2018年8月23日

2018年08月23日

藤原・百済派と反藤原・新羅派の両建てで生き残った賀茂氏が日本の闇をつくった

表の世界で藤原氏vs蘇我氏ら反藤原氏の闘いが繰り広げられる日本の歴史にあって、一貫して、影から政権を操り、力を保持してきたのが、三輪氏と並んで出雲族の本流をなす賀茂氏である。同じく出雲→葛城系の蘇我氏が倒された乙巳の変から、壬申の乱を経て、平安京がつくられるまでの賀茂氏の動きが、それを象徴している。 賀茂一族は、この激動期を、百済派(天智・持統派)にも新羅派(天武派)にも両建てで対応し、どっちにころんでも、神官としての座を守りながら、一族の権力を保持し続けてきた。そして、最終的に、秦氏とともに、平安京建設の立役者となった。この両建て戦略で、政治の矢面に立たずに、裏から政権をコントロールするスタンスが、賀茂氏が八咫烏と言われる所以である。

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投稿者 tanog : 2018年08月23日