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2017年08月12日

「教科書の嘘を検証する」第1回~あまりに少ない縄文記述

今回より教科書嘘シリーズを始めます。最初は縄文時代。
参考とする教科書は「東京出版の中学歴史」です。

書き方としては、まずは教科書の記述を記載し、嘘、おかしな点にアンダーラインを引き、当方で書き直した記述を後に添付します。

 「縄文文化」
日本列島の人々は1万2千年ほど前から土器を作り始めました。これはどんぐりなど木の実を煮て食べるために考え出されたもので世界的に見ても古い時代とされています。厚手で低温で焼かれたため、黒褐色をしたこの土器は、表面に縄目のような文様がつけられていることが多いので、縄文土器と呼ばれています。このため、このころの文化を縄文文化、この時代を縄文土器と呼びます。

 縄文時代には植物の栽培が始まりましたが、海面が上昇し、海岸には多くの入り江ができたため、魚や貝が豊富にとれ、くり、どんぐりなどの木の実や、鳥、しか、いのししなど動物も豊かだったので、農耕や牧畜はあまり発達しませんでした。海岸や水辺には、食べ物の残りかすなどを捨てた貝塚ができました。

 人々は集団を作って食料が得やすい場所にとどまり、地面をほったくぼみに柱を立てて屋根をかけた、たて穴住居に分かれて住みました。大人になったことを示す儀式として抜歯が行われ、霊の災いを防ぐためと思われる屈葬が行われていました豊かな生産をいのるためのものと考えられる土偶も作られました。

 このような縄文時代の人々と、その後に大陸から移ってきた人々が混じりあって、長い年月の間に共通の言葉や文化を持つ人々が日本列島に広がっていきました。(532文字)~東京出版より

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この教科書の縄文時代の記述を読んでどう思われますか?

・土器をつくり、豊かな食物があり農耕や牧畜が発達しなかった時代。
・さらに抜歯や屈葬、土偶など奇妙な?行動があった時代。
・大陸から人が交じり合って言語や文化が時間をかけて統一化された。

この3つくらいで、ふーんで終わってしまいそうです。

果たして日本の歴史の始まり、さらに1万2千年続いた縄文時代が「ふーん」でいいのでしょうか?また、これも教科書の特徴ですが、なんでなぜ、この時代はどういう時代だったのかを考えさせるようにはなっていません。例えば土器にしてもなぜ土器が発生したのか?については諸説があり、まだ確定化されていないし、土偶についても豊かな生産を祈るための一言で片付けられるものではない。それに抜歯や屈葬などの風習は縄文時代全体を表すものではないし、それらの分析についてもなぜそういう風習が発生したのかを考える事が歴史の追求そのものなのです
この縄文時代の記述を読んでいただくだけで、教科書の歴史がいかに味気なく、なんで追求がないかがわかってくると思います。

当然教科書の限られた書面ですので書けることは限られていますが、それでも生徒に自ら考えてみたいと思わせる書き方はあるはずです。

という事で、以下のように文面を書き換えてみました。文字数が倍になりましたが、それくらいの重要性がこの時代にはあると思います。
教科書にない重要な記述には赤文字にしてあります。

 「縄文時代」
日本には縄文時代という1万2千年~1万5千年の長い歴史があります。
縄文時代には大陸から渡って来た人々が長い年月をかけて日本人の土台をつくっていきました
最大の特徴は世界でも最古と言われる土器の発明です。世界では土器が作られ始めたのは1万年前以降で、日本や中国の一部は飛びぬけて早く土器を作り始めています。土器を作り始めた目的は諸説ありますが、水を溜める水かめや、食べ物を保存しておく貯蔵設備として使われてました。その後、煮炊きする道具として使われ始め、それまで食べられなかった植物が食べられるようになり、豊かな食生活の可能性が一気に拡がります。厚手で低温で焼かれたため、黒褐色をしたこの土器は、表面に縄目のような文様がつけられていることが多いので、縄文土器と呼ばれています。このため、このころの文化を縄文文化、この時代を縄文土器と呼びます。

縄文時代の生産様式は漁労採取生産と呼ばれ、海辺の人は貝や魚を、山の麓ではくり、どんぐり、山菜、きのこなど、自然の恵みを享受していました。いのしし等の小動物も狩猟していましたが、食料の大半は魚と植物で、ましてや農耕や牧畜に依存しなくても十分に生活できる基盤がありました。それでも、縄文時代のピーク時には26万人の人口が日本列島に住んでおり、一部にはくり林の栽培など農耕に似たものの発達していましたが、農業は最後まで受容しませんでした。

縄文時代の集団様式は共同体という様式で、3世代以上の複数の家族が共同で住んでおり、一つの集団(10人から30人程度の集団)の中に消費も生産も包括されていました。平均寿命は15歳前後と言われていますが、子どもの死亡率が高いためで、30歳から最長で60歳くらいまで長生きする人もいました。しかし多くは短命で、縄文人の死生観は現代人とははるかに異なるものでした。土偶は命の源である女性の妊娠した姿を現し、生命の尊さや女性への感謝の念が表現されていたと言われています。死に至っては全て土葬で、屈葬という様式をとって祈るようにして埋葬されました。

また、縄文人の信仰は精霊信仰です。生物だけでなく山や川、石や水にまで魂が宿っているとして敬う信仰様式で、縄文人よりもっと太古の人類の様式をそのまま継承していました。

縄文時代で使われていた言語は文法も語彙も現在の日本語とほとんど同じであると言われています。縄文時代がいかに私達日本人の基層となっているかはこの事実をもって推し量る事ができます。(1023文字)

投稿者 tanog : 2017年08月12日 List  

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