仏教に未知収束の志を見る~第6回 私権社会の規範に変質した儒教 |
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2014年10月30日
大共同体「東南アジア」を支えるシステム~プロローグ
国家とはなんだろう?
アメリカ、イギリス、中国、ロシア、国境で明確に区分され、治安が国ごとに維持され、国家中央でおおよその情報はコントロールされています。それが私たちがイメージするいわゆる国家像です。あるいは日本のように海洋で区切られ、地域的にも民族的にも言語的にも独立した明らかな集団、集合体も国家としてもイメージしやすい。しかし世界を見渡すとそれだけでは説明できない国家形態は様々にあります。
今回、東南アジアを扱おうという事で私たち縄文ブログチームで取り組みました。まずは国別に・・・と。そうすると中々何を追求していいやら、どういうテーマが隠れているやら、よく見えなくなってきました。「東南アジアって多用だね」なんだかそれだけで終わってしまうような危機感を感じていました。
いくつか東南アジアの研究を探す中で一つそのきっかけに辿りついたのです。
東南アジアの諸国はいわゆる我々がイメージしている国家ではないのではないか?
もちろん国土もあり、国境もあり警察も官僚も居るが、国民の在り様として、或いは国家の出来上がってきた段階からして戦争で決着を付け、支配者を定め、支配・被支配でくくられる私権国家とは一線を画しているように思うのです。
東南アジアの中核に位置するタイでは国とはムアン(最小単位のクニ)であり、マンダラだと言います。マンダラ型国家という概念をアメリカ の歴史学者ウォルタースが提起したのですが、タイの国家形成にいたる過程、現在でも残る国民意識は国でも民族でもない、私たちの生きている社会という非常に曖昧模糊とした範囲(マンダラ)を示しているというのです。
詳しくはこれからのシリーズの中で明らかにしていきますが、プロローグではこのマンダラ概念を受けて問題意識と東南アジアを読み解く鍵(仮説)を述べておきたいと思います。
問題意識
東南アジア地域を国境、国家という単位で見ると見誤るのではないか?
もっと深い生活レベルの集合体に強い引力があるのではないか?
なぜならあれだけ長い、厳しい植民地時代がありながら、復興後の力は強く、非常にポテンシャルが高い。インドネシアはなぜあれだけの国土を何千と分かれた島で継続できるのだろうか?中央集権、支配や被支配とは別の引力で国家統合を成すこの地域に生きる人々に拡がった東南アジア特有のシステムがあるのではないか。そしてその一つがマンダラシステムではないか?
国家という概念も考えてみれば人工的で私権社会という構造の中で生まれたつい最近の観念です。複数のクニが武力を通じて勝者が敗者を従える同心円状の完全な序列体制の頂点が国家であり、近代国家は須らくその延長にあります。
しかし今回提起する東南アジアは異なります。国の主体は地域に無数に出来たマンダラ国家であり、国家組織は列強国に対抗する為にそれらを束ねて最後に付け足された存在です。それは決して東南アジア特有なのではなく、世界中を見渡せばアフリカや南米でも同様の国家形態は存在します。見方を変えれば、中央集権、国家権力が中核をなす現在の私権国家は人類的には特殊であり、彼ら東南アジアの形態がもしかすると一般的な国の在り様ではないでしょうか?
・ 国とは地域共同体の延長にある。
・ 地域共同体とはマンダラ的に存在し、生き物のように相互に連関する。
・ 国はそれを統合する存在、あるいはその共同体の延長の中の最も大きなマンダラである。
前回シリーズでは共同体を国家としてくくり上げたロシアという巨大帝国を扱いましたが、今回はまた違った視点で、東南アジアを題材に国家と共同体の関係を見ていきたいと思います。さらに日本との関係、世界の中での東南アジアの位置を見ていきたいと思います。
かつての日本が大東亜連合=東アジア共同体という名目で東南アジアに兵を繰り出しましたが、実際には植民地化していた欧米諸国拠点を攻撃し、彼らの独立を援助しました。今でも東南アジアの国々はこの時代の日本からの支援に感謝しており、親日の国々が多いと聞きます。この時代に日本がこのような動きをしたのには、領地拡大以外の意図=地域への共感があったからではないでしょうか?どこからもそれらに関する日本軍の意図や事実は報道されていませんが、当シリーズではそこにも言及し、日本と東南アジアのこれまでの関係、これからの関係を考えるきっかけにしていきたいと思います。
また、この地域が世界的に新たな経済圏として90年代から注目され始め、我が国でも民間企業の進出、政府の友好支援など強い国際関係の可能性がこれまで度々報道されてきましたが、一方で21世紀に入ってタイのクーデターを始め、時を併せたように各国では政治が荒れ、それまでの期待は萎み、解りにくい地域、強調できない地域に後退してきています。
最後はどのような結論になるかまだわかりませんが、マンダラ型国家の延長にこの地域を読み解くヒントが隠されているように思います。そしてその延長に単一国家、国境を越えた東アジア地域連合の本質的な可能性が見えてくるのではないでしょうか?それは利権関係を調整するヨーロッパ型ののEU連合とは全く異なる形として登場するような予感がします。
東南アジアが理解しがたいのは、私権国家のルールで国や国民を理解しようとしているからではないでしょうか?
であれば、我々のメガネを外し見ていく事であたらな国家像、可能性が見えてくるはずです。
そう楽しみにしてこのシリーズを初めていきたいと思います。
1.マンダラ型国家とは何?
2.東南アジアの歴史(タイ、ミャンマー編)
3.東南アジアの歴史(カンボジア、ベトナム編)
4.東南アジアの歴史(インドネシア、マレーシア、フィリピン編)
5.日本との関係(これまで、これから)
6.欧米との関係(植民地化と撃退)
7.クーデターは華僑初の情報操作
8.東南アジアが示す可能性
by tano
投稿者 tanog : 2014年10月30日 TweetList
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コメント
投稿者 根保孝栄・石塚邦男 : 2014年11月10日 00:52
旧約聖書では、
「主はモーセに告げて仰せられた。「ミデヤン人にイスラエル人の仇を報いよ。その後あなたは、あなたの民に加えられる。」
そこでモーセは民に告げて言った。「あなたがたのうち、男たちは、いくさのために武装しなさい。ミデヤン人を襲って、ミデヤン人に主の復讐をするためである。」
(民数記31章1節~3節)
彼らは主がモーセに命じられたとおりに、ミデヤン人と戦って、その男子をすべて殺した。
彼らはその殺した者たちのほかに、ミデヤンの王たち、エビ、レケム、ツル、フル、レバの五人のミデヤンの王たちを殺した。彼らはベオルの子バラムを剣で殺した。
イスラエル人はミデヤン人の女、子どもをとりこにし、またその獣や、家畜や、その財産をことごとく奪い取り、彼らの住んでいた町々や陣営を全部火で焼いた。
投稿者 七無斎 : 2014年11月17日 03:09
仏教にしろキリスト教にしろイスラム教にせよ、平和、博愛をうたっていることにはかわりがない。
どのような宗教も殺し合いをせよ、とは言ってはいない。