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2018年12月24日

「縄文体質は次代の人類の可能性!」第2回~教育が変わる

シリーズ第2回は 教育が変わる を扱います。

庶民の教育の原点は江戸時代の寺子屋にあります。 そこでは、子供たちが生き生きと、大はしゃぎしながら、主体的に学んでいる姿が、寺子屋の絵にたくさん残されています。 誰に言われるのではなく、学び、江戸時代の識字率は世界のトップに君臨していました。

ところが、現在の学校教育は真逆の方向に進んでおり、強制的に強いられる勉強のおかげで、子供達は何のために勉強するのかが分からなくなり、勉強ばなれどころか、生きる意欲すら喪失しているのが実態です。

現在の学校教育は、軍隊をモデルに作られており、命令に従順に従う訓練同様に、上司の言うことに従順に従う人間を作り出すことを目的に作られた制度です。当時は、自ら主体的に考え、行動する人間はむしろ不都合だったのです。 こうした制度は今でも全く変わっておりません。

そして子供達の勉強は点を取るための暗記しかしなくなり、本来の自ら考える思考を退化させています。

今回はこうした状況を突破するために、まずは寺子屋に学び、古来から継承されている職人の教育に学び、これから求められる「教えない教育」について掘り下げていきたいと思います。

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【江戸時代の寺子屋の風景。無秩序だが活力と学ぶ意欲に満ち溢れていた!】http://blog.nihon-syakai.net/blog/2018/09/8103.html

江戸時代の画家で、三河国田原藩の家老でもあった渡辺崋山。その崋山よって描かれたたくさんの寺子屋の絵が残っています。 これらの絵を見て驚かされるのは、とにかくその様子は「学級のまとまり」など皆無で大騒ぎ、大はしゃぎといった感じ。現代の学校教育の視点から見れば「学級崩壊」ではないか!?と思えてしまいます。

しかしこの教育現場の姿にこそ、江戸時代の社会や精神が色濃く反映されています。

── 寺子屋で子どもたちは何を学んでたんでしょう?

市川 :主にやっていたのは「読む」ことと「書く」ことですね。 「読み」は先生に教わりながら、色んな往来物(おうらいもの)を読むことですね。往来物は、いわば教科書ですね。 「書き」のほうは、お習字ですが、基本的には自主学習なんですよ。自分で、一所懸命やるんです。で、お手本には2種類あって、往来物がお手本になる場合と、折り本と言って、お経のように‥‥

「読み」は先生に教わるということですが、いまの学校のように、みんな一斉に教科書を開いて、「○×くん、読んでみなさい」 「はーい!」という感じではないんです。 基本的には、個別教授なんですよ。だから教室があんなに賑やかになるんですね。先生が一人の子を教えてたら、あとの子はフリーになっちゃう。

じゃあ、どうして、師弟関係がたいへん強固に存在した社会で、こうなっちゃうんだろう? と思いますよね。

そこが、寺子屋の本質であり、大事なとこなんです。 「勉強っていうのは、強制するもんじゃない」 っていう発想がかなり強かった、っていう風に、解釈できるんですね。 「学び」が「遊び」に純化されているところがあるんです。

無秩序だが活力と学ぶ意欲に満ちた江戸時代の教育現場、整然としたカリキュラムと定期試験により秩序化、序列化はされているが活力の無い現代の教育現場。  人間として充足した場はどちらなのか、考えさせられます。

 

【識字率70%超え!~寺子屋の仕組みがすごい~/Japan 知識以外に人間としての生き方を学ぶ】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=339188

●今の小学校との違いは、教える人・内容・費用

現在の小学校と寺子屋の違いを比較してみました。規模や入る年齢、就学期間、(1学級の)生徒数もほぼ現在の小学校と同じです。寺子屋は現在の小学校に比べ1日の授業時間は短いですが、休日数が少ないため総授業時間はあまり変わりがないようです。違う点は、教える人、教える内容、費用のようです。

●ボランティアで教える先生たち

寺子屋で教えていたのは、なんと現役の村役人や僧侶、神官、医師、町人。本職の仕事をする傍らで、子どもに指導をしていていました。寺子屋の先生は、お師匠さんと呼ばれており、お師匠さんはほとんどボランティアで、授業料などは生活の足し程度でしかなかったようです。 なぜ全国で1万5千もの塾ができる程大勢ボランティアの先生がいたのでしょうか。それは先生になると、たとえ身分は町人でも、人別帳(戸籍)には、「手跡指南」など知的職業人として登録され、生徒からは「お師匠様」と尊称で呼ばれ、地域でも知識人、有徳者として尊敬されたから。お師匠様たちは物質的には豊かでなくても、近隣の人々に感謝され、尊敬されるという精神的な価値で十分満足できたのです。

●完全オーダーメイドのマンツーマン教育!!

