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2016年09月02日

新説「日本史」最終回~藤原時代再来

武士の時代は徳川慶喜の大政奉還をもって終焉する。
教科書を始め多くの日本人の常識は明治維新は近代化において歓迎すべき輝かしい時代の曙で、それまでの旧くて時代錯誤の徳川時代は成るべくして終焉したと捉えられているし、実際日本は明治の富国強兵から太平洋戦争敗北後まで経済が発展し続け欧米に肩を並べる経済大国に成長した。それがこれまで学校教育で正しいと教え込まれた近代日本史観である。
しかしそれが大きな間違いで、事実と反する事がいくつも介在しているしたらどうだろう。日本史は百済・藤原によって乗っ取られ、天皇制というなにやら訳のわからない制度がはびこり、事実無根の日本書紀や古事記が唯一最古の日本の史書と信じ込まされ、そして明治以降はロスチャイルドやロックフェラーという世界の金貸しの罠にまんまとはまり込んでいった。その先鋒を担ぎ日本人を歴史書ごと騙したのもまた百済由来の田布施勢力であり、明治天皇を輩出し現在の安倍総理まで権力の一手に掌握し日本を食い物にして滅亡させようとしている裏の勢力である。
現在彼らがやらかす、不正選挙やお上の暴走に目を光らせ、黙らせない声としてネットや書物、さらに薄々感じ始めた大衆の違和感をベースにしてそれらの日本をダメにする塊が浮き上がりつつある。最終回はそれらの記事、声、そして教科書で正しいとされていた事を覆す事実を並べ読者に日本史の事実を考えていただくネタとして提供したい。
教科書で教えられた常識を捨て、事実を求めて探索してほしい。

新説「日本史」~前半
新説「日本史」~後半
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呉越人時代(前500年~前210年) 300年間
徐福ネットワーク時代(前210年~200年)400年間
葛城・物部時代(200年~450年)250年間
葛城・高句麗時代(450年~550年)100年間
蘇我(秦)時代 (550年~645年)100年間
藤原(秦)時代 (645年~900年) 250年間前半
藤原(秦)時代 (645年~900年) 250年間後半
武士時代(900年~1860年) 960年間
■藤原時代再来(1860年~現在) 150年間
それまで長く続いた高句麗―武士時代が幕を閉じたのも秦氏の力による。
秦氏は神社、商業ネットワークをバックにそれまで潜伏していた裏天皇(南朝)を使い、明治以降の日本の政権交代劇を画策する。
当時、日本を取り巻く外圧は高まっており、徳川の鎖国政策では太刀打ちできない状況になっていた。金貸しロスチャイルドと手を組んだ秦氏はかねてから逆転を狙っていた百済系、南朝の力を持ち上げ政策能力の無い天皇を中心とした国づくりを始める。

秦氏が舵取りを誤り、日本にとって不幸にも最大の失敗は、この時代に立った田布施出身の百済系の連中が国家や国民の事をまったく考えない連中だった事だ。彼らは己たちの私財、権力の拡大のみにしか関心が無かった。
明治以降、市場時代が拡大するとそれまでの力の源泉であった商業ネットワークを持っている甘みは消滅し、同時に秦氏の力も失われていく。秦氏の舵取りを失った権力志向の藤原ー百済系は天皇の力を武器に戦争を繰り返し財力を蓄え、日本を廃土にしながらも自らの資産を増やしていく。
何百兆にもふくれ上がった天皇財閥はスイスに埋蔵されているらしい。

百済人の部落であった田布施からは明治天皇が替え玉で登場しただけでなく、伊藤博文から現在の安倍総理に至るまですき間無く日本を支配している。しかし最大の力の源泉はいまだ残り続ける根強い天皇制の力である。この天皇制の悪しき実態を世に表し、万人の審判を仰ぎ、本来の大衆自治に変えていかない限り日本の次の時代は無い。
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m282.gif徳川は大政奉還によって日本を植民地化から守った
~徳川は既に幕末に金貸しの意図を掴んでいた。
金貸しが作り上げた驚異的な武力国家がまずは脅す。国家の政権勢力は金貸しから金を借りるか、組み込まれるかの選択に迫れる。同時に金貸しは国内の反対勢力に優先的に融資し、武器を売り込む。やがて、国内で力が拮抗し内乱が勃発する。既に金貸しに実権を握られた反対勢力が政権を執り、その後は金貸し支配の下、半植民地として吸い取られていく。
江戸晩期には薩長がその策略にはまり、倒幕勢力にまで昇りつめた。
徳川の大政奉還とはそういう中で実施されたのだ。既にフランスから240万ドルの融資を受けてはいたが、15代慶喜は薩長が勢力を付けていく過程のどこかで金貸しの真意に気がついた。「国内の内乱を引き起こし、最後は西洋の金貸し勢力がこの国を手中にする」と。大政奉還を施行する前には徳川と薩長との間で話し合いが持たれ、金貸しの真意を理解し「江戸城の無血開城」を合意したという。大政奉還によって日本の植民地化は回避されたのだ。
徳川幕府の無血革命(=大政奉還)をどう評するか?より抜粋

