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2010年06月04日
『イスラムを探る』第4回 急激な市場化の中で生まれたイスラム
こんにちは!
『イスラムを探る』のシリーズも今回で4回目になります。 今回は、イスラム教が誕生した時の【特殊性】を「急激な市場化の中で生まれたイスラム」を見ながら追求したいと思います。
これまでの流れを簡単に復習すると
第1回【イスラム社会ってどんな社会?】
・「イスラム教の簡単な形成過程」と、イスラム教の特徴である「戒律と日常実践(六信五行)」を扱い、最後に社会の最基底部の男女の性のさわりを「イスラムの女性」から説明しています。
第2回【イスラム教誕生前夜の状況】
・環境・自然、言語、生産様式、集団の系譜、民族意識、メッカ、政治・戦争・部族間同類闘争を通じて分析しています。イスラム前史では、アラビア半島では統一国家や王朝は殆どなく、緩やかな部族連合で、本源性を残した遊牧民だった。しかし急激な市場化が進み、その旨みを手にしたことで本源性=共同体崩壊の危機になって行く。
第3回【ムハンマド登場と急拡大したイスラム教】
上記の崩壊危機を何とかすべくムハマドが登場しイスラム教という超越観念でアラブ・アジア・一部の西欧に力を拡大した。この拡大をどのように実現したのかをまとめています。
イスラムの「特殊性」とは何か?
そしてこの特殊性を生んだ要因とは何か?
実はこの要因は、現在の無秩序な市場拡大の問題と同根なのです。
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まず、状況を俯瞰するためにこれまでの投稿を図解化します。 🙄 🙄 🙄
■急激な市場化の中で生まれたイスラムの図解から
「国家の無い(=*A 武力のない)裕福な商業都市の形成」は、言い換えると
『国家(武力)という統合機関を持たずに「市場」のみが発展した社会』といえます。 🙄
国家(武力)という統合機関(機能)が無いが故に混沌とする社会を統合するために、潜在思念に残る「規範=掟」に秩序収束したが、市場の拡大は貧富の格差を拡大させ続け、集団の統合不全が広がる。そこでイスラム(ムハマドと仲間)は、集団の統合不全を一気(=数十年)に解決するために国家(=武力)という力の序列原理(=序列統合)ではなく、ウンマ=共同体と貨幣経済社会を統合した超越観念(法律、経済システム、軍事システム、制度規範を整備するイスラム教)に収束して突破したことが【特殊性】だと思います。
では図解にそってみて行きます。
■何故、アラブに国家が形成されなかったのでしょうか?
この時代の国家は武力の多寡で決まりました。よって、アラブの武力のありようを見てみます。
「イスラム教は市場社会の中で生まれた」から抜粋します。
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前略
大きな軍隊がその通商都市の一つに駐屯することを考えてみよう。このときこの軍隊はその維持費をまかなうため市民に税金を課さねばならないのだが、問題は市民の富が通商による利潤によって成立していることである。 砂漠の中をラクダを連ねて渡る隊商の立場からすると、こういう都市は非常に困る。せっかく利潤を上げても、その都市に立ち寄ると高額の税金をとられ、無駄飯食いの軍隊を養う費用のために利潤を吸いとられるというのではたまったものではあるまい。しかし砂漠というのは広いのである。彼の立場からすれば、もっと安く中継点となってくれる都市を別に捜すなどということはそう難しいことではない。こうして通商ルート全体が、この軍隊の居座る都市を嫌って一斉に迂回を始めてしまうのである。そのため通商ルートに見放されたこの都市は急速にさびれて市民の食糧を確保することさえ困難になっていくことになる。軍隊が飢えで自滅することは言うまでもない。
そしてどの都市も等しく似たような状況に置かれるということを考えれば、相互の侵略に対処するための軍事力の必要性もどんどん低下していくことになる。大体において、ただでさえ砂漠を大軍が渡って都市の城壁を打ち破るなどというのは大変なことであり、他の都市を侵攻するにはよほど腰を据えて大規模な補給体制を整えない限り、できるものではない。
こうしてお互いに軍隊の保有ということがコスト的に引き合わないということがわかっているため、軍事力が非常に低いレベルに止め置かれるというのが、砂漠の隊商都市に特有の現象なのである。