現在の小学校では勉強する科目が決められており、皆が同じカリキュラムで学ぶことになります。 寺子屋では読み・書き・そろばんを中心に、地理教育、裁縫教育、農業教育など生活に必要な実用的知識を教えていました。そして基本教育習得後は、百姓のお子様には「百姓往来」、商人のお子様には「商人往来」と相場についての本、職人のお子様には「番匠往来」など、親の職業や本人の興味に合わせた往来物(今で言う教科書)を用いて指導していました。 膨大な量の中から師匠がその子にあった往来物を選びます。往来物は人それぞれ違っており、一人一人の年齢や興味、その子が将来就くであろう職業によって教育方法を自由に変えていったのです。完全オーダーメイドのマンツーマン教育だったのですね。

【幕末薩摩のちびっこ教育がものすごかったという話~それは戦国時代の知恵の生き残り】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=330326

磯田 幕末から日露戦争にかけ、かなりの確率で勝てる政治判断を下した人材を、薩摩藩は多く生み出しました。そんな薩摩藩では、武士の子供たちに「郷中(ごじゅう)教育」という独特の教育が行なわれていたんです。「郷中教育」とは、方限(ほうぎり:地域のこと)ごとに6歳から15歳くらいの少年が集まり、そこに15歳以上の先輩がついて行なう自習システム。今の教育はもちろん、幕末に日本中に広まっていた「藩校」ともまったく異なる制度でした。

薩摩の子供は、まず早朝にひとりで先生(主に近所のインテリ武士)の家に行って儒学や書道などの教えを受けるのですが、誰を先生に選び、何を学ぶかは、子供が自分で勝手に決めていいんです。そして次は子供だけで集まって、車座(くるまざ)になり「今日は何を学んだか」を各自が口頭で発表します。決まった校舎や教室はなくて、毎日、子供が順番で、地域の家に「今日はこの家を教室に貸してください」と交渉します。 社会性も身につきますよね。

何より大事なのは、皆の先生がバラバラなことです。思想が統一されないし、話す本人は復習になるし、口伝え・耳聞きによって、知識を皆で効率よく共有できる。ちゃんと理解してるか、親よりも厳しく仲間同士でチェックし合います。とにかく先輩は怖い。

―ものすごい会話コミュニケーション重視の学習なんですね。

対話重視という意味で、郷中教育の中で特に重視されたのが「詮議(せんぎ)」というメソッドでした。今でいう「ケーススタディ」で、起こり得るけど簡単には答えが出ないような状況をいろいろ“仮想”し、その解決策を皆で考え合う訓練です。

例えば「殿様の用事で急いでいるが、早駕籠(はやかご)でも間に合わない。どうするか」とか、「殿様と一緒に乗っていた船が難破した。向こうから一艘(そう)の助け船が来たが、乗っているのは自分の親の敵(かたき)だった。どうするか」とか、「道で侮辱された。どうするか」といったリアルな設問を次々と挙げ、各自が自分だったらどうするかを述べ、皆で議論する。「ハーバード白熱教室」みたいですよね。あの番組は日本でも大人気でしたが、日本人のDNAに、アメリカより先にこれをやってきた記憶があるとさえ思えます。

当時の薩摩は、国内で最も識字率の低い土地でした。しかし、「明治国家をつくり出した判断力」が、文字でなく口伝えの教育で育まれたのが面白いところで。

文字が読めなくてもリズムで暗唱できるようになっていますが、郷中教育では、例えば「『義』とは何か」といったテーマで議論を繰り返したりして、そうした日常生活の規範を、それぞれが内面化していくんです。

 

【職人仕事の本質~他者との関係性を深め、究める「おもてなし」の追求である。】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=324061

職人仕事の本質として人との関係性、自然との関係性を深める仕事であることをとりあげたい。職人の世界では何げなく用いられることの多い「おもてなし」という言葉の本意は他社との関係性を深め活かそうとする動機が職人仕事の本質である。

人との関係性については「お客様をもて、成す」ことがおもてなしの基本である事はいうまでもないが、ここで肝要なことは「成す」の意味の解釈。成すとは辞書では「存在しなかったものを新たに作り上げる、成し遂げる、仕上げる」などと説明されるが、「対象の潜在的な本質を見究め、その本源的な価値を生かしきり成就せしめること」という意味として理解しよう。したがって、「お客をもて、なす」とはお客様が本当に欲しているものを見極めて、心からの満足を得さしめる、という意味になる。

