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2007年10月21日

中国の特有の人間関係 「幇」

>・なぜ中国人は自己中=個人主義が強いのか?・・・・・ちょうどるいネットでも紹介されていますが、中国人は血縁の結束力は強いが、他に対しては出し抜くことばかり考えているという。その源流はどこにあるのでしょうか?中国文明のなんで?
こんにちは、Hiroshiです。
中国人の身内での結束力と、身内や親しい人以外に対しての割り切り、非情さ。その性質を巡って中国人に対する評価が、大きく分かれているように思います。
それを解く鍵・キーワードは、「幇」(“パン”または“ほう”)という言葉にあるようです。
★中国社会の構成は極く簡単にまとめると、
縦軸(血縁のつながり)として父系集団としての「宗族」があり。
横軸として仲間や連帯の契りを結んだ「幇」がある。

宗族についてはとりあえず、 「中国社会の基本構造:宗族と祖先崇拝・儒教」を参照してほしい。ここでは、主に「幇」について調べてみたい。
みなさん「幇」ってご存知でしょうか?僕なんかどうも青幇・紅幇なんかの秘密結社?とかを思い出してしまうのですが、どうも中国人至るところ「幇」ありという感じらしい。
たとえば、世界中に進出している華僑。華僑より>

華僑は「幇(パン)」という同郷同胞の連帯組織を作り、相互扶助を行う。
 「幇(パン)」には次の2種類ある。
郷幇(きょうばん)……籍貫(しゃくかん)(=出身地)に基づく地縁的集団。会館(同業・同郷・同族者らが集会用に異郷に建てた施設)、義塚または義山(共同墓地)、学校、病院などを建て、相互扶助を行う。 主な郷幇は、福建幇、潮州幇、客家幇、広東幇など。
業幇(ぎょうばん)……同業者で作る職業的連帯集団。仕事上の便宜を与え合う。

・・・地域生活や仕事の共同組織としてかなり生活に根をおろしている様子がうかがえます。
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★では「幇」のつながりとは、具体的にどんなものなのだろう?小室直樹先生によれば、中国人の「すべての人間関係」という集合を考えると、この集合のなかにごく一部の「幇」という部分集合をつくると、すべての人間関係は、「幇」とそれ以外に分けられるという。さて「幇」と「幇以外の人間関係」の違いとは――。
ちがうのちがわないのって、根本的に違う。天地雲壌の違いである。幇内の人間関係たるや盟友も盟友、絶対的盟友である。死なばもろともである。勿論、いくら借金したって証文などごうりも必要としないことは言うまでもない。
 この幇こそ中国独特の人間関係であるから、徹底的に腑に落としきっておかねばならぬ。

典型的な「幇」の結びつきの例として、三国志の三人の結びつきについて述べている。

劉備、関羽、張飛、の三人は、以前からずっと見知っていた訳ではないし、血を分けた兄弟でもない。しかし、ひとたび桃園で義盟を結ぶや、実の兄弟なんかとは桁違いに固い契りの義兄弟となって、ここに劉備・関羽・張飛の三人幇、三人組みが成立する。
こうなってしまったら最後、彼ら三人のあいだの契りがいかに固いものか。
彼ら三人のあいだでは、利害、争いから完全に自由であり、絶対に信頼でき、完全に理解しあい、そして生死を共にする。まことにそのとおり。一点の疑点もない。これが幇(幇会(パンフェ))内の人間関係である。

なんと、生死まで共にする関係。確かに日本ではこんな例は聞いたことがない。
では幇外に対してはどうなる?

幇内の人間関係は、まことに生死をともにするものである。では、幇外の人間関係は、どういうことになるのだろうか。
ひとことでこれを言うと――。
何をしてもよろしい。窃取強盗ほしいまま。略奪、強姦、虐殺・・・・何をやっても少しもかまわない。いや、かまわないどころではない。それが論理であり、それが道徳である。・・・・・
よく知られているところでは、かっての古代ベドウィンの民。砂漠の流浪民なのだがチャンスがあれば、隊商でも村落でも、ほしいままに略奪し、虐殺し・・・。こんなこと、古代ベドウィンの倫理・道徳では、少しも不倫でも非道でもない。全くもって、倫理的・道徳的な行いそのもの。

最後に古代ベドウィンが出てきますが、ベドウィンは父系集団。
中国の「幇」は血縁以外の人々が、独自の強力な規範と仲間意識をもって、“義”で結ばれた男集団を形成していることが特徴だ。
起源として考えられるのは、ベドウィンの例に見られるような、父系集団の強力な自集団正当化の観念を、仲間世界まで応用して横軸となしたことではないだろうか。だから、他集団に対しては容赦なく略奪・強姦okになる。(日本で言えば、“盟友の誓い”とか近いかも。どちらかというとヤクザの規範に近い。)
これが、冒頭の疑問“身内に対しては結束力がつよいが、外に対しては出し抜く”という日本人の中国人評となる。彼らの集団規範からすれば、ごく当然の行為なのだ。
従って単純に中国人は、個人主義が強いなどとは言えない。「宗族」「幇」は、ある意味強烈な集団主義だ。ただ、日本や欧米には存在していない点が分かりにくいのだろう。
次回「幇」を中心とした人間関係の多重性について見てみたい。
(by Hiroshi)

投稿者 ihiro : 2007年10月21日 List  

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コメント

仰るように縄文時代は、集団存続が第一であり、日々自然圧力に晒される状況です。
自然の前では自分という意識は入り込めなかったのだと思います。縄文1万年の間に、人々はおそらく数え切れないほどの単位で、飢饉や山火事を経験したに違いない。
それらの災害を通して、神への畏れをともなったこの言葉が、縄文人の意識や感覚に張りついていたと考えられます。
イネの神さま。穀霊。ムギの神さま、イモの神さま。クリやトチの実の神、 豊穣の神、山の神、海の神、川の神、それこそ何でもありの八百万(や およろず)の神々がいたのです。
彼らの生活は完全に、この言葉によって規制されていた、と考えていいと思います。

投稿者 mukai : 2007年11月8日 23:40

モノは共認の結集物、そう思えば大事にしてあたりまえですね。現代は逆ですけど(--)

投稿者 tano : 2007年11月9日 13:12

mukaiさん
なるほど。自然が外圧であると同時に神という感謝の対象だったのですね。
みなで助け合っていかなければ生きていけない。
それが、自分という意識さえ封じ込めてしまったんでしょう

投稿者 さーね : 2007年11月9日 19:30

tanoさん
>現代は逆ですけど(--)
そうなんですよー(>_tanoさん
>現代は逆ですけど(--)
そうなんですよー(>_<) ただ、僕自身が感じるのは、 >モノは共認の結集物 現代も、共認の結集物であるモノもあるんですよね。 やっぱいかに自分⇒共認に意識を転換させていくか?ですね^^

投稿者 さーね : 2007年11月9日 19:33

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