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2011年06月10日

緊急企画 「東日本大震災は日本人に何を覚醒させるのか!」 第9回 日本の再生力はどれだけあるのか?

繰り返しやってくる地震や台風の反面、日本の自然は世界でも稀有な豊かさを持っているといわれる。自然そのものがもっている回復力の強さ、人々の復興への力などがどのようになっているのか?を見ていきます。 

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日本列島及び日本人は、過去に何度も台風、地震、噴火、津波、洪水、旱魃、長雨、虫害、飢饉、疫病等の自然災害を受け、そのたびに立上り、強い回復力をもって乗り越えてきた歴史があります。この自然回復力や我々の復興の力は、自然災害を受け入れ、ともに共存し再生してゆくという「日本人の持つ共同性と本源性=みんなの意識」が力の源泉となっていると考えられます。
 
しかし、今回は、自然災害だけではありません。3.11の震災は、原子力発電所の崩壊、放射性物質の放出という事態を招いてしまいました。人災を克服してゆかねばならない課題が目の前に迫っています。人災は、我々自身が市場社会を謳歌した結果の被災であると認識し、日本の再生力・復興の力は、いままでよりもさらに一段も二段も上の結集力が必要と考えられます。
 
原発は、観念の産物で人災である以上、私たちは、それを上回る観念で対処してゆかねばなりません。もしかしたら観念力や社会性を発揮する時ではないか?と思われます。次回、原発事故の話題を扱うこととして、本記事では、自然災害からの自然の再生力と人々の復興への力に焦点をあてて考えてみます。
◆今までの記事はこちらです。
緊急企画 「東日本大震災は日本人に何を覚醒させるのか!」
プロローグ
第1回 日本人の縄文体質~有事に現れるその共同性と本源性
第2回 海外から見た日本人の共同性
第3回 地震・災害大国日本の歴史-1
第4回 地震・災害大国日本の歴史-2
第5回 地震・災害大国日本の歴史-3
第6回 地震・災害大国日本の歴史-4
第7回 地震・災害は日本人の性格をどのようにかたちづくってきたか?①
第8回 地震・災害は日本人の性格をどのようにかたちづくってきたか?②
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人々の復興への力について
3・11の東日本大大震災により、自然環境も人々の日常の生活も大きく打撃を受けました。この1ヶ月半、途方に暮れ、悲しみとともに過ごしてきました。社会や国家や企業などの今までの市場社会に生きる人々の弱点や無能さ、騙しの構造や問題点が明確化し、皆が変えてゆく必要を感じていると思われます。
いままでのシリーズ記事で分かったこと。
1】[有事に現れるその共同性と本源性]では、’95年の阪神・淡路大震災や’04年の新潟中越地震と今回の3.11の東日本大震災に見られる日本人の秩序維持と協働性と皆で考えるという意識の芽生えは誰もが感じるように顕在化して来たことが分かりました。
2】[海外から見た日本人の共同性]では、震災時の日本人の秩序維持力、礼儀正しさ、相互に助け合う精神を絶賛する声が聞かれ、私たちが日常的に意識せずとも行動しているこれらの規範性や秩序形成力は、外国から見ても稀有であり、正しいことを確信しました。
3】[地震・災害大国日本の歴史1~4]では、実は、この意識は戦前まで庶民の意識化に脈々と流れる物であり、助け合いの精神や村落共同体の力強い復興の力は、実は、自然災害の多い日本では、長い歴史を持っていること。しかも、お上も明治の欧米の近代思想が持ち込まれるまでは、庶民同様、みんなのための視点で復興対策や災害支援を行っていたことが明確になりました。
4】[地震・災害は日本人の性格をどのように形づくってきたか]では、災害の多い日本において、人間本来のもつ本源性や共同性に直結する自然への畏怖や畏敬の念をベースとして形づくられ、自然の恵みに感謝し、ともに歩む同化対象としての自然観を作り出してきたということが分かりました。
近代以降、欧米の市場社会・私権原理・近代思想の導入により私たちは、もっとも大切な意識を忘れてしまっているのではないだろうか?利便性、快適性を個々人で追求するがあまり、思いあがっていたのではないだろうか?このような本源性や共同性、秩序形成力、共認収束力は、私たちに根強く息づいていることが分かり、原点に帰り自然の摂理に添った生き方をする必要があるのでは?と今回の震災は教えてくれたと思います。
そして、今回の震災から、市場原理や特権階級やマスコミの無能さと不信、脆弱性が完全に顕在化してきたように思います。
こうした日本人の意識は、今後の日本の再生力に大きく寄与して、新しい社会構造を作り出すきっかけになると思います。統合階級と共認形成機関=マスコミにとって変わる場ができれば、近い未来には、[一億総覚醒]状態となり、根本から社会を見直すことの提起が数々生まれてくると思います。
人々の復興への力、再生力は、実は、再生力ではなく、新秩序収束力であり、市場社会を塗り替えて行くことの心底の基盤が整ったと考えられます。
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自然環境の再生力について
日本列島は、自然の回復力や再生力が高く、とても恵まれているという。自然災害がもたらす自然の新陳代謝と地形、豊かな恵みは、人々の本源性を育む土壌となり、日本の震災からの再生の力を後押ししてくれるように思います。下記のサイトを紹介します。
 外国の問題事例を日本に直輸入して良いのかより転載します。
 