また、顧客との関係性だけでなく、人との関係は取引相手、仕事仲間、従業員との関係、地域社会とのつき合い方など多様である。いかなる相手に対しても相手をもてなす心構えこそが重要であり、「社会をもて、なす」とは社会の構造や課題の要因を研究し、自らの役割を見出して関係者と協力し、社会の未来の魅力が十全に発揮できると言う意味であろう。

さらに自然との関係性については、仕事の対象となる自然物(素材)「をもて、なす」ことがおもてなしの真意である。たとえばある百姓(農家)の場合は、米や野菜という植物の固有の性質を見極めて、その能力が活かされるように世話することが、また石工(建築家)であれば、多様な鉱石の特性を学び取り石材の能力を発揮出るよう加工、調合し適材適所に配置することを意味する。

職人の本質とは、自然との関係性をおもてなしの心で律し、理性、感性、身体能力などの自らの持てる能力を全面的に開発しながら、自然物である素材の性質や構造をよく観察、深く理解し、素材が持つ固有の価値を生かす為のノウハウ(技と美)を生涯かけて磨き続ける事、といえるであろう。

【棟梁にみる“教えない”人育て】http://web.joumon.jp.net/blog/2014/08/2127.html

小川棟梁の大事な言葉「教える側の心得、教わる側の心得」

みんなはなんでも言葉や文字で伝わると思っているが、そんなのは一部や。匂いや音、手の感触なんてものが文字で伝わると思うかい。  学校や訓練所で、勘が養えるか?なんでも学校で襲われると思ったら間違いや。  勘をどうやって養うかっていったら、自分の師匠から写し取るしかないんだ。だけど、人はみんな性格も、持っている才能も違う。教える方は弟子の性格や才能に合わせてタイミングをはかって、ここまで来たらこうしてやろうということを考えなくちゃならないんだ。勝手に教えておしまいってわけにはいかないんだよ。

【「日本語の科学が世界を変える」~著者は科学ジャーナリスト松尾義之】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=331851

著者が強調しているのは、日本語で科学することと英語で科学することとは違うということである。英語で科学の基本を学んだ人は、日本語での科学についての考え方が身についていないので、日本語での科学は出来ないのである。 当然、日本語と英語では言葉が違う、テクニカルタームが違う。ただこれは、翻訳すればすむことで、日本語にはほぼすべての訳語が用意されている。むしろ、日本語には英語に訳しきれない言葉、例えば‘生き物らしさ’や、日本語の方が本質をイメージしやすい言葉、例えば‘物性’などがあるとも言う。 これらの用語のことも重要ではあるが、これらの言葉の裏に隠れたものの考え方の違いこそ重要だと著者は言う。ちなみに、ものの考え方はその言語を母語として習得することによってのみ身に付くのである。

著者は、湯川秀樹の‘中間子論’、そして、国立遺伝学研究所木村資生博士の‘分子進化の中立説’などは日本人ならではの発想ではないかと言う。英語では基本的に、イエスかノウか、○か×か、二者択一的な考え方をする。曖昧を嫌うのである。一方、日本人には中間、中庸を大事にする考え方がある。だから、英語では中間、中立という発想は出にくかったのではないかと言うのである。

さらに「日本語は技術や工学を進める上でとくに優れた言語なのかもしれない。」とも言う。そして実際、「日本の技術や工学の世界は、間違いなく世界のトップを走っている。」と言うのである。 それは、欧米の研究者には、結晶づくりのような地道な仕事を軽蔑しているところがあり、助手まかせにしたりするが、日本人にはそれを重要な仕事と見做し、精魂を傾けて取り組むところがあり、それが予想外の画期的な発見・発明に繋がるのだと言う。結局、泥臭いものづくりを評価する日本が勝つのだとも言う。    「母国語が日本語の人で、きちんと日本語で文章表現できない人が、英語できちんと科学を表現できるはずがない。日本語で論理的に考えられない人は、英語でも論理的に考えられない。」、そして「逆に、日本語による素晴らしい発想や考え方や表現は、英語が持ちえない新しい世界観を開いていく可能性が高い。」とまでおっしゃっている。

【これまでの教育は先生が生徒に教え過ぎた。これからは「教えない教育」だ】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=335202

