騎乗技術が遊牧民族を巨大な軍事国家へと後押しした? |
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2007年03月08日
馬家畜化の発展には草原が適していた
😀 こんばんわ。tanoです。
馬の話しになっていますので以前調べた馬の投稿を紹介します。
中央アジアの冶金交易になくてはならないものが運送手段である。すでに同時期、馬の利用が始まっていた事を著書「中央ユーラシアの考古学」では解説している。
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中央ユーラシアにはじまって世界史に大きな影響を与えたことのひとつは、馬利用の開始とその伝播の問題である。これには馬の肉、皮、毛、骨、乳利用もあるけど大きなことは人間に労働力を提供する役畜としてである。役畜としての馬は大きく言えば騎馬、牽引、駄載の3つの形態がある。馬の背は歴史を作った。
現在わかっていて、今後も訂正しないであろう事実の大筋は以下の3点である。
1.馬の家畜化時期は羊、牛、山羊より遅い
2.馬家畜化の場所は中央ユーラシア草原地帯である。
3.馬のユーラシア全域への伝播は大きく関係したのは騎馬ではなく、車輪ー馬車の牽引であるらしい。馬車の普及は前2千年半ば頃であり、騎馬の普及はすこし後であろう。
馬の家畜化はまだはっきりしていない。現在家畜馬の先祖種はおおまかには元々アルプス~カフカス~パミュールの北方に棲息した動物であって、ここを舞台に家畜化されたものには違いない。
家畜馬の先祖についてはタルパン馬とモウコノウマの2種が長らく議論の中心であるが決定打はない。
←モウコノウマの写真です。
馬の家畜化と騎馬の開始に関してはウクライナのデレイフカ遺跡をめぐって起源が取りざたされている。スレード・ストーク文化と呼ばれ、年代は前4千年ごろになる。デレイフカの人は最初は狩猟よりも家畜飼育、それも馬を第一の食料獲得源として生活していた。また、犬と併せて祭祀の際に特別な扱いを受ける動物であった。
牛ー馬の流れをアンソニー説は以下のように述べる。
もともと馬その他を狩猟していたデレイフカあたりの西側へ前6千年紀に西アジア型の農耕が発達してきたので人々は牛や羊の牧畜を知った。そこにそれまで家畜化されていなかった野生馬の存在、それに牛牧畜の知識を応用して馬を家畜化した。馬のような大型快速獣は徒歩で飼うのは困難で騎乗でなければ飼い難いし牽引する車両は当時まだないので、デレイフカの馬は騎馬用であろう。
またステップの人は植生に優勢な草食とした家畜を持たないと生活できない。したがってまず牛や羊を持つ人間がステップへ進出した。その後、特に雪が積もる地域ではひずめで雪を掻き分けて自力で生活できるので馬は手が掛からずに良い。はじめは肉を目的に馬を飼いはじめ、かなり人間に馴れたところで騎乗が試みられたのではないか?最初はおとなしい牝馬と、冒険心あふれた子どもによってだろう。おとなしい個体を選別して人になれている子孫が家畜になった。
その後西へも東へも確立した馬文化はスレードニー=ストーク文化から伝わって、早く南ウラルに達し、さらに東方へはアファショナシェブォ文化に広まっていく。さらに草原外への幅広い馬の利用は前3千年紀、さかんになるのは前2千年紀である。
馬社会はやがて社会を一変する。
近い時代に馬がはいったのでよくわかるアメリカ平原部の場合を参考にすれば、馬の採用は社会を変えるにいかに重大な事件であったかがよくわかる。ユーラシアにはさらに古代戦車と騎馬遊牧も存在したのであるからさらに大きな要素であった。
馬の家畜化は私権社会の拡大に一役も二役も買ったのである。
投稿者 tano : 2007年03月08日 TweetList
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