2006年11月2日

2006年11月02日

吉野ヶ里は漢人の日本侵略拠点ではないか

はじめまして 😀 、くまなです。よろしくお願いします。
ブログ「新しい日本の歴史」の内容を紹介します。
当該ブログの論説では、弥生時代を、日本国内での漢人(中国)と天皇(朝鮮)の対立抗争の時代という構図で描いています。その中で、吉野ヶ里遺跡は、日本における漢人(中国)の拠点と位置づけておられます。
【論旨】
漢人(中国系)は、吉野ヶ里を拠点に絹(主に秩父から)の集荷と輸出を行い、九州南部(熊襲:漢人系か?)との協力関係も築いていた。一方、朝鮮人(天皇系)は、九州北部に拠点をもち、吉野ヶ里の包囲網として周辺に神明宮(祭祀:天照大御神)を数多く配置する。とくに漢人と熊襲との結びつきを断つために天草周辺には多く配置し、苗族を入植させた。遠賀川流域の岡田宮を拠点に吉野ヶ里を攻撃した。
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(さらに…)

投稿者 kumana : 2006年11月02日  



 
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