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2007年03月17日

中国針灸の歴史

 中国針灸の歴史はどんなものであったのでしょうか。
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西洋医学は(科学としての医学 )です。これに対して鍼灸医学は自然の医学 と言われています。厳しい自然の中で病気と戦って得た経験、膨大な臨床数に基ずく結果の集大成なのです。鍼灸について初めて記載されたのはいまから約2000年前です。 鍼灸治療の経験はそれより数千年はさかのぼると言われています。中国文明の発祥地である黄河で生まれました。
なんと最初は竹や石器などを使用していたそうです。
そして金属が発明されて金属の鍼を使うようになりました。
 古代中国人の様子を具体的にイメージしてみましょう。外傷を受けたり、痛みを覚え本能的にその部位に手を当てたり、圧したり揉んだり、あるいはなめたり、さらには泥をぬったり、木の葉を張ったりしたと思われます。やがて文明が進歩し、火を利用し、磨製石器を使用するようになりました。鉄器が発達するようになると金属製の針が治療に応用されることになりました。こうして時間の経過と工夫とで、共にそれらの経験が集積されていったと考えらます。
  😮 イメージしてみると本当に自然の中で生まれてきた治療法だと理解できますね。
小澤
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投稿者 norio : 2007年03月17日 List  

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コメント

縄文人のすごさを感じますね!
普通は、言語は支配側に合わせるというのが一般でしょう。
そこを受け入れて自分達のものにしていく。
共同体的資質の縄文人ならでは!ですね!

投稿者 さーね : 2007年3月31日 23:01

最近気になっている事が、当時の日本人はなぜ漢字を取り入れようとしたのでしょうか?支配者だけの言葉ならこれほど早く、広く拡がらなかった?
明治維新の日本人が西洋文化を好んで取り入れたように、漢字という新しい言語様式に出会った当時の日本人はむしろ積極的に取り入れようとしたのではないでしょうか?
それは同時期に入り込んだ仏教や儒教が日本流に変えられて浸透していった事からも伺えます。実は建築などもこの頃に日本に登場しますが、シンメトリーにこだわる中国様式が定着したのは最初の数十年だけで後は日本式に崩したり、バランスをとったりとその様式は変化して美しい今日の繊細な寺社建築に至っているのです。   (tano)

投稿者 tano : 2007年4月2日 21:38

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