僕は、現状の学校教育にかなりの問題意識を抱えてます。

周りと同じことしかしない。自分の頭で考えない。そんな人しか生み出していないですよね。このままでは、絶対に良い方向には進んでいかないでしょう。

なぜこんな風に、「先生が答えを準備して、それをただ暗記することが勉強である」とされるようになったのか。僕は高度経済成長と人口増加が原因にあると思っています。

どういうことか説明します。高度経済成長期に入り労働者の数が足らなくなってきた結果、もっと早く労働者を量産する必要が出てきますよね。また高度経済成長期における人口増加によって、従来の方法では増えた子どもたちを「さばけない」状態に陥ります。

その両方の問題を一気に解決する方法が、「子どもたちを【黙って言うことを聞く労働者】に育て上げる」ことだったんです。

その結果、「答えのある問題を暗記する訓練」をとにかくやらせるようになりました。【黙って言うことを聞く労働者】に必要な能力は、管理者から指示されたとおりに動くことだけですからね。自分の頭で考える力などは必要なかったのです。

当時はそれが最も合理的な判断だったのでしょうが、現在はそれほど子供の数もいません。むしろ学校の数が多すぎて希望すればだれでも大学に入ることができる時代です。

そんな時代に、従来の学校教育を続けていいはずがありません。絶対に変えなければいけません。

現状の教育における最大の問題点は「先生が答えを教え過ぎること」だと思っています。当時はこれが最も効率のいい教育方法だったのでしょう。管理者としては、指示したことを黙ってやってくれればいいんです。そのための訓練としては、答えを教えて暗記させることが最も簡単ですよね。

しかし先生がすぐに答えを教えてくれるから、子どもたちは自分で勉強しようとはしません。当然です。

「勉強はつまらないものだ」として、教師や親から教わっていますからね。つまらないことをやらなくて済むのであれば、だれもがそっちの道を選ぶでしょう。

では今後の教育はどのようにして変えていくのが望ましいのか。それは「子どもが自分の頭で考える機会を与え続ける」ことだと僕は思っています。

「どうしてそうなるのか?」「なぜ?」と考える機会が増えれば増えるほど、自分の頭で考える機会が増えていきます。

そして自分の頭で考える機会が増えていくと、今度は目の前の物事に対して一度疑うことを覚えます。「本当にそうなのか?」みたいな感じに。それによってさらに自分の頭で考える力を身につけることができるようになるのです。

【育成の鍵は「教えないこと」–アクティブラーニングとは何か】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=325771

2014年12月、文部科学省が大きな発表をした。これまでのマークシート方式の大学センター入試に変わり、2020年から思考力や表現力を問う記述式の新試験を開始するというのだ。これまで日本の試験では「平安京ができたのはいつ?」といった知識を暗記する力が求められた。それに対し、2020年以降は「外国からの旅行者を日本に増やすためにどういうことをすべき?」といった「正解」のない質問に答える力が問われるようになる。

文科省は同時に、そうした解答を導ける人材を育成するため、日本の教育現場にアクティブラーニング方式の教育手法をとりいれていくべきだと明言した。アクティブラーニングとは、文字通り、能動的に学ぶ姿勢を身に着けさせる教育手法である。これまでの日本の教育のように、教師が一方的に話すだけの授業ではなく、生徒に考えさせ、自分なりの考えをまとめ、実践させる教育手法だ

学生に次々に質問を投げかけ、対話形式で授業を進めていくHarvard大学のMichael Sandel教授。「白熱教室」として、NHKでその授業の様子が放映され、日本でも有名になったことは記憶に新しい。その指導法はアクティブラーニングそのものだ。見事なファシリテーションで会場全体を巻き込んでいき、対話を通して、学生に自分の考えを醸成させていく。

日米の教育を比較し、その違いを言語化するならば、「What do you think(あなたはどう思う)?」の違いということができる。つまり、自分の考えを問われる機会があるかないかということだ。米国の学校教育では一般に、世代を問わずそうした問いかけを、より重視している。

課題への解決策を提示する際、自分の頭で能動的に考えることを強いられるためか、Sandel教授のような「課題解決型」の授業を受けている学生には、多様な“自分の意見”が生まれやすい。

この点は、教員が一方的に知識を教える「講義型」で答えを暗記させることよりも優れている点であり文科省がアクティブラーニングを採用した理由でもある。「従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動的学修(アクティブラーニング)への転換が必要である」(2012年8月 文部科学省 中央教育審議会)

 

投稿者 tanog : 2018年12月24日 List  

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