諸外国と比べて日本の環境の特性を考えると、その大きな違いは、日本の国土は自然の回復力が大きいことがあげられる。また国土の70パーセントも占める山地が、人を寄せ付けない急峻さで、森林としての土地利用しか考えられず、その結果開発から守られているという、自然保護にとって都合の良い日本国土の姿であることもある。アルプスを除く欧州の大地が、山といっても丘陵と表現した方が適当な平坦さのため、農地あるいは放牧地にするため、森林が伐採され、結果として今になって自然保護が叫ばれていることがあるが、これは欧州の事情ではないだろうか。

日本は、森を再生する力に満ちているcwnicolより転載します。

私たちがあたりまえだと思っていた日本の自然。実はすばらしい自然環境に恵まれているようです。日本は豊かな自然を育む土壌に恵まれています。日本列島は、火山の影響で複雑な地質をもつ上、連峰と急流な河川が多いため、多くの種類の動植物が集まる。さらに温暖湿潤な気候のため、自然回復力が早い。つまり、日本には森を再生する可能性がものすごくあるんです。私たちは日本独特の自然の豊かさに気づき、もっと長い時間軸で自然の再生を考えていくべきです。

とある。日本は自然災害が多い反面、厳しい環境外圧に置かれており、新陳代謝の高い自然環境と判断できないだろうか?そのために生命力の強い動植物の繁栄がなされているのではないだろうか?
 『水資源』の危機!!どうする?-②:1.水資源とは?には、

水は生物の最も根源的な資源である。人間が生活や農業・工業生産で主に利用する淡水も、海水から塩分を除かれて蒸発し陸地に雨(淡水)として降らす水循環システムの一部として存在している。

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このように水や熱や風や雨や海水などの自然からの恵みと回復力・再生力の高い環境に恵まれ、なおかつ、かつては、使用エネルギー量を殆ど使わない日本人は、市場原理と私権原理に惑わされず、本当に必要なものはなにか?と問い直していき、本源性・共同性・秩序形成力と共認形成力をもってすれば、必ず、日本の再生→新しい社会構造の構築が可能と判断できると思います。
自然環境も人類の再生も多様な関係性の構築の金で協働し育まれてゆくものであると思いました。大きな生態系の循環の中に逆らわず、その摂理からはみ出さずに回復してゆく力は、日本の自然にも、人々の意識の中にも息づいていることに気づきました。市場の行き詰まり、より脱市場の新しい共認社会が実現すれば、どの先進各国に先んじてまず、お手本となり、各国の指標となりえると思われます。
世界共認
もそう遠くない将来に私たちから形作られるのではないか?と感じています。
 そのために、事実に基づいた共認形成を阻んでいる特権階級とマスコミに関しては、特に原発問題対処には大きな影響を与えています。縄文体質にさらに観念力・社会認識力が試される原発問題を次回、扱います。乞うご期待下さい。

投稿者 2310 : 2011年06月10日 List  

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コメント

第1章から興味深く読ませていただいております。
「伝える」のツタと、植物のツタに親近性があるって、言われてみれば、確かに! いつも使っている言葉の背後に、そんな深い意味があったのかと驚かされました。

投稿者 michelle : 2011年11月4日 23:06

「ツタ考」を書きました。firstoilです。
追記があります。
知り合いから文章の感想をいただいたところ、
「ツルの用例が抜けているよ。」と指摘されました。
それは ツルム(連む)、ツルム(交尾む)です。
ありゃりゃ!?この文章のテーマそのものの用例でしたね。
これが抜けていたとは・・・
イラストも描き足そうと思ったのですが生々しくなるので
やめときます。

投稿者 firstoil : 2011年11月4日 23:49

こんにちは。第1章から楽しみに読ませてもらっています。
縄文土器の模様が”ツタ”であることに、腑に落ちるものがあり、また、ヤマトコトバに対する洞察の深さに感銘しました。
「人に話す」のではなく「人に伝える」ことを、日頃からこころがけたいです。
続きを楽しみにしています。

投稿者 watami : 2011年11月6日 02:18

「話す≒放す」という言葉は、原始人類の意識を上手く伝えているなと思っていました。古代の人は「自分が」話すと言うよりも、何者か(精霊?)が自分の体を通してことばを発していると言うような感覚を持っていたのではないかと思うのです。
何者かの思いを「放す」という感覚です。
一方、縄文時代も安定、発展期を迎えると、集団が拡大して、集団間でトラブルがないよう調整したり、一緒に祭りをしたりと、集団間で密なコミニュケーションを必要になる段階が来たと思います。
そのとき編み出された概念が「はなす」を超えた「ツタえる」と言う概念なのかな感じました。森の縦横に張りめぐるツタの様子は、集団間を緊密に統合したいという思いとぴたりと一致したのではないかと思います。
すばらしい記事ありがとうございます。

投稿者 FWZ2 : 2011年11月6日 10:23

毎回楽しみにしています☆
こういう記事を読むと、植物も、動物も、私たちも、その意識も、生きとし生けるものは、全て周りとつながってこそ生きてるし、そうすることで、命をつなげて生きながらえてきたんだな~って感じます。
おもしろい記事、ありがとうございます♪

投稿者 ぴのこ : 2011年11月7日 12:34

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