 m282.gif明治維新を画策したのは金貸し〈ロスチャイルド〉
~諸外国同様、日本もまた近代化には金貸しが深く潜入している。
日本の幕末~明治維新にかけて、欧米列強(ロシアを含む)による開国要求、植民地支配の圧力が強まって行きますが、それらの対日工作を裏で画策していたのもロスチャイルドです。直接的には日本の開国は米国の黒船の圧力によるものでしたが、その後の倒幕~明治維新を裏で画策したのはロスチャイルドです。日本支配に向け、佐幕派(幕府支持、水戸藩、会津藩)に金を貸したのは仏ロスチャイルドで、倒幕派(薩長土肥)に金を貸したのは英ロスチャイルドです。どちらが勝っても儲かるように対立する両勢力に金を貸すのが金貸しの常套手段であり、倒幕派(薩長土肥)によって明治維新を実現させた黒幕はロスチャイルドと見ておくべきです。
日本の支配構造 明治天皇がすり替えられたのはなぜか?より抜粋

m282.gif明治天皇から現在の安倍総理まで連なる田布施システムとは
山口県の小さな町から、なぜか多くの首相や重要人物が出ている
伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。
明治維新後、田布施出身の多くの志士が明治政府の重要なポストに就くこととなります。そしてその流れは受け継がれ、現在の安倍首相へと繋がっているようです。この明治維新から受け継がれてきた一連の流れは、「田布施システム」と呼ばれています。
「田布施システム」と明治天皇替え玉説1より抜粋

 m282.gif実は明治天皇は孝明天皇の子ではない
~明治天皇は替え玉説、これは最近かなり言われてきている事だが、マスコミどころか一般の人はほとんど知らない。あまりに以前の天皇(麻呂顔)と顔が異なる。
孝明天皇(北朝系)はいよいよ大政奉還、明治維新というときに急に殺されて崩御になり…睦仁親王は暗殺され、これにすり替わった明治天皇は、後醍醐天皇(南朝系)の第 11番目の皇子光良親王の子孫で長州萩で毛利氏が守護してきた。
薩摩と長州の間には、この南朝の末孫を天皇にすると言う密約があり、これが王政復古御一新を志した勤皇の運動である」(田中光顕)
「田布施システム」と明治天皇替え玉説2より抜粋

m282.gif太平洋戦争がなぜ勃発したのか?
~教科書では太平洋戦争の勃発の理由は書かれていない。それは書けないからでもある。
>226事件は、公表的には帝国陸軍:皇道派の青年将校たちが「 昭和維新・尊皇討奸 」「 天皇親政 」をスローガンに企てたクーデター未遂とされていますが、これは事実のホンの一部分を取り上げたものにしか過ぎません。
実際には、昭和天皇を捕獲:廃帝にし、一応公表上、昭和天皇の弟とされている秩父宮を新しい天皇に据えるべく起こした帝国陸軍最強の第2師団( 仙台師団 )に依るクーデターで、青年将校たちの決起はその先遣隊だったのです。
先遣隊の暗殺&天皇捕獲に続いて、仙台から上野に秩父宮と共に向かっていた仙台師団は、帝国海軍陸戦隊が戦車隊まで繰り出して青年将校の先遣隊が完全制圧したため、プランを断念せざるを得なくなってしまいます。
太平洋戦争は旧陸軍vs天皇・海軍の戦争だった  ~日本の2つの勢力~より抜粋

m282.gif明治天皇になって最もそれ以前と変わったのは軍の全権を法的に与えられた事
~それによってその後の日本は狂った。国民の事などどうでもよかった朝鮮人の出自(田布施システム)は己達の利益が一番重要だった。
明治憲法第11条により、日本の陸海空軍全ての指揮権は天皇にあり、政治・軍事の全責任は天皇にあった。米軍の陸海空軍全ての指揮権を持つ戦争省長官ドレーパー本人が、敵国・日本の陸海空軍全ての指揮権を持つ天皇に戦争資金を貸し付けていた。米軍の兵器と日本軍の兵器購入資金は、同一のハリマン=カーライル=ディロンから出ていた。
日本軍と米軍が「殺し合えば殺し合う程」この銀行が儲かる「仕組み」になっていた。
この銀行の私的利益のために日本と米国の軍人は「殺し合い」をした。この金儲けシステムの米国側にドレーパーがおり、日本側に天皇が居た。
国民を売って金儲け、正真正銘の売国奴=天皇より抜粋

m282.gifスイスに金塊を隠し続けている天皇一族
~天皇が戦争で大儲けして金塊をスイスに預けているという話は事実のようだ
近衛文麿首相はいく度も天皇に戦争の中止を訴えた。
天皇一族は、日清戦争や日露戦争を通じて多額の賠償金を手にしており、その一部はスイス銀行に預けられた。それは日本の天皇だけでなく、ルーズベルトやチャーチル、スターリンなどもそうであり、このような悪事を通じて彼らは国際銀行家(イルミナティ)に弱みを握られることになった。フルシチョフ元首相の『フルシチョフ回顧録』にはそれらのことが克明に書かれており、明治、大正と続く皇室のスキャンダルを彼らはすべて記録していた。スイスの秘密口座はスキャンダルの種になり得るものであった。そしてここに、近衛首相の忠告を無視して、再び太平洋戦争に突入しなければならなかった日本の悲劇の源があるのだ。
太平洋戦争と政府、天皇、そして赤十字の関係より抜粋

 

投稿者 tanog : 2016年09月02日 List  

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