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中国とは何者か?~中華思想の源流~

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(画像はコチラ [1]から)
中国大陸の帝国は、その初期から交易と共にあった。
・草原の道を自在に行き来する遊牧民による交易
・夏・殷・周時代の部族間の交易
・秦から始まる朝貢交易
・その発展形としてオアシス交易路が活発化
・7世紀以降のイスラム商人による海上交易
・南宋時代には、中国人自らが海上交易に乗り出す
このように、草原の道→オアシスの道(陸のシルクロード)→海の道(海のシルクロード)と北から南へと段階的に発展してきた。この交易史が中国人の観念に与えた影響は大きい。
今回はその中でも漢時代に本格化した朝貢交易と中華思想について扱いたい。


黄河中上流域に興った秦が、約2200年前に長江文明を取り込んで帝国を築く。これにより黄河流域の農耕文化と長江流域の農耕文化が融合し、黄河流域・長江流域・江南の沿岸部が「中華」となる。
秦が滅亡した後には、漢が中華帝国を築く。この時代からいわゆる「朝貢(交易)」が始まった。周辺国家が届け物を中華皇帝に贈り、皇帝からはそれ以上の返礼があるという交易である。「国家間の贈与的な交易体制」と呼ぶこともできる。
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(漢時代の東南アジア交易路 画像はコチラ [2]から)
この朝貢(交易)がどうして始まったかは定かでない。
可能性としては
・周辺国家が漢帝国に侵略されないように、贈り物をし、友好関係を作ろうとした。
・周辺国家が漢帝国を中心とする安定的な秩序を作るために、朝貢を繰り返した。
・漢帝国が自らの権威を高めるために、周辺国に朝貢を要求した。
などが考えられる。
いずれにせよ、周辺国家が漢帝国皇帝に朝貢し、皇帝からはそれ以上の返礼と統治を認める(冊封する)という漢帝国を中心とする秩序ができあがった。そして、東アジアに朝貢貿易体系と呼ばれる管理貿易体系が成立する。
春秋戦国時代に生まれた儒教を国家儒教として再構築していた漢帝国は、血縁秩序を豪族と小農民の地縁関係に変化させ、さらに国家・皇帝と国民の君臣秩序に変化させた。漢帝国の内陸秩序は、周辺地域にまで拡大された。中国皇帝が周辺地域の国王を任命する(冊封する)冊封体制である。これがいわゆる漢民族本位の華夷秩序であり、中国皇帝を中心とする国際的階層秩序が形成されていった。
そして、この華夷秩序を正当化する思想=中華思想が登場する。中国大陸を制した朝廷(漢民族)が世界の中心であり、その文化、思想が最も価値のあるものとし、周辺地域を見下して東夷、西戎、北狄、南蛮と呼ぶ思想のことを中華思想と言う。
この中華思想には、(現代のアメリカのような)無限にも近い拡大欲求がある訳ではない。むしろ、帝国の拡大限界を正当化し、中華帝国中心の安定秩序を形成するための思想と言える。
☆漢時代に、朝貢という国家間交易が東アジア一帯に広がり、交易体制の基礎となる。
☆この秩序(華夷秩序)を正当化するための思想として、中華思想は登場した。
☆中華思想はその意味で、ひたすら自己中心的だとは言えるが、現代のアメリカ覇権主義のような無限の拡大欲求を伴ったものではない。

<参考・引用>
小林道憲「文明の交流史観」
小林多加士「海のアジア史」
海上交易の世界史http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/page003.html#_pageHead

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