。
弟は王位と叔父の財産を狙って叔父を殺した。
王女は弟に殺されると思い、部下と財産を船に積み、地中海へ乗り出した。キプロスに立ち寄りそこの神殿娼婦を乗せ、数日の航海の後、現在のカルタゴの地へ着いた。
エリッサは土地を得ようと、現地のリビア人にこう言った。
「この牛皮と牛皮で囲えるだけの土地を交換しましょう」
相手は喜んで申し出を受けた。
エリッサは牛皮を細く細く刻んで広大な土地を「囲んだ」という。

いかにも「策略家」「陰謀家」と評されるフェニキア人を言い表した逸話ですね。しかしその一方で、彼らはすぐれた航海者、技術者、交易人としても名を馳せています。
(注)エリッサとはセム語で「女神」あるいは「愛すべき」という意味との説があるようです。
また他の記録では王女の名は「ディドー」と語られているが、これは現地リビア人のつけた名で、「漂泊の人」「旅人」という意味だそうである。
【フェニキア人の商才】
■領主からの依頼公益→自由な交易へ
古代地中海の交易は領主なり王による委託を受けて、非常に高価なぜいたく品を運びその手数料を得ていた。
(航海自体が非常に危険を伴うため、王の保証を受けて行っていた)
      ↓
フェニキア人の交易は、ありとあらゆる品物を扱い、交易には直接、間接に全人口がかかわっていた。
売れるとあらば何でも作り出す技術と、卓越した航海技術によって、どこへでも出かけてゆく自由貿易により、莫大な利益獲得にまい進していった。
「フェニキア人は商業を発明した」といわれる所以でしょう。
こうして高度な航海術とあくなき利権の追求を原動力に、彼らの行動範囲は地中海沿岸にとどまらず、アフリカ沿岸一帯や、ジブラルタル海峡を越えてイギリス南部にまで錫を確保しに行ったとされています。
このような、すべての生活は交易に注がれ、交易のためには手段を選ばないといった彼らの考え、行動は、一方では政治的には非常に目先的、利己的で、目先の利害にとらわれ大局を見失うとも評されています。
これがのちにカルタゴに引き継がれ、そしてあろうことか地中海において覇権を争うことになったローマとの度重なる戦争において、相手をあと一歩まで追い詰めながらついに勝つことができず、自らを滅ぼすことになった大きな原因ではないかと考えられます。
この辺は今後の「カルタゴ~ローマ;地中海の覇権の変遷」について継続して調べてみたいと思います。

投稿者 saah : 2009年08月16日 List  

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コメント

>2千数百年の時を経て日本人が第二の正念場を迎えたという意味
当然ではりますが、今を呼吸する我々は、今を基準に
生きてしまいます。前述したとおり、これは当然のことです。
歴史を振り返りますと、100年前に終末思想を唱えるもの、
今こそ地球変革の時であると叫ぶもの、人類最後の
チャンスと唱える人間がいつの時代もいて、結局
普通に時代は流れていままさにこの時代です。
特別な時代はなく、普通に時代は流れるだけかと
思います。

投稿者 スバール : 2009年9月25日 22:45

こんにちわ、 nishipaさん。
こちらのブログにとってとても大切なことをご説明されているようなのですが、正直に申しまして、観念的な用語の羅列で、そのままでは理解できないのです。
スバールさんのご意見が、教養ある日本人にとって一般的なものかと思います。
この先、思想哲学的な領域はパスして、自分の興味に重なる歴史探求のご発表にだけコメントさせていただいていいのか、それでは皆様の目的に添えないからコメントはかえってご迷惑、失礼になるだろうかと、ちょっと悩んでおります。
とりあえず、ひとつだけ質問させてください。
「人類本来の共認原理」というのは、鳩山総理が云っておられる「友愛」と同じようなものでしょうか?

投稿者 タツ : 2009年9月26日 14:11

タツさん こんばんわ。
少々混乱させたようで説明をさせてください。
ブログ「縄文と古代文明を探求しよう」はるいネットというサイト運営をしているメンバーの中から選抜20名少々で特に歴史を探求するグループとして創設されました。(その後に歴史好きの参加希望者の方が会員として加わり現在は45名になっています)
るいネットには歴史のカテゴリーがたくさんあり、そこでは平成元年から現在にいたるまで多くの歴史追求投稿がなされてきました。nishipaさんが今回記事にされたのは、るいネットで議論されていた投稿の中から今回のテーマに合うものをセレクトして記事としてまとめて紹介されたものです。
このブログの主旨である「現代社会の問題点を歴史を学ぶ中で解明していこう」という点では、個々の歴史史実の追求に加えてそれを読み解く仮説や人類史を貫通する歴史認識の方法が重要になります。るいネットの投稿を積極的に活用していく目的はそこから多くの切り口や発想が取り出せるのではないかと思っているからです。
その意味で、同類圧力、私権圧力、共認原理など「るいネット」で使われている概念言語が登場してきます。るいネットの会議室で長く議論してきた方にとっては共通言語に近いこれらの言葉も初めて目にする方にとっては意味がわからない、という事になります。その点では確かにそこの説明もある程度、併せて紹介していくことが必要になりますね。
運営側もそこの配慮が必要かと思い、今回のタツさんのコメントは貴重なアドバイスとしていただいておきます。
ちなみにるいネットに掲載されている新概念の定義集がありますのでそちらも参考にしてみて下さい。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=400&t=0
その上で、タツさんの質問
>「人類本来の共認原理」というのは、鳩山総理が云っておられる「友愛」と同じようなものでしょうか?
これについてはぜひnishipaさんに答えていただきたいと思います。よろしく!
あっ、それからタツさんのコメントでの参加、大歓迎です。
全然迷惑でありませんのでこれからもご鞭撻よろしくお願いします。