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結局、大きな武力はアラブの民には必要がない。これがアラブに武力国家が生まれなかった要因です。
■次に国家と市場の関係から、市場のみが発展した社会を考えてみます。
msg:31251
「 超国家・超市場論11 市場は社会を統合する機能を持たない 」から抜粋します。
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もともと市場は、「共生(取引)適応」の存在である。共生(取引)適応は、あくまでも闘争圧力からの抜け道に過ぎず、共生適応の最先端機能たる取引⇒お金では、(闘争圧力が消えて無くなった訳ではないので)闘争圧力に対応することが出来ない。
つまり、共生(取引)適応はあくまで抜け道機能しか生み出さないのであって、それは闘争圧力に対する真の最先端機能ではない。従って、全体を収束⇒統合することはできない。これが、市場が社会を統合する機能を持ち得ない、究極の理由である。
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抜粋終わり
アラブ社会は短期間に「市場」という抜け道機能のみが形成された。何であれ社会を統合する力がない抜け道の市場に収束すれば、個人は低きに流れ自我に収束してバラバラになっていく。これが市場のみが発展してゆく社会であり、これが集団を破壊するベクトルなのです。
■これに対してどうしたか?
古い掟に秩序収束した。更に超越観念でウンマ(イスラム共同体)をつくった。そして集団破壊のベクトルを持つ「抜け道機能の市場」の発展は貨幣量に規定されることを超越観念で見抜いたようです。
貨幣=金銀の獲得を何よりも最優先して発展したイスラムの姿を以下の投稿で示します。
イスラム世界が経済発展していたのはなぜか? (田舎に過ぎなかったヨーロッパ)から抜粋します。
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イスラム世界の交易の中でも、最も活発だったのが、インドとの交易であった。インドから香辛料、綿織物、象牙、真珠などを輸入し、金銀を輸出する交易によって、イスラム世界は更に栄えることとなる。
しかし、インド交易を通じて、金銀が流出し続けたため、イスラーム帝国は金銀の確保に努めなければならなくなる。金銀山の発掘や、ヨーロッパとの交易を通じて、ある程度の金銀が手に入ったものの全く不足していた。(ヨーロッパにとっては、イスラムは最重要交易相手だったが、イスラーム世界からは重要度は低かった) 経済の発展スピードを決定する貨幣量=金銀量が経済的縮小を余儀なくされる。
そこで、イスラーム世界では金銀の獲得が何よりも優先されるようになる。当時、大量の金銀鉱山が発見されていたアフリカ西海岸、東海岸へイスラームが手を伸ばしていった。
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抜粋終わり
■上記ように金銀の獲得を何よりも最優先して発展する。そしてその発展を共同体規範に塗り重ねて、喜捨(ザカート)や寄進(ワクフ)及び利子(リバー)の禁止等を組み込んだイスラム経済原理や法及び六信五行の行動規範をつくり、既存の貨幣経済社会を個人ではなく集団として勝ち抜いていった。常に破滅に向かう市場を構造化し、共同体を生かす規範群を基に超越観念で再統合していく。これがイスラム教の特徴だし、これを数十年の短期間に成し遂げたことが最大の【特殊性】だと思います。 😀 🙂
さて、最後に国家がなくて市場のみが発展して格差が拡大する社会とは、正に国家財政を破綻させて拡大を続ける現在の市場そのものと言えます。この現在の市場の問題をイスラムは超越観念=イスラム教で止揚し、集団を統合し、急拡大させた。現在でもその共同体的互助システムや経済システムは機能しています。これは行き詰まった現代社会(市場)を突破する答えがあることを示していると思います。どうもその基本は共同体(規範)にありそうですね。
次回はその答えを握っていそうな「イスラム経済原理」を扱う予定です。お楽しみにね。
投稿者 sakashun : 2010年06月04日 TweetList
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