【縄文再考】大陸と縄文~縄文前期から列島と大陸は関わり合い、日本海を囲む文化圏があった |
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2021年12月03日
【縄文再考】縄文土器総論
縄文再考と題して、これまで縄文土器について4回追求を塗り重ねてきましたが、一度ここで総論としてまとめておきたいと思います。ぜひ興味のある方は過去の記事も目を通してください♪
第1回:縄文人の外圧と生命観 http://web.joumon.jp.net/blog/2021/09/4130.html
第2回:土器の変遷からみる、縄文時代の外圧と追求思考 http://web.joumon.jp.net/blog/2021/10/4196.html
第3回:無文字文化の中での集団・意識統合 http://web.joumon.jp.net/blog/2021/10/4295.html#comments
第4回:命への感謝と再生の願いが込められた土器文様 http://web.joumon.jp.net/blog/2021/11/4402.html
縄文時代は、土器の形や文様の特徴から、大きく6つの期に区分されています。縄文土器を知るためには、それぞれの期の外圧状況を正確に掴むことが必要不可欠。改めて、時代の概略をまとめておきます。
草創期 約12,000~9,500年前(2,500年)/冷涼
早 期 約9,500~6,000年前(3,500年)/人口2万人/温暖
前 期 約6,000~5,000年前(1,000年)/人口11万人/温暖
中 期 約5,000~4,000年前(1,000年)/人口26万人/温暖
後 期 約4,000~3,000年前(1,000年)/人口16万人/温和
晩 期 約3,000~2,300年前(700年)/人口8万人/冷涼
■厳しい外圧を生き抜くための道具
縄文時代(=土器)は、寒い氷期が終わりに向かい、食べることのできる木の実を点ける広葉樹・照葉樹が増え、定住生活が可能になった頃に始まっています。
ただし、まだまだ冷涼な時代であり、遺跡人口の同位体分析データ(歯に残されたストレス)からは、食料は植物性に依存(6~8割は木の実)し、栄養時代・健康状態がたびたび悪化するなど、厳しい生活あったことが推測されています。
生き延びるためには、より多くの木の実(硬いもの、アクの強いものでも)を確実に摂取することが重要。そこで、火にかけ、煮炊きする道具「縄文土器」が誕生したのです。
※土器は、粘土採掘、素地の不純物の除去、成形、模様施文、乾燥…と、非常に手間のかかる工程で、意外とエネルギーを要するもの。必要性があったから創られていたと考えるのが妥当
■長い歴史のなかで変化したのは文様と形状
縄文土器は1万年という長い期間塗り重ねられてきたものにしては、製作技術という点で大きな違いがないというのが事実です。
皆さんも知っての通り、あくまで大きく変化し、バリエーションに富むのは、直接機能性には影響を与えない「文様・形状」。中でも、特徴的なのは「中期」における土器の進化。
冷涼から温暖に向かう草創期→前期では煮炊きのための形状進化、温暖から冷涼に向かう後期→晩期においては用途多様化・軽量化(薄く・小さく=使いやすい)という進化が見れるが…
中期土器は「実用性とは程遠い造形」「様式が統一ではなく多様化」という進化を遂げている。
<土器変遷まとめ>自前でまとめてみました!
■集団間の緊張緩和・充足発による文様進化
縄文時代の中期は、温暖化で、爆発的に人口が増えた時代(26万人)。実りが多くなったことで、時間にゆとりができ、装飾に凝るようになったという説をよく耳にしますが…食べ物と共に、中期は人口が爆発的に増え、食いぶちも増えているため、食べ物を得る(採る)ための労力はあまり変わりません。
他の時代と最も異なるのは、「集団の数が増え、集団同士が接触する機会が増え、緊張圧力が増した」という点。統一された言葉、文字を持たないなか、集団間での衝突を防ぐ(緊張緩和・相手に喜んでもらう)するための贈与品として用いられ、進化を遂げたというのが最も自然といえます
※火炎土器や水煙土器などの複雑文様の土器は、同じ中期でも、一定の地域で集中的に出土し、地域的特色が表れていますが、総数に対する割合でいえば約2%と非常に希少な土器。日常的に使用する土器と特別な用途として使用する土器が分かれていた。ということとも整合します。
<土器分布図>
■生命原理から導いた記号を用い自然界を表現
では、相手集団に喜んでもらうために、文様に込められた想い・追求はなんだったのか。
中期の土器には「円筒土器上層、北筒式、中期大木式、阿玉台式、狢沢式、勝坂式、加曽利E式、曽利式、唐草文系、北関東加曽利E式、五領ヶ台式、新保・新崎式、串田新、大杉谷式、上山田・天神山式、咲畑・醍醐式、舩元・里木式、阿高式」と数う多くの形式が存在しますが、共通する特徴は3つ。
①自然にある曲線を多用した立体的な造形が目立つ
②単調な文様の繰り返しではなく渦巻やS字や逆U字などの組み合わせた複雑文様である
③全く同じ組み合わせはない(面によっても微妙に文様が異なる)
土器にある豆粒文も勾玉文は「雌雄の有微性による対構造(微妙に異なった近似文様が、常に対)」で重ね、並べられている。
さらに土器は、多くが非対称であること、上から下にかけてデザインが変化するものが多いことから、陸界や水界などの空間を表現しているともいわれている。限られた大きさしかない土器に目の前の壮大な自然界を落とし込むためにも、写実的な文様ではなく、抽象的な文様を用いたのだ。(一部写実的な文様・形状の土器も出土しているため、そうした技術がなかったわけではなく、「あえて」抽象文様を用いていたと思われる)
<対構造、土器スケッチ画像>
自然・人の注視から対構造という生命原理から導いた記号を用いて、あらゆるものが一体となって構成される自然界そのものを表現することこそが「美しい」。それを、命を喰らう器(自らと自然、生と死を繋ぐもの)へと落とし込んでいた。
とはいえ、空間を記号化して、2次元的に再構成し、それを3次元の土器に再統合しなおすという非常に高度な空間把握技術なくしてはできない芸当。縄文人の生命への感謝と再生への祈りが動力源となっていたと言えるのではないか。
投稿者 matudai : 2021年12月03日 TweetList
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