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2015年03月05日

再考「扇」~第1回 扇(=ビロウ)とは何か?

地域再生を歴史に学ぶ(全11回)のシリーズが先日、無事完稿しました。まだまだ追求すべきテーマは多岐に渡り、後ろ髪が引かれつつ、次のテーマに移行していきたいと思います。さて、今回は改めて縄文に舞い戻っていきたいと思います。

以前(2011年11月)このブログで紹介させていただいた白井忠俊様から先日、新作ができたとの事でメールをいただきました。前回の「ツタ考」に続く“「再考」扇“です。前回のツタ考では縄文土器の縄模様は蔓であり交わる蛇の表現である、そして日本語のツタエルとは繋がる事であり、循環や円環といった縄文人の信仰、思想につながっていく事を紹介しました。仮説を立て、多彩な観点から熟考を重ね、非常に奥の深い論文だった事を記憶しています。
⇒ツタ考1~4http://web.joumon.jp.net/blog/2011/11/1340.html

今回その白井さんから3年ぶりに寄稿いただいたのです。新しいシリーズはこの白井さんの扇をテーマにした追求をたっぷり7回かけて紹介していきたいと思います。

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表紙 扇
この「再考」扇は吉野裕子さんが著された「扇―性と古代信仰」を元として白井さんがさらに追求を深めていかれた随筆です。扇、扇子は私たち日常生活でも使う事が多く、何気ない身近な一品ではありますが、扇を広げた途端、風を送る道具以外の優雅で繊細な何か、あるいは生き物のような生命力を感じます。歴史を積み重ねて残ってきた物にはその機能の奥に意味や意図が隠されています。白井さんの扇を読み進むにつれて、物の背後にある歴史を読み解くその迫力、追求の力に圧倒されました。そして何より吉野さんという女性が持つ豊かな直感と論理に裏付けられた展開に多くの学ぶものがありました。

吉野裕子さんの紹介~ウィキペディア

私からの浅考な紹介はこれくらいにして、実際の本編に移りたいと思います。

はじめに

明治から急激に近代化が進み、日本人の生活が均質化されていく中で民俗学は柳田国男によって産まれました。柳田民俗学は答えや結論があるわけではなく、フィールドワークの積み重ねから「問い」を発する学問と言えるような気がします。その「問い」はたくさんのリレーのバトンとして後世に託されました。
そのひとつが最後の著作「海上の道」になります。柳田国男は伊良子岬の海岸で黒潮によって流れついたヤシの実を拾い、はるか南から流れ着いたヤシの実から日本文化の基底には南方経由があるのではないかと考えました。

発表後、翌年の昭和37年に、柳田国男は亡くなります。
昭和38年に専業主婦だった吉野裕子さんは日本舞踊を習い始めました。日々の稽古は、膝をそろえて正座し“扇”を前において師匠に挨拶することから始まります。その時の“扇”は、さしずめ武士に例えるならば“刀”にあたります。
舞台で舞踊家が扱う“扇”は、ある時は“花びら”ある時は“ふりしきる雪” “水の流れ”にも見立てられます。舞踊の世界だけでなく、能や落語など日本の芸能や文化において“扇”は様々な役割を担っています。
“扇”に興味を持ち始めた吉野さんは、その起源を知りたいと思うようになりました。

必然的に民俗学に興味を持つことになります。
調べていくと、意外にも日本文化に深く関わっている“扇”は起源を研究されてはいませんでした。これほど日本文化にとって重要な“扇”が手つかずのままになっていることに、苛立ち、義憤のような気持ちになったそうです。
歴史学の盲点となっている“扇”を吉野先生は50代で志し、30年余りかけて民俗学を研究することになります。

昭和45年(1970)「扇 ―性と古代信仰―」が刊行されました。

    扇(=ビロウ)とは何か?

扇1-1
着物と和装小物の店 市川さんからお借りしました。

 扇は実用としては、涼をとるための道具になりますが、儀礼で使われるときは悪気、穢れを祓う道具になると考えられています。日本人の冠婚葬祭に欠くことはできないものです。現代でも和装での結婚式をあげるなら、扇(扇子)を手に持ちます。
現代を生きる私たちは日常的に扇を携帯することはありません。あってもなくても困りません。しかし歴史上の人物の肖像画には扇子を持つ姿はよく見られますし、戦前までは多くの人が扇子を携帯していました。涼を得る必要のない冬でも身につけていました。

それでは“扇”とはいったい何でしょうか?

吉野先生以前に行われた扇研究は
売扇庵店主 宮脇新兵衛 「売扇庵扇譜」大正6年出版
松月堂主人 中村清兄  「日本の扇」 昭和17年出版
上記2冊になります。

これらの研究は形状・種類の分析、及び最古の文献にはどのような記述がされていたのかを主に調べられていました。なかでも重要な記述は日本の摺畳扇が日本人の手になる世界的な発明であり、それが中国をへて、西欧各地にまで拡がったいきさつが「日本の扇」に叙述されていることです。しかし、扇の起源については結局不明とされており、扇の神聖性についても考慮を払われていなかったそうです。吉野先生は手つかずであった「扇の神聖性」と「扇の起源」を研究することになります。

最初に扇に深い関係を持つ神事を調べ、全国を歩かれました。その中で出雲の美保神社に古くから伝わるお祭り、蒼柴垣神事に重用される「長形の扇」に出会います。
この扇は紙をたたんで円形とし、長い柄がつけられています。
現在の扇子のように開いたり閉じたりの可変性はなく、開いたままになっています。風を起こしてあおぐことはできますが、実用性をもとめた形というよりは何かの葉の形を表しているように見えます。
神事の最中は両手で持ち、腰の前で突き立てます

 扇1-2美保関地域観光振興協議会公式ホームページより

次に最古の扇が平城京趾発掘により見つかりました。それは奈良朝の檜扇です。注意すべき点は二つあります。第一は橋の長さが一定ではなく中心部が長くなり、両端は短くなります。ひろげると植物の葉のようになります。第二に綴じ糸のための孔があけられていないことです。普通、扇子には開いたときにバラバラにならないよう孔があけられ、糸で固定されて開いたときに扇型になり風を起こす道具になります。しかしこの古い型の扇は上端に孔がないため、あおぐことがしにくいのです。

扇1-3檜扇の復元(奈良国立文化財研究所「木器集成図録」)

この二つの扇から吉野先生はある仮説を導きました。
「この扇は私どもの考える実用にむすびついた、涼をとるための扇ではない。(略)悪いものをはらう力をもつにいたった呪物扇であろうか。それでもない。
この檜扇はその模倣した樹木、あるいはその葉のもつ神性、呪物性を抽出した模造の葉である。呪力はその模倣した、もとの葉にあるのだから、忠実にその葉を真似るだけでよかった。それで呪物なり得たのである。」~吉野裕子著「扇」から抜粋,下線筆者

扇は信仰のなかで重要とされる神木の葉っぱを表すと考えました。
(次稿に続く)

投稿者 tanog : 2015年03月05日 List  

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コメント

そうか・・扇・・びろう・・呪物扇という意味。

投稿者 根保孝栄・石塚邦男 : 2015年3月30日 10:18

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