中国文明:中国考古学の実情 |
メイン
2008年02月03日
中国文明:遊牧民族「古代羌族」の歴史③~夏王朝は羌族の手によるものか?
中国西北部の高地にいた古代羌族が、黄河上流に斉家文化、長江上流に三星堆文化を起したであろうことは前稿で書きました。今回はさらにその続きです。
●まずはトルコ石のお話から。
下の左の写真は斉家文化(BC2000)の玉製牌飾?らしく、右の写真は二里頭文化初期(BC1700頃)の青銅製牌飾です。(こちらよりお借りしました。)
いつもありがとう♪ 応援よろしくです。
二里頭文化とは夏王朝と目されている中原の文化で、以降中国ではトルコ石の象嵌が多く見られていますが、初期は斉家文化だったようです。その斉家文化は遊牧民の古代羌族の手によるものなのですね。
そこで気になるのは、トルコ石の出自や象嵌技術の伝播です。
トルコ石は、エジプトのシナイ半島で5000年以上前から採掘されていたようで、トルコ商人の手によってヨーロッパに持ち込まれたことからトルコ石と呼ばれています。
中国でも陜西省と湖北省間の山岳地帯で良質のトルコ石が産出されます。斉家文化の南東部にあたりで、二里頭文化にも近い。(リンク)
一方の象嵌技術は、その発祥はシリアのダマスカスで生まれたようです。シナイ半島のすぐ近くですね。(リンク)
これから類推するに、西アジアまで股にかける遊牧商人がトルコ石の象嵌を中国に伝え、斉家文化から二里頭文化へと伝承されていったのではないか。
とすると、夏王朝の主はやはり古代羌族を祖先とする遊牧民かもしれない。
●さらに、青銅器に着目すると、
黄河流域で最初に青銅器文化が生まれたのが、なんと斉家文化(BC2000頃)なのです。(リンク)
一方、長江流域で最初に青銅器が生まれたのが、なんと三星堆(BC1700頃)なのです。
三星堆もまた古代羌族が南進して作った文化であると、前投稿で述べました。
>青銅器の発明が、掠奪闘争に対する縄張り防衛を可能にして、一気に農業を基にした都市国家の成立を可能にしたようです。(るいネット)
>つまりこの時期には、西北方面ルートから遊牧民が波状的に来襲し、次々と中国各地を占拠し征服していった。そして遊牧民の中で強大化した勢力同士が争い、征服王朝を開いた。それが殷であり、次に周だったのではないか?(波状的に遊牧民がやってきた古代中国)
トルコ石の象嵌や青銅器の起源を見るに、遊牧民が斉家文化や三星堆ばかりか、中国各地に進出し、ついには夏王朝を開いたのかもしれません。 (by eto)
投稿者 nishipa : 2008年02月03日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2008/02/444.html/trackback