| メイン |

2015年05月26日

復活力。叩き潰されても復活しようと考えるのが日本人の特性だ。

前回は、「わが国の国民性は地震により形成されている。」をるいネットより紹介しました。(http://web.joumon.jp.net/blog/2015/05/2910.html)日本人の、集団性、秩序収束の強さは地震等の自然災害の多さからきているのではないかとの展開でした。

今回も続けてるいネットから紹介します。日本人は自然災害をおそれ、秩序に収束しているだけではありません。

 

復活力。叩き潰されても復活しようと考えるのが日本人の特性だhttp://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=275292

●いつの間にか「復活」しているのが日本

考えてみれば、日本には次から次へと地震が襲いかかっている。

地震だけではない。毎年のように規模の大きな台風も襲いかかって来る。これほど災害が次から次へと襲いかかって来る国も珍しい。

だから日本人は「災害慣れ」せざるを得ない。アメリカ人のように震度3程度の地震でパニックになっていたら暮らせない。

201207011755122c8[1]

2011年3月11日の東日本大震災は、もし大津波がなくて地震だけであれば、2万人が死ぬような大惨事にならなかったのは確かだ。津波が2万人を殺した。

普通の国では広範囲に渡って街が破壊され、一気に2万人もの人たちが死ぬような巨大災害に襲われたら、それこそ社会不安が全土を覆って破滅的な事態になってもおかしくない。

 

日本だけを見ていると気がつかないが、日本以外の国では、災害で損害を受けると、それが社会不安につながって、どんどん破壊が広がって行く。

略奪・暴動・銃撃戦が起きるのだ。それこそ、被災地に軍隊が入ると、最初の仕事は救援活動ではなく、暴徒の制圧であったりする。

 

また、多くの国では、被災者は地域を復旧させるのではなく、地域を捨てる決断をする。

だから、そこが重要拠点でもない限り、多くの被災地は見捨てられたままゴーストタウンのようになっていく。

 

その点、日本人は意外なまでに冷静で、社会不安が引き起こされる前に、誰に言われるまでもなく復旧作業が自然に始まり、どんどん回復させて元に戻してしまう。

そして、いつの間にか「復活」している。復活したときは以前と違って、危機に対処された新しい姿の復活になっている。

 

●静かに「破壊を受け入れる」精神

 

「社会を構成する巨大な何かが壊れても、それに耐え、工夫しながら復活する」

日本人のこのような特殊な精神構造は、いったいどこから来たのか。

 

考えてみれば、これは他の東アジアの国々とはまったく違うものだ。中国も、韓国も、いまだに数十年前の歴史を蒸し返してそこから一歩も進まない。

 

しかし、日本人はアメリカに国土を灰燼にされても、復旧させて、以前に増して強靱な国土を作って復活してしまう。

壊されても、壊されても、どんなに時間がかかっても、復活させてしまう気質を持っているのが日本人だ。

日本人は気がついていないが、日本人が最も得意としているのは、勝つことではない。壊滅的なまでに負けても「復活できる」ことなのである。

20d70e80[1]

毎年のように突然やって来る地震や台風のような巨大災害が、日本人の特異な民族性格を形作っているものであるとはよく言われる。それは真実かもしれない。

歴史的に、日本人は地震や台風や火事で、築いてきたものが一瞬にして破壊されるという経験を毎年のように経験する。そこから逃げられないし、自分だけ助かろうとしても無駄なことも知っている。

 

自然災害はワイロを渡して回避することはできないし、どんなにカネがあろうがなかろうが、平等に被害をもたらす。

だから、破壊されても「こんなこともある」と静かに「破壊を受け入れる」精神が日本人にはある。

破壊されないことよりも、むしろ破壊を受け入れて、いかに淡々と回復させ、いかに淡々と復活するかのほうに力を注ぐ。

 

(中略)

 

●叩き潰されても復活しようと考える民族

 

さすがに原発事故はすぐに片を付けられるような状況ではないし、多くの日本人の意に反して、それは数十年にも及ぶ苦闘の復旧作業になることは間違いない。

そもそも、この原発事故は、収束させられるのかどうかすらも分からない。

しかし、日本人は自然災害に立ち向かうかのように原発事故に立ち向かっており、持ち前の「復活力」で何とかしようと奮闘し続けている。

 

(1)巨大なものに叩き潰される前提で生きる。

(2)叩き潰されても受容し、復活に集中する。

(3)復活することで、しぶとく生き延びる。

 

このように言葉にすると、日本人は自然災害を思い浮かべ、「地震や台風が来たら何か壊れるし、それを片付けて対処するのは当たり前だ」と思うのかも知れない。

実は他国では(1)の「叩き潰される前提で生きる」という部分から受け入れがたいと思うことが多い。それよりも勝つことを前提に生きる。

 

また、(2)にしても、まわりが叩き潰されて自分がかろうじて生き残っていたら、復活を考えて行動するよりも、まず誰かに責任を取らせることを考えることが多い。

 

責任を取ってくれないなら、暴れるか、逃げる。(3)のようにならない。どこの国でも、だいたい、そのようにできている。叩き潰される前提もないし、復旧に集中することもない。

 

原発災害の場合では放射能被害が出るので、逃げないという選択は「しぶとく生き延びる」ことを放棄することになるので、まずは逃げなければならない。これは第一前提だ。

逃げて「しぶとく生き延びる」選択をしてから、ここから日本人は他国とは違った行動様式になっていく。淡々と復活に向けて動くのである。

 

果たして日本人の「復活力」が、破壊された原発にも応用可能なのかどうかは誰にも分からない。2年経っても事態はひどくなる一方だし、メルトダウンした核燃料は十年経っても取り出せないはずだ。

 

しかし、あきらめるという選択肢がまったくないのが日本人の特質であり、興味深いところだ。

数十年かかっても、日本は相変わらず復旧に向けて淡々と動いている可能性が高い。何しろ、何度叩き潰されても復活しようと考える民族なのである。

投稿者 tanog : 2015年05月26日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2015/05/2916.html/trackback

トラックバック(1)

コメント

心に響きます。淡々と がキーワード ですね。

投稿者 荒木しう子 : 2015年6月9日 08:22

コメントしてください

 
Secured By miniOrange