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2011年05月27日

中国とは何者か?~中華思想の源流~

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(画像はコチラから)
中国大陸の帝国は、その初期から交易と共にあった。
・草原の道を自在に行き来する遊牧民による交易
・夏・殷・周時代の部族間の交易
・秦から始まる朝貢交易
・その発展形としてオアシス交易路が活発化
・7世紀以降のイスラム商人による海上交易
・南宋時代には、中国人自らが海上交易に乗り出す
このように、草原の道→オアシスの道(陸のシルクロード)→海の道(海のシルクロード)と北から南へと段階的に発展してきた。この交易史が中国人の観念に与えた影響は大きい。
今回はその中でも漢時代に本格化した朝貢交易と中華思想について扱いたい。

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黄河中上流域に興った秦が、約2200年前に長江文明を取り込んで帝国を築く。これにより黄河流域の農耕文化と長江流域の農耕文化が融合し、黄河流域・長江流域・江南の沿岸部が「中華」となる。
秦が滅亡した後には、漢が中華帝国を築く。この時代からいわゆる「朝貢(交易)」が始まった。周辺国家が届け物を中華皇帝に贈り、皇帝からはそれ以上の返礼があるという交易である。「国家間の贈与的な交易体制」と呼ぶこともできる。
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(漢時代の東南アジア交易路 画像はコチラから)
この朝貢(交易)がどうして始まったかは定かでない。
可能性としては
・周辺国家が漢帝国に侵略されないように、贈り物をし、友好関係を作ろうとした。
・周辺国家が漢帝国を中心とする安定的な秩序を作るために、朝貢を繰り返した。
・漢帝国が自らの権威を高めるために、周辺国に朝貢を要求した。
などが考えられる。
いずれにせよ、周辺国家が漢帝国皇帝に朝貢し、皇帝からはそれ以上の返礼と統治を認める(冊封する)という漢帝国を中心とする秩序ができあがった。そして、東アジアに朝貢貿易体系と呼ばれる管理貿易体系が成立する。
春秋戦国時代に生まれた儒教を国家儒教として再構築していた漢帝国は、血縁秩序を豪族と小農民の地縁関係に変化させ、さらに国家・皇帝と国民の君臣秩序に変化させた。漢帝国の内陸秩序は、周辺地域にまで拡大された。中国皇帝が周辺地域の国王を任命する(冊封する)冊封体制である。これがいわゆる漢民族本位の華夷秩序であり、中国皇帝を中心とする国際的階層秩序が形成されていった。
そして、この華夷秩序を正当化する思想=中華思想が登場する。中国大陸を制した朝廷(漢民族)が世界の中心であり、その文化、思想が最も価値のあるものとし、周辺地域を見下して東夷、西戎、北狄、南蛮と呼ぶ思想のことを中華思想と言う。
この中華思想には、(現代のアメリカのような)無限にも近い拡大欲求がある訳ではない。むしろ、帝国の拡大限界を正当化し、中華帝国中心の安定秩序を形成するための思想と言える。
☆漢時代に、朝貢という国家間交易が東アジア一帯に広がり、交易体制の基礎となる。
☆この秩序(華夷秩序)を正当化するための思想として、中華思想は登場した。
☆中華思想はその意味で、ひたすら自己中心的だとは言えるが、現代のアメリカ覇権主義のような無限の拡大欲求を伴ったものではない。

<参考・引用>
小林道憲「文明の交流史観」
小林多加士「海のアジア史」
海上交易の世界史http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/page003.html#_pageHead

投稿者 staff : 2011年05月27日 List  

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コメント

ポリネシア語は知らないがインドネシア語のきらきら(およそ)や重ねる語ジャラン、ジャランがある。興味のある見解。人種的見地から考察すると立証される。ボリビアやペルーのアイマラ族は蒙古斑点があり、日本や南方起源と言われる(ちちかか湖)

投稿者 kenichi sawanaka : 2011年11月29日 20:52

力作ですね。
特に動く絵が圧巻です。
日本は辺境ゆえにポリネシア同様に古代言語が残った。これは説得力があります。後詰めるべきは、日本では決してメジャーではないC1系統と言う遺伝子がなぜ中心的な言語として残ったのかという点ですね。2ヵ月後を期待しています。

投稿者 team jyomon : 2011年11月29日 23:32

sawanakaさんコメントありがとうございます。そうですねインドネシア語も「繰り返し言葉」がたくさんあるそうですね。このへんも恐らくスンダランドC系統の言語の名残かと思われます。
アメリカ大陸に関しては、従来北方適応していない「南方モンゴロイド」とされていたようですが、C3系統などが中心のようなので、D2主力の日本人には直接的には繋がっていないように思います。むしろアメリカ大陸人に近いのはアイヌであろうと考えています。また2月にシリーズが続きます。よろしくお願いします。

投稿者 wwz2 : 2011年12月2日 17:00

jyomonチームの皆様、お力添えありがとうございました。
まだまだ、解明されるべき論点が山積みですね。これからも楽しく議論して、「なるほど!」という認識を積み上げていきましょう!!!!!

投稿者 fwz2 : 2011年12月2日 17:08

なるほど!
日本の古代文明は ムー大陸系と言うのは言語からも解るんですね。
宮崎の天照大日霊(あまてらす おおひるめ、伊勢神宮の主祭神)は ムー大陸の女性神官だったと言われます。
すなわち 日本へ流れ着いた民族が居たのです。
沖縄の高久島に辿り着いたのが アマミキヨとシネリキヨで琉球を作った先祖として崇められてます。
言語体系からも解るとは 興味深い話です。
有難うございました!
ムー大陸滅亡は 1万2000年前頃といわれてますが
1万2600年前に漆技術があったと言われます。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1371.html

投稿者 マエダタキオ : 2011年12月25日 12:43

もう一つ。
7000年前に滅びたニライカナイ大陸(竜宮伝説の国)からの文化が入って来てます。東南アジアへも逃れて行った民族も居ると思います。
大国主尊などの国津神と言われる先祖がこの流れだと思います。基本的には 乙姫伝説にある女族の国と言われますが どう言う事か解りません。
当時の民族の遺伝子は 今と異なっていたと言われます。
歴史は 侵略者により改ざんされ 地球人の遺伝子もジャンク化されていると言われます。
http://blogs.yahoo.co.jp/rocket_bus_company/65274088.html
歴史を追い駆けていくと 必ず矛盾にぶつかるのですが
アレックス・コリアーさんの話しで納得しました。
例えば・・
考古学上、日本の古墳は3世紀以降と言われます。
そうすると 神武東征の 皇紀元年=紀元前660年は ニニギの古墳や伝説(6000年前)と時代が合わなくなります。
従って神武架空説、天照大神=卑弥呼説が登場します。
5700年ほど前に来たレプティリアン、1935年にやって来たグレイが タイムマシンで過去に遡り
歴史を改ざんしたので 訳が解らなくなったと解説してます。
5700年ほど前に来たレプティリアンが 1万4000年前に遡り 地球人を攻撃し始め
遺伝子をジャンク化しながら 古代人を絶滅させたと言う話しです。
人間を作り変えてしまったと言う話しです。
是非、ご覧になって下さい!
古代人を神と崇めてますが 実際は遺伝子がまともだったので 退化させられた私達には 神に思えるだけだと言う話しです。

投稿者 マエダタキオ : 2011年12月25日 13:20

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