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2018年08月09日

縄文を骨相学から語る(前半)~縄文人は日本列島で生まれ育った

前回の記事に重ねます。
2015年10月にるいネットに掲載された記事がちょうどこの著書について書かれています。少し長いですが、この著書を読むよりはるかに短いので興味のある方はじっくり読んでみてください。
引用:リンク1リンク2

2105年5月に刊行された片山一道氏の「骨が語る日本人の歴史」という書籍を最近購入したが、この著書は歴史学といった先入観を排除して発掘された人骨という事実情報だけを元に縄文ー弥生ー日本の歴史を紐解いている。従来の教科書的歴史が扇動的で事実は別の処にあるという論点を多分に提起しており、非常にユニークで説得力のある著書だと評価できる。
いくつかこの本に書かれている「事実」情報をるいネットにも紹介していきたい。小見出しが非常に魅力的なのでそこと併せて紹介したい。
非常に文学的な表現の中に氏が提起したい事実情報が散りばめられているので注意して読んでほしい。

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【縄文人は日本人の基層をなす】
縄文人の系譜と血脈、暮らしと文化、習俗と気質のようなもの、などなど、彼らの生き方と死に様はのちの日本人とアイヌ人たちの基層をなしたことだろう。大河の源流のようにして、のちの日本人の歴史の中で脈々と流れてきたのは間違いない。
彼らの人物像も生活像も独特ではあったが、どこからか特定の人々が「縄文列島」にやって来たからそうなったわけではない。まだ陸続きに近い状態だった旧石器時代に、東アジアの大陸方面から「吹きだまり」のように集まってきた人々が混合融合し、豊穣な自然に恵まれた「縄文列島」という舞台で、新しい革袋のなかで新しい酒が醸成するようにして、新しい人々、つまりは縄文人が形成されていったのであるその意味で「どこからも縄文人は来なかった」「縄文人は日本列島で生まれ育った」のである。そんな逆説的な言い方も可能なのではあるまいか。

地球の温暖化による「縄文海進」の結果、日本が列島化した縄文時代には、まるで時間が停止したように、緩やかに静かに流れていったに違いない。大陸世界とは、ほとんど没交渉だった。だからこそ、異貌異形の縄文人なる人々が生まれることになり、独特の人間の営みが育まれたのであろう。
縄文人はことに恵まれた海産資源のたまものなのか、次第に漁労活動に長けることになり、世界で最古の優秀な漁労民となった。だからこそ、世界に類をみないような貝塚生活が定着、派手な土器文化が栄えたのではあるまいか。土器類は「第二の胃袋」としてあるいは生活や文化、あるいは儀礼活動や交易活動などでの象徴的な存在となり、縄文人の生活を彩った。
もちろん、せいぜいのところが20万人ほどの人口規模でしかなかったのだから、なにも漁労活動に特化する必要はなく、採集民、狩猟民、園芸農耕民でもあり続けた。だがいかんなく生活の知恵を磨かなければならない漁労活動に長じるにつれ、縄文人の「なんでも屋稼業」は、よりいっそう磨きがかかったものになり、ユニークな装いを帯びるようになったのではなかろうか。
いずれにせよ、縄文時代とは、豊かな気候条件と生態条件に恵まれた時代。縄文人とは生活の知恵と知識を高度に磨いた日本列島ならではのユニーク人々。縄文文化とは、ことに土器文化や漁労文化などを見事に開花させた生活の総体。日本人の基層にあるメンタリティーや心象風景が息づいた時代なのだ。こうした時代を有していた事を、もっと日本人は誇りにしてよいのではなかろうか。
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縄文人の特異性とは大陸から切り離され、狭い国土に温暖、寒冷の両方要素が持ち込まれた事、火山帯によって作られた険しい山岳とその標高差が作り出す多様な動植物などが大陸では決して生まれない豊かさがそれを作り出した要因である。その地域に海で囲まれて1万年以上の期間、孤立した日本列島でまるでガラパゴスのように熟成したのが縄文人だと言うのである。従って縄文人は骨相学の点からも他地域では現れない特徴をいくつも有しており、非常に注目すべき存在らしい。