投稿者 tano : 2009年9月27日 00:04

スバールさん、タツさん、コメントありがとうございます。
いきなりで、ちょっと分かりづらかったですね。
鳩山さんの“友愛”がどのようなものか詳しくないのですが、「友愛とは、すべての人が互いに人の役に立ち、必要とされることで、社会につながっているきずな。居場所を見つけられる世の中だ」 と総理自身が説明されているようです。文字通り受け取れば素晴らしい社会ですね、まさに共認充足の世界です。ただ、“友愛”というような響きのいい言葉だけではなく、もう少し構造的に歴史を振り返ってみます。以下長くなりますがお付き合いください。
共認とは、単純に言えば共に認め合うことですが、元々はサル時代に形成された適応機能のことで、相手の不全(期待)と自分の不全(期待)を同一視する共感回路を原点としています。相手と同化することによって充足(安心感等)を得ることができる、これを共認機能と呼んでいます。
サル・人類は、本能のうえに共認機能を獲得し、さらに観念機能を獲得し、適応してきたわけです。
始原人類が洞窟の中で暮らしていた時代に同化してみると、
まだ弓矢等の武器も無い弱い人類は洞窟の中で隠れ住むようにしか生きていけなかった。外に出れば獰猛な動物たちに襲われる。食べ物は殆ど手に入らず、なかには人骨の髄をすすってまでも種を存続させようとした形跡もあり、極限的な過酷な状況のなかで必死で生きていた。まだ言葉も無かった時代、相手(みんな)の表情を手探りに、相手(みんな)の不全や期待に同化して、共に共感し、安心感や充足感を得て、それを唯一の生きる活力源とするしか無かったことでしょう。まさに、共認充足を唯一最大の活力源とした集団(社会)だったわけですね。
人類社会とは、このような共認機能を土台にして、様々な外圧に対し、課題や役割や規範を共認することによって統合された社会(=共認社会)であると言えます。
始原から縄文時代の長い間は、過酷な生存圧力に対して、共認によって統合された社会=共同体社会でした。
ところが渡来人がやって来た弥生以降は、その同類闘争圧力に対して、力のあるものが勝つという力の序列原理(私権序列を共認すること)により社会は統合され、以降現代まで続いてきました。
しかし、現在においてはもはや私権も衰弱し、序列原理も有効に働かなくなりました。現にアメリカ覇権は地に堕ち、自民党の権力支配も終わり、共認原理の時代に転換しつつあります。共認形成機関であるマスコミが大きな権力を握っているのがその証左といえます。このように力の序列原理が無効になったということは、残された人類本来の共認(原理)によって社会を再統合するしかない=逆に言えば可能性が開かれたということです。
これまでの私権序列原理といっても弥生以降2千数百年の歴史しかなく、人類500万年の歴史から見れば、実に人類史の99.9%は共認によって統合された社会であったわけで、現代は人類史500万年における大転換の時代であると認識しています。これが“第二の正念場”という理由ですね。
このような共認社会の到来を迎えて、縄文気質(=共同体の本源的な共認体質)を色濃く残すわれわれ日本人には大きな可能性が期待されるわけですが、果たして本当に闘えるのか(といっても戦争するわけではなく、私権序列原理VS共認原理の闘いということですが)、併せ持つ弱点も踏まえて追求してみようというのが今回のテーマです。
~いったい、人類はどこで道を誤ったのか? 人類は今、自らが築いてきた全文明の見直しを迫られている。~・・・当ブログの趣旨であります。
大変長くなってしまいましたが、歴史認識も含め一緒に追求していただければ心強いです♪

投稿者 nishipa : 2009年9月28日 15:33

傍観者として気づいたことを書かせていただきます。
サルの時代に獲得した超能力を復活させて、人間をサルの子孫と認めないキリスト教文明の猛威に抵抗し、稲作中心歴史観を押し付けた弥生国家の行き詰まりを打破しようというようなことかと受け取らせていただきました。
わたくしの受け取り方で間違っていなければ、皆様の活動が、「自分はサルとは違う→自分はサルに近い者たちを支配してよい」という思想の人々を活気づけはしないだろうかと危惧いたします。
(柳田國男の山人研究は、その思想の人々の罠にはまったのであろうと、わたくし高塚タツは考察中でございます。)
むかしの政治家のなかには、「日本民族の潜在能力」なんてことを、それが何であるか「わからない」ことが素晴らしいことであると日の丸の扇子を振って、国民を近づけない人がいました。
経験則のみから「潜在能力」を操るシステムは、祝祭空間における芸能であって、法治国家がそれを行なうのは、人類に対する罪です。ですから、祝祭装置の分析的解体が進行している期間は、「潜在能力」を担保に貸した金を回収できなくても、人間をサルに落としめることは許されないのでありましょう。

