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2007年10月06日

長江文明が日本に伝えたもの

こんばんは、中国文明からetoです。
以前の投稿で、 「長江文明の担い手『苗族』が日本に渡来し、稲作文化を伝えた」と紹介しましたが、
稲作以外にも長江文明に起源をもつものが多くあるようです。
いったい何が伝わったのか、どのような共通点があるのか、紹介します。
『ブナ林と古代史』では、稲作と鳥と太陽信仰と山岳信仰が長江からやってきたと述べています。 
・太陽信仰と鳥信仰は日本の神話でも見られる。
皇室の祖神である天照大神は日の神、即ち太陽神そのものであった。
神武天皇東征のとき、熊野から大和に入る路を先導したのが天から下された「八咫(やたがらす)」という大烏であった。更に伊勢神宮、熱田神宮など多くの神社では、「神鶏」は日の出を告げる神の使いとして大切にされている。

・苗族が住む雲南省と日本の間では、従来から多くの文化的共通点が指摘されていた。味噌、醤油、なれ寿司などの発酵食品を食べ、漆や絹を利用する。主な蛋白源は魚であり、日本の長良川の鵜飼いとそっくりの漁が行なわれている。
●次に、 (リンク)では、神社信仰の起源を中心に、日本文化の基層はアジア南方の照葉樹林文化にあると述べています。
・神社に特有とされる高床式建物、千木・鰹木は、広くアジアに目を向けると揚子江流域の江南地方およびタイ、ミャンマーなどの東南アジア山岳部に住む少数民族社会にその原型と考えられるものが現存する。
     %E3%83%9F%E3%83%A3%E3%82%AA%E6%97%8F.jpg雲南省は苗族村の高床式建物です。
・鳥居と形態の似たものは雲南省や東南アジア北部の山岳地帯の少数民族の集落などに見られ、左右二本の柱の上に木を横に渡し注連縄が飾られるという。ただ、これらの地域では鳥居は「社(やしろ)の門」ではなく「共同体の門(ロコーン)」である点が日本の鳥居と異なる。
・いれずみと断髪、歌垣、アニミズム、山岳信仰、赤米と穀霊信仰、そして農具や木・竹・わらの道具、下駄、草履などの日本人になじみのあるものも共通して見られる。
・ワラビ、クズの根、カシ、トチなどの堅果を水に晒してあく抜きする技法、養蚕から絹を加工する技法、ウルシの樹液から漆器をつくる技法、柑橘類の栽培と利用、麹を用いた酒の醸造などが挙げられる。
・納豆の製造もこの地域が起源であって、粘つく納豆は日本独特だが、京都に伝承される大徳寺納豆、愛知県豊橋市に伝承される浜納豆などの乾燥納豆は雲南地方にも見られる。
・焼畑の開始期に行われる儀礼的狩猟や、その収獲期に行われる八月十五夜の祭り、そして鵜飼いの風習など文化人類学、民俗学的観点から興味深い習俗、儀礼もこの地帯に広くみられる。
・以上述べたことをまとめると、少なくとも神社信仰の基層は中国江南地方を中心にアジア南方に広がる照葉樹林文化の一要素であって、古い時代に稲作などとともに複合文化として日本列島に渡来したと考えるのが自然であることがわかるだろう。
※こうして見ると、随分と色んなものが伝わっていることが分かります。
 調べると、もっとありそうですね。鵜飼いや納豆もとは、、、!
 アジア南方の照葉樹林文化が長江文明を担った民によって伝来されたのでしょう。
 このように風習や習俗が伝承されたとなると、気になるのは、その思想的背景も一緒に伝わったのではないか、という点。つまり同じ長江流域の母系共同社会で生まれた道教(民俗信仰)ですね。
この点はまた次の機会に追求していきたいと思います。
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投稿者 nishipa : 2007年10月06日 List  

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コメント

 
 良い雰囲気で 楽しませて頂いております。
 難しさは 縄文は 土器&出土品&遺伝子レベル
 そんな情報を 元にしか 語れません。
 すぐに ネタ切れですね!
 拝見しており
 少し 疑問に感じるところが あります。
 
 現在的には 靖国・従軍慰安などもあり
 なんなん と思えるほどやられっぱなしですが・・
 遺伝子的に 負い目でもあるの???
 考える以上に 太古から 渡来は始まり 時代的には
 氏族単位的なものもあったようですが・・
 
 その数世紀に及ぶ 渡来の中で
 一方的な渡来ではなく
 
 逆渡来的なものは ありえなかったのでしょうか???
 

投稿者 徳田 : 2007年11月1日 05:02

徳田さん感想ありがとうございます。
>その数世紀に及ぶ 渡来の中で
 一方的な渡来ではなく
 逆渡来的なものは ありえなかったのでしょうか???
非常に面白いテーマだと思います。ぜひ当ブログの中国チームに追求してもらいたいテーマですね(^^)
私が知る限りでは弥生以降では日本から朝鮮半島へ逆渡来があったと聞いています。朝鮮半島に日本的な文化がかなり流入しているようです。(具体的には調べる必要がありますが)ただ、縄文時代までさかのぼると逆渡来はちょっと厳しいかなと思います。海流の関係もあり、大陸から日本へ流れ着くのは比較的容易ですが、大陸へ向かうにはかなりの操船技術がいるように思います。
徳田さん、ぜひちょくちょく訪れて感想や視点をいただければ嬉しいです。今後ともよろしくお願いします。
tano

投稿者 tano : 2007年11月1日 12:38

>非常に面白いテーマだと思います。ぜひ当ブログの中国チームに追求してもらいたいテーマですね(^^)
なるほど。徳田さんの視点とても面白いですねー!
中国メンバーで調べてみましょう♪

投稿者 さーね : 2007年11月1日 22:14

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