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2011年09月25日

シリーズ「日本と中国は次代で共働できるか」

縄文ブログをはじめこれまでるいネットやるいネット関連ブログでは中国史の解明に多大な時間と投稿を重ねてきました。これは大国中国の本質が判りにくいという側面と、我々日本人が古代から中国の影響を大きく受けて存在しているという2つの理由があります。さらに今回のテーマに挙げたように今後世界中が経済的混乱から破局に突入する中で隣国であり大国である中国はどのように動いていくのか予測しておく必要があるからです。
その為には中国という国家、国民を通史的にに分析し、この不思議な国を解明しておく必要があります。
そこでこれまで積み上げられてきた中国追求の投稿群を総集し、テーマ毎に時代を追ってまとめたものを紹介していきたいと思います。さらにそこから浮かび上ってくる課題やまだ未解明な部分を明らかにし、できればこのシリーズの中でそれらの課題への答えを追求し何らかの提示をしていきたいと思います。
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追求の方法はテーマ区分を4区分とし、時代区分を2区分とします。
テーマ区分は
1)支配・戦争 
2)市場
3)思想、大衆、文化 
4)気候外圧 

で見ていきます。
また、時代区分は全時代を前半後半に分け、
前半は中国統一の秦・漢まで、
後半は漢崩壊以降~隋・唐~清まで扱い

現代の中国についても最後に触れておきたいと思います。
                    
ここで、テーマとして挙げている「日本と中国は次代で共働できるか」について触れておきたいと思います。
世界を大きく東と西で分けた場合、現在の文明社会を築いてきたのは西洋文明です。特にルネサンス以降、産業革命、工業社会から市場社会へ世界を巻き込んで一直線に進んできた流れはキリスト教から近代思想に姿を変えた西洋的自我(個人)中心世界観が支配しています。
一方、東洋は西洋文明に侵食されるのははるか後の時代の19世紀初頭(中国阿片戦争)です。それまでは、西洋とは別の世界観で社会が形成されてきており、西洋同様に遊牧民族が支配者に転じて地域を治めていきますが、皆殺し、奴隷化への厳しい支配ではなく、集団自治を温存、人間集団として維持してきた共同性が在る程度残されているのが東洋社会の特長であると言えます。
その極(きょく)に在るのが日本であり、同様に共同体が温存された東南アジアやインド南部の地域であると言えます。
現在、西洋的自我文明は市場社会の終焉、環境問題の爆発、経済破局を前にその本質の見直しを迫られており、次代には西洋以外の地域から答えを提起される事になると思われます。
これらの中で日本はその中心に在る訳ですが、同様に東洋の中心に位置する中国は日本と共に次代の牽引国として考えられるかどうかという点です。
これについてはこの間、中国を調べてきて見えてきたのが中国もまた西洋同様に自我(個人)が非常に強い国であるという点です。しかしその自我の形成過程や国家や官僚と庶民との関係など近代思想に代表される個人主義が強固な西洋とやや様相は異なっているように見えます。中国の特徴を見ていくと宗族や幇(ばん)の利益=集団の利益を守ることに中心が在るようです。つまり、集団自我は強固だが、個人の自我は西洋とはいくぶん異なっているというのが中国の位置ではないかと思われます。
一方でそれら中華思想を拡大して途上国へ関与しながら中国的影響を世界中に広めて、現在も覇権国としての位置を伺っており、転換期には何をするか予想がつかない脅威は益々強めてきています。
日本が手をこまねいている内にこの大国は何を初め、何を仕出かすかわからない。そんな危機感もあり、その自我の出所と同じ東洋の歴史を歩んできた隣国としての可能性を両睨みで計っていきたい、今回のシリーズの最終的な目的はそこをターゲットにしていきます。
 