投稿者 タツ : 2009年9月28日 18:41

なかなかこのブログにしては活発な意見のやりとりがあってよいと思います。ただ、この課題をここでやりとりするのはちょっと場が違うようにも思いますので、続きはぜひるいネットに投稿という形でいかがでしょうか?
ただ、一言だけ添えておきます。
>サルの時代に獲得した超能力を復活させて・・・
⇒サル時代に獲得した共認機能は超能力ではありませんし、ごく日常的に私たちが使っている能力です。共認機能を延長させて獲得できたのが言語機能であったり、相手の気持ちを察したり考えたりする普通の人間に備わっている機能です。
この機能を使って何をするか、そこが分かれ目で、これまでの人類史は文明史以降では決してよい方向ばかりには使われてきませんでした。
>わたくしの受け取り方で間違っていなければ、皆様の活動が、「自分はサルとは違う→自分はサルに近い者たちを支配してよい」という思想の人々を活気づけはしないだろうかと危惧いたします。
その心配は全くないと思います。(すいません、理由までは付け加えませんが)
ただ、潜在思念や言葉にならない人々の奥にある共通のものを何らか言語化する過程が必要だと思っています。その意味では言葉を選び、常に思索をされているタツさんと同じ地平です。

投稿者 tano : 2009年9月28日 19:15

>これまでの私権序列原理といっても弥生以降2千数百年の歴史しかなく、人類500万年の歴史から見れば、実に人類史の99.9%は共認によって統合された社会であったわけで、現代は人類史500万年における大転換の時代であると認識しています。
nishipaさん
個人的にこのスケールを語れません。想像するだけで
眩暈を起こしそうです。
私はのんびり自分史(これすら困難)を振り返って
いきます(笑)
がんばってください。

投稿者 スバール : 2009年9月29日 23:18

お忙しいところお邪魔いたします。高塚タツでございます。
別のところで縄文由来のエネルギーを搾取するマニュアルの存在を察しまして…。
tanoさんがきっぱり否定なさったから、こちらのブログでは、わたくしが心配する必要はないのでしょう。
サルの超能力とは、巨大観音の掌の上の孫悟空のことです。ご不快にさせてしまったなら、申しわけありません。
皆様のユーモアセンスに惹かれて出没させていただきましたが、実現論の文体には入ってゆけないので、るいネットは遠慮することにしました。
さて、そもそものnishipaさんのご発表にある
>縄文人が渡来人を受け入れた時の考察から、弱点構造の位相について<
というのは、なかなかな切り口。
日本社会では、支配層が外来者意識を持ちたがる傾向がありましょう。征服されたがる民族なのか、内側から芽吹くパワーを摘み取ってしまう仕組みの成り立ちを、『万葉集』の外側から読み取ることのできれば、500万年とはいかなくても、千数百年のあいだ放置してきた問題にようやく立ち向かえるかもしれません。

投稿者 タツ : 2009年10月1日 21:23

(スバールさん)
スバールさん、私もこの事実(認識)を知ったとき、眩暈を覚えるほどの知的興奮を感じましたよ。
こんな経験にはそうそう出会えるものではありませんね。
「自分史」に引き篭もってしまうのは勿体無くありませんか。

投稿者 ryujin : 2009年10月1日 23:10

(続き)
また、フェニキア人は、カルタゴ以外にも、サルディニア、マルタ、
シチリアなどにも植民地都市を築いていた。しかし、バアル神(モレク)
信仰の忌まわしい風習もフェニキア人の活動範囲と共に広がって
いくことになります。

例えば、カルタゴの発掘調査では、子供をつかんでいる祭司を描いた
レリーフが発見された。また祭儀場らしい場所からは、子供の骨が
大量に発見されたとあります。同じような場所は、フェニキア人が
植民地都市を築いた他の土地からも発見されています。

つまり、フェニキア人(カナン人)が繁栄して、悪魔の世界を広げて
いくことを、イスラエルの神ヤハウエが危惧し、ローマと衝突させて、
カルタゴを滅ぼすように仕向けたということも考えられます。

カルタゴの街が人が住めないほど完全に破壊され、「塩」が撒かれた
というのも、カナン人に対する神の呪いと思わざるを得ません。
ところで、「塩」を撒くという行為は、イスラエルの神を祭る
ヘブライ人の習慣で、その土地を清めるという意味の行為でも
ありますね。

投稿者 忍法無双 : 2014年7月6日 10:32

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