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2016年06月17日

出雲を王国に導いた、たたら製鉄

中国しかり、を制する者がを制します。

秦の始皇帝は四川での製鉄技術により中国を統一しました。

古代日本においては、出雲国が、たたら製鉄により、一大王国を築き上げたと考えられています。 恐らくこの技術は除副一行によってもたらされたものでしょう。

今回は出雲のたたら製鉄に迫ります。

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祟る出雲(八百万)の神々リンクより

たたらとは、粘土で築いた炉に砂鉄と木炭を装入し、フイゴで空気を送り込み70時間かけてケラ(鉄)を生産する日本古来の製鉄技術を云う。これは、日本独自に発達した製鉄技術である。

ヒッタイト(世界に先駆けて鉄器を使用した国、無敵の戦車部隊)で生まれた製鉄は、縄文時代末期に大陸を経て日本に伝わり、弥生時代の初期に伊都国出雲の国で鉄器の加工が始められた。当時は鉄鉱石から作られた鉄素材は朝鮮からの輸入に頼っていたが、弥生時代中期には製鉄が開始され、砂鉄が主流になって行く。出雲国風土記にも『小川に鉄あり。諸郷より出す所の鉄、堅くして、もっとも雑具造るに堪ふ』と記されている。
金属器を征した出雲王国が日本海側を征したが、それ以上に渡来人特に百済系渡来人を使って大量の鉄を作り、征した大和朝廷が弥生時代を統一し、また戦国時代鉄砲を征したものが全国を統一した。明治政府は富国強兵策として釜石と八幡に製鉄所を作った。

たたらを経営していたのは、鉄山師(鉄師)と呼ばれる製鉄にかかわる産業の総合経営者であった。松江藩の最大の交易品であった鉄師を9人に限定したり、たたらや鍛冶場から税金を取ったりするなど鉄師を厳しく統制した。その一方で、炭を作る山の独占を許したり、また準武士として優遇し、たたらを主要な産業として育てた。鉄師には絲原家、桜井家、田部家などがあった。作られた鉄は、北前船にて大阪、小樽まで運ばれて行った。

2世紀後半に須佐之男命は、新羅からたたら集団を率いて森を求めてやって来た。奥出雲の斐伊川で砂鉄を集め、炭を焼き、鉄を製鉄した。朝鮮から輸入した鉄素材を巡って北九州の国々と争った。これが倭国大乱である。
弥生時代後期から始まった出雲のたたらの技術は6世紀頃から発達を初め、江戸時代に最盛期を迎え、松江藩では鉄作りの鉄師を9人に限定し統制と保護を行った。よって、日本の製鉄の八割を奥出雲で作っていた。明治になり釜石と八幡製鉄所が出来ると衰退の一路を辿った。

投稿者 tanog : 2016年06月17日 List  

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