| メイン |

2006年11月07日

倭人のルーツ~地図より

タノです。
弥生が熱いですね。 :o
面白いHPがありました。個人の方の資料なのですがよく調べてあり、縄文後期~弥生の倭人の動きと日本列島での移動状況がわかります。
弥生を概観する上で参考になります。以下の文章を読んだ後に地図を見てください。
地図ですリンク
>倭人のルーツを単独に特定することは非常に難しいが、一般的には大きく三つの地域の人種が融合した結果が、現在の日本人を形成していると考えられている。その三つの地域の人々とは、

 にほんブログ村 歴史ブログへ


一番目が従来から日本列島に居住した人々、二番目が現在の東南アジア海域及び中国南部の水稲耕作地帯から渡ってきた人々、三番目が中国北部から朝鮮半島経由で移動してきた人々である。それらは、同時に日本列島に入植してきたのではなく、長い時間をかけて日本に辿り着いた集団が徐々に混血化することで、単一民族としての日本人を形成しているのである。それでは、上記の三つの分類について述べることとする。
海洋民族でもあった三苗は、弥生時代初期の基礎を築くとともに、後に日本神話の中で海神族の思想を伝えていく存在となる。彼らは海運者として各地の交易を受け持ち、文化の伝達者ともなり、九州沿岸部に留まるのではなく、日本列島へ拡散することで、先の縄文人に多大な影響を与えていったと考えられる。彼らが伝えた伝説、文化から、彼らが海部氏や安曇氏の始祖であることは間違いないと云える。
 中国南部からの日本列島への入植にはもう一つの流れがある。紀元前3世紀頃の出土人骨の分析が行われた結果、非常に興味深い事実が判明したのである。それは、当時の出土人骨に大きな変化が見られ、それまでの縄文人から骨格や頭蓋骨の頭示指数に明らかに違いがある人骨が急激に増加しているのである。しかも、最近の研究ではこの出土人骨の特徴、特に頭示指数や血液型の分布から中国大陸江南地方の人々の特徴が非常に多く見受けられており、同一民族であったと証明されている。このことから、短期間に大量の人々が大陸から流入してきた事実があるということが判る。
 紀元前3世紀頃とは、中国では春秋戦国時代の終わり頃で、秦の始皇帝による中国統一が進められており、多くの国が滅亡した時代である。秦の侵攻により多くの人々、特に上級の官人は国が滅びると囚われ誅されたため、それを避けるには、その地を離れなければならなかったのである。彼らは外洋航海による国外脱出を試み、中国大陸江南地方から南西諸島を伝って南九州に上陸し、日本列島に定住したのである。「魏志倭人伝」にも倭人の系統について「呉の太伯の子孫」があるとの記述があり、紀元前473年に滅亡した「呉」の避難民との関係が深いと云える。
 三番目は、中国北部から朝鮮半島経由で移動してきた人々である。日本列島と朝鮮半島とは地理的にも最も近い位置づけにあり、日本列島が誕生する初期の時期から人々の移動があったと考えるのは当然である。特に、朝鮮半島から多くの人々が流入し日本列島に影響を与えたのは、やはり紀元前3世紀頃からで先の出土人骨の研究から北九州を中心とする弥生人骨と中国の山東半島の人骨とが共通していることと、秦の統一国家誕生による移民の流出とを合わせて考えると、彼らが中国大陸山東半島から朝鮮半島南端部を経て北九州に上陸した避難民であり、彼らは、先住民と共存あるいは新天地を求めて海岸部を中心に移動し、日本列島に定住していくこととなり、この結果、海岸近くを中心に高度な技術が導入され「弥生文化」が形成されたと考えられる。リンク

投稿者 staff : 2006年11月07日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2006/11/31.html/trackback

コメントしてください

*