【ありがたき哉、貝塚遺跡】
日本列島の各地に散らばる貝塚遺跡はありがたい。縄文人の痕跡を守護する。そもそも貝塚は当時の海岸線沿いに分布していたのだが、今の海岸線からは奥まったところ、一段高い丘のような場所にある。一般に縄文後期に気候が温暖化して海岸線が海進現象で後退したためである。
貝塚は海砂に覆われる。そこに人為的に集めた貝殻が多く堆積し、炭酸カルシウム分が優勢で土壌の酸性度が弱くなる。それによって人骨、動物骨の保存状態が非常に良い。出土する人骨の数は膨大な数(全国で1万人以上のオーダー)に上り、後のどの時代人にもまして縄文人については多くの事をしることができる。人口は希薄だったのに大量の亡骸が残っている。
貝塚はゴミ捨て場のイメージとは程遠い。生活廃棄物が捨てられてはいるが、集落の中心をなす生活空間であり、儀礼の場であり、死者を葬る墓場でもあった。

【縄文人の骨相、人相を探る】
縄文時代の人々、縄文人とはいったいどんなタイプの人だったのか?どんな顔立ちや体形を特徴としていたのだろうか。保存性の高い貝塚で守られた事で、1万体に上る人骨から世界の石器時代人のなかでもいちばん詳しく調べられている。そして、多くの特徴がある。
まず骨格が全体に骨太で頑丈であり、ことに下肢の走行筋、租借筋などの筋肉群の付着部がよく発達していた事は特筆に価する。中世や江戸時代人とは容易に区別できる。大腿骨や上腕骨などの下肢や上肢の骨はむしろ小さめでコンパクトだが、その重量感はなんとも言えないほど頼もしい。頭骨はさながら鬼瓦のようである。
頭顔骨も独特である。寸詰まりの大顔もさることながら、もっとも特徴的なのが、きわめて大きくて強くカーブした前に突き出る鼻骨。それとともに強くエラの部分が発達し、全体に厚く大きく頑丈な下顎骨である。かなりの「鼻骨顔」であり、かなりの「あご骨顔」である。
なぜ縄文人の骨格はかくもユニークなのか。たしかなことは「氏」の問題ではない。「育ち」の問題なのだ。なにも特別な系譜に連なることではなく、彼らの独特な生活活動と生活基盤、つまりは生活の総体にこそ理由がある。

【縄文人の身体ー顔型と体形】
縄文人は鼻と顎が特徴的である。鼻筋の通る出鼻大鼻、エラの張る受け口気味の下顎が2大ポイント。それに加えてとても寸の詰まった彫の深い横顔、おもわずのぞきこみたくなるような顔である。眉間が盛り上がり、目許がくぼむ奥目で鼻が高くそびえるから、とても顔の彫が深いのである。
後頭部が「絶壁頭」を為す者はおらず、たいていは「才槌頭」額の円くて広い「おでこ顔」は女性でも少なかった。ともかくユニークな顔立ちである。平均身長は成人男性で158cm、女性では147cmほどしかない。身長が低いわりに腕や脚は長めの体形であった。脚の長さの身長に比する率は52%、最近の日本人と変わらず、他の時代と比べると大きい。肩幅は細目ながら、腰まわりは大きめだった。それにより下肢の筋肉が発達していたからかなり均整が取れ、まるでクロスカントリーの選手のような体形だった。現代人に比べたら、女性のほうも筋肉質、ことに下半身が頑丈だった。
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これら縄文人の骨の特徴はほぼ1万年間ほぼ同じで、また地域による格差もほとんどなかったそうである。(多少の差異はあるが)
それは縄文時代の日本列島が置かれていた環境が東西、南北大きくは変わらなかった事を示している。そしてその生活を支えた基盤は採取、狩猟も然ることながら、漁撈活動にあった。

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投稿者 tanog : 2018年08月09日 List  

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