                
それではシリーズに入る前に簡単に中国の歴史の大きな流れについて触れておきたいと思います。
中国は黄河流域、長江流域にほぼ同時期に人が集まり文化を作り出していきます。
長江流域は黄河より少し早く9000年前には稲作を始め、7000年前には水田稲作の村落が形成されています。黄河は温暖化と共に生存圏が拡大、8000年前?に森林地帯になった大河の流域は畑作と牧畜が可能になります。そこに西から、南から人が集まり、中国最初の文明を作り上げます。山河によってさえぎられ河の形が曲げられた黄河は長江より耕作地域が限定され、かつ東西、南北の交通の中心地ともなった中原を起点に次々と土地の支配者が変遷して行きます。この黄河という地域の特性によって東洋で最初の戦争が勃発し同時に文明が発起するのです。夏、殷、周という出自が異なる遊牧民が作った王朝は交代でその地を押さえ、追われた部族が南の長江や東の凌河(りょうが)に移動してそこで土地を押さえ拡がっていきます。
この黄河中心に広がっていき、長江流域の土着民を押し出して行ったのが中国の建国までの大きな流れです。
そして民族の移動に拍車をかけたのが4200年前以降の寒冷化です。これらの気候変動が農耕可能地の北限を上下させ、大量の移民やそれによる戦乱が繰り広げられました。
つまり春秋戦国時代にいたる中国の歴史は黄河、長江という河川の特徴と、急激な寒冷化という気候変動によって動いてきたと言えます。しかし、春秋戦国時代を長期化させ、戦乱に陥れたのはそれらの要因だけではありません。中国を北側から包囲する遊牧部族の存在が戦国時代を生み出しました。紀元前に登場した匈奴の存在はその防衛の為に広大な中国を一つにまとめるのに十分な脅威と力を持ち合わせていました。
秦、漢によって中国は大国として統合され、ようやく匈奴に対抗する国家を形成していきますが、それもわずか数百年であたらに登場した北方遊牧民(鮮卑)の手によって塗り変わって行きます。五胡十六国の時代を経て群雄割拠の中、中国統一に就いたのが北方遊牧民(鮮卑)であるツングース系の一派です。彼らが隋、唐を建国し、以降の中国の歴史を支配していきます。大きくは漢代まではチベット系遊牧民、隋以降はツングース系の遊牧民によって中国は統合されたと思われます。
農耕民である庶民はその間、どうであったか、これが中国を読み解く最大のポイントです。無数の遊牧民が時代毎に土地を治めますが、その度にそれまで居住していた庶民は強制的に移住させられ、既存の集団は小集団に分断され土地から切り離されます。そうして移住した民衆は労働力としてあたらな土地の開墾に従事し、農地拡大を果たしていきます。
遊牧民同志が果てしなく争い、庶民は常に支配、翻弄されてきたのが中国史の特徴であり、逆に支配の度が過ぎるとその都度庶民の反乱が起きる、これが清時代まで繰り返された中国の歴史と言えます。
このような内戦につぐ内戦を繰り返した国家の歴史を持つ国は他に事例がありません。
つまり、この支配者と大衆の間の繰り返す内乱こそ中国を読み解くポイントであり、なぜそのような状況が生まれたのか?を見ていく事が中国の幇に代表される集団的自我、中華思想に代表される国家的自我を解明する手がかりではないかと思います。
それでは次回からいよいよ、これまでの多くの追求記事をベースに、これらの歴史をつぶさに見ていきたいと思います。記事はいずれも読者と共に追求していけるよう、「なんで?」を中心に構成していきたいと思います。全部で10回から12回の構成になると思いますが、最後までよろしくお付き合い下さい。

投稿者 tano : 2011年09月25日 List  

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コメント

新テーマ面白そうですね。
ちょうど、震災の後で多くの日本人が救いを求めています。
また、先日来、オウム記事が紙面を賑わしており、あたらめて宗教への警戒感や関心が高まっています。
キリスト教やイスラム教といった一神教の世界とは異なる日本の宗教への意識。解明しておく必要があると思います。
戦国時代に無宗教である武士たちが高野山に駆けつけたように強烈な不全を感じた時に頼る何かは人間は必ず必要でしょう。
一方で江戸時代を通じて大衆は事あれば、伊勢に参りました。
それが宗教なのか、別のものなのか?
追求を期待しています。

投稿者 tano : 2012年6月9日 12:00

「何を信じるのか」というタイトルはちょっとどうでしょうか?なんか信仰がないといけないみたいによめなくもないですかね。日本人にとって「宗教」って何?ぐらいのほうがいいような気もしますが・・・・

投稿者 yama3nande : 2012年6月10日 13:13

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