| メイン |

2014年08月28日

仏教に未知収束の志を観る~ 第2回:ヴェーダ思想は、私権追求⇒自民族結束のために生まれた正当化観念

シリーズ第二弾です。今回は仏教以前のアーリア人の思想について扱います。 

ヴェーダ思想(≒バラモン教)成立の背景

ヒンドゥークシ山脈を越えインド亜大陸に侵入したアーリア人はインダス文明人であるドラヴィダ人と覇を競い、紀元前1800年頃にはインド北西部パンジャーブ地方に定住したと考えられます。インド定住後、アーリア人の宗教的思索は、「リグ・ヴェーダ」として結実します。インド・アーリア人にとってこれがいかに大切なものであったか、これ以降に著された宗教的・哲学的文献が「ヴェーダ」として総称されたことから察することができます。

ヴェーダ(veda)とは「知る」と言う意味の「ヴィッド」から派生した言葉で、知識、宗教的知識を意味します。「リグ・ヴェーダ」はおそらく紀元前1200年ごろから前1000年頃にかけて原型が成立し、前800年ごろまでに現在のような形に成ったと考えられています。(この投稿はパンジャーブに定住した時代=初期のヴェーダについて追求します。) 

 

 にほんブログ村 歴史ブログへ

ヴェーダ思想は、私権追求のための方法論、として始まった

インドの思想は仏教において「未知収束」に達したと、この仏教追求シリーズでは考えていますが、そこに至るまでのヴェーダ思想(≒バラモン教)がどうであったか、まずは追求します。

ヴェーダに著されているテーマには、神々への賛歌、祭祀に関係の深い歌、対話賛歌、宇宙創造に関する賛歌などがある。登場する神々の数は非常にたくさんあり、

天神ディヤウス、太陽神スーリヤ、暁紅神ウシャス、雷てい神インドラ、暴風神ルドラ、風神ヴァータ、雨神パルジャニア、水神アーパス、地神プリティヴィー、、、、、、自然現象を背景とした具体的な神が多く、一見、まだ一神教的色彩はなく、精霊信仰に近い多神教のように見えます。 

しかし、さらによく見てみると、その賛歌によって何をアーリア人が願っていたか、はっきりとした傾向が見られます。それは、難しい抽象的な話ではなく、実に現実的な願望に基づいていたことがわかり、それも「私権獲得」の願いであることが明確に感じ取れます。 

戦勝、戦利品の獲得、(←これは注目すべき)

妻を得ること、子孫の繁栄、

家畜の増殖、

降雨

豊な収穫、

健康、長寿、息災

印欧語族の哲学・思想体系の中でも最も古い位置にあるヴェーダですが、世界創造とか、起源神話について語っているのではなく、実に現実的、しかも非常に私権色の濃い利益権獲を願ったものでした。戦勝、戦利品の獲得、(妻を得ること)といった所からそれは明らかと思われます。

これは、インドに入ってきたアーリア人は、おそらくイラン高原か、コーカサスで略奪闘争を経験し(敗北)、インドまで落ち延びてきた部族でしょうから、当然とも言えます。逆に、彼らの出自、歴史がこの現実的、私権的な思想内容から、検証されとも言えます。

 

哲学的思索の出発点は、多神教の神々への否定

パンジャーブから東方ガンジス川中下流域へ進出、社会構造が大きく変わる時代、次第に哲学的、抽象的な思索(宇宙や世界の始まり、世界精神についての思索)も生み出していきますが、パンジャーブ時代、初期ヴェーダ思想にもその萌芽が見られます。

 インド人は抽象的な思考に優れている言われるその始まりがここなわけですが、それが生まれる過程は初期ヴェーダ思想を性格づける重要な構造が見て取れます。

 彼らが新たに生み出し信じることになる「宇宙の最高原理」は、それまで彼らが信じていた多神教的な神々への疑義を通じて、生み出されていく。誤解を恐れず表現すれば、これまで信じてきた神様は信じても十分な私権をもたらしてくれない、だから他にもっと凄い神がいるはずといった形で生み出されていったのではないか。

 (「インド哲学史概説」より引用)

・ヴェーダに登場する神の中に、インドラという武勇神がいますが、しかし、どういう訳か彼の力に対する疑念が表明される箇所があり、その中で新しい神(宇宙の最高原理)が模索されるという過程に入っていく。

 ・「リグベーダ」の詩節はインドラの勢力を確信を持って賛美するにもかかわらず、一方でそれを信じない人々があった事を伝えている。

 ・さらに、インドラだけでなく、「すべて神々に供養する価値はあるのか」という疑義に発展する。リグヴェーダの繰り返し現れる言い回し、「いかなる神にわれわれは祭供もて奉仕すべき」があり、ここから宇宙の最高原理を模索する動きが表明される。

 ・「インドラ、ミトラ、ヴァルダナ、1つのものを様々に名づけて呼びつ。」(本ブログによる注記:様々な名で呼ぶが、実は、根源的な唯一原理から表出してきた存在だ)(引用ここまで)

 

『宇宙の最高原理』とは、一神教の神と何ら変わらない

上記のようにヴェーダに書かれたの最高原理の模索に至る過程は注目すべきと思われます。

一神教や近代思想が、否定から生まれたと、本ブログでもしばしば指摘しますが、最高原理の追求が、私権追求⇒否定意識から生まれたことを、当の思想自体が自白している現場そのものといえます。

 彼らの思想は最初私権獲得の方法論や私権意識を強化するための思想として出発しましたが、当然、私権追求である以上、上手く行かない現実を前に、自ら反省するのではなく、願いをかなえない神は信じないとういうことも度々起こるようになり、集団統合も危うくなったと思われます。そういう邪心期待に対しては、もっとすごい神がいるんだと、捏造するしかなくなる。そこで「宇宙の最高原理」が登場する。

 各部族間のいざこざだけでなく、イラン高原やコーカサスからの後続の落ち武者集団にも統合しつつ、数でまさるドラヴィダ人に勝っていく必要がある。私権闘争上の様々な矛盾を止揚するための思想であった。(そういう意味で、同じく弱者集団であったユダヤ民族が自民族結束のために生み出した思想(タルムード)に近い構造と思われる。)

 一神教という形こそ取っていないが、「宇宙の最高原理」と言っているとは、限りなくそれに近い発想と思われます。

 インドに入ったアーリア人の初期(パンジャーブ時代)の思想は、私権意識を強化し、さらに私権の邪心期待を止揚するための否定⇒宇宙の「最高原理」へと塗り重ねていったものと考えられ、仏教に見られる「未知収束」には未だ距離があると判断できると思われます。

 

投稿者 tanog : 2014年08月28日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2014/08/2179.html/trackback

コメントしてください

 
Secured By miniOrange