2006年11月14日
2006年11月14日
弥生期以降の氏族系統(1)
イザナギ、イザナミ、スサノオ、天照大神・・・ずっと、神話の世界の作り話だと思っていました。
でも、あれこれ探求してみると、実在していたようですね
だとしたら、彼らは何者?
ちょっと長いのですが、わかりやすく説明されているサイトがあったので、2回に分けて、紹介させて頂きます 🙄
【古代史と古代・中世氏族研究の世界へようこそ】より引用
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/youkoso.htm
○ 現代日本人は単一民族の後裔ではない。中国や朝鮮半島の国々と同様、上古以来、周囲から日本列島に流入したいくつかの種族が長い期間のうちに混合融解して形成されたものとみられる。その形成の時期・過程については明確には記述し難いが、言語や神話・祭祀などから、大づかみに把握することは何とかできそうである。
(1) 日本列島の形成が一万年ほど前のこととして、その前後から原日本人が居住していたことが考えられる。この主体を縄文人とか「山祇族」と呼ぶとして、わが国では狩猟・漁労、焼畑農業をしていたものであろう。
この種族は、いまのクメール族(カンボジア人)や中国古代の三苗とか苗族と呼ばれる人々に類似の要素が見られ、本来、アジア大陸北方に居住していたが、次第に南方に居を移して、中国古代の南蛮と呼ばれるものの主力を構成していたものとみられる。この後裔諸氏の多くは、神別の天神に属したが、中臣連や大伴連・久米直・紀伊国造などを代表とする。
(2) 次に、中国江南沿海部の原住地から山東半島、朝鮮半島西南部(忠清南道南部の松菊里遺跡に関係か)を経て、紀元前の時代(明確にはし難いが、前三~前二世紀か)に日本列島に到来してきた種族がいた。主として筑前・肥前北部の沿岸地域に居住し、水稲耕作農業を行い青銅器を使用して、わが国の弥生文化前期の主力を担ったもので(「弥生人」は、前者(1)との混血の結果生じたもので、語の用い方に注意を要する)、航海・漁労に優れた能力をもつ人々であり、「海神(綿積)族」と呼んでよかろう。
この種族は、中国のタイ語族(現代の主要民族としてはチワン族など)やタイの人々に類似する要素が大きい。この後裔諸氏の多くは、神別の地祇に属したが、出自を仮冒して皇別や神別(天孫)に分類された諸氏も、また多い。阿曇連や和珥臣、尾張連、三輪君などを代表とする。
(3) 三番目に、中国東北地方の内陸部を原住地として、朝鮮半島を経、その南部を根拠として紀元一世紀代頃に日本列島に到来した種族がいた。鉄器文化や鳥トーテミズムをもち、支石墓や後期の朝鮮式無文土器にも関係したとみられる。古代朝鮮の箕子朝鮮、扶余・高句麗や百済・新羅、あるいは渤海を建国した部族とも同族の可能性が強く、「天孫族」と呼んでおく(これもやはり弥生人の一大構成要素であったことに注意)。
この種族は、松浦半島に上陸して松浦川に沿って溯り、天山南方の佐賀平野を西から東に進んで、筑後川の中・下流域、水縄山地(身納山脈)の北麓~西麓の辺り、筑後国の御井・山本郡を中心とする地域に定着した。これが、『魏志倭人伝』に見える邪馬台国の前身たる部族国家(いわゆる「高天原」。ただし、この呼称はそれまでの居住地についても用いられた可能性あり)であり、こうした原始国家を二世紀初頭前後頃から形成し、それが魏朝のときに最盛期をむかえ女王卑弥呼などを出した。
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投稿者 naoto : 2006年11月14日 Tweet