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2006年11月08日

縄文人の集団規模と共認の関係

ちょっと前に、「縄文集団が小規模なのはなんで?」 :roll: というみつこさんからの投稿がありましたが、ワタクシ、ぴんぐ~も調べて見ました。
縄文時代の集団規模が単位集団(核家族数単位分)であった理由
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鷲田豊明氏の「日本社会システムの起源」によると、

>人々の生業に用いるべき時間が長ければ長いほど、集団性を維持するために必要な語りの時間を確保できない。したがって、共同性を維持できるような規模はこの語りに用いることができるような集団の能力に依存するのである。
>そして、集団の規模が増大にするにしたがって、全体的な共同性を維持することの困難もまた増大する。そして、原始社会の状況のなかでは、共同性を持続できる規模の上限がちょうど単位集団の規模だったと考えられる。
>「縄文時代の集落が小規模のままであり続けたという事実から読み取るべきことは、社会的な格差や個人の権威の突出を拒否し、平等性原理にもとづいた社会関係を維持しようとする確固たる姿勢である。彼らにとっての集落の理想像は、より大きな集落を作ることではなく、少人数でしか維持できない人間関係が維持されることにあったのだろう。」

共認※によって統合される縄文社会で集団を維持していくには、単位集団の規模以上は無理だったってことがわかります。どうやらひとつの集団が30人以上になることはなかったようで、そこが共認域の限界 だったんだろうな。
共認が命綱の縄文人は、共認が集団の規模をも規定していたんだ!!ってことがわかりました
※共認とは
共認とは、読んで字のごとく共に認め合うこと
人類社会は人々が課題や役割や方針、評価などを共認することによって統合されています。

投稿者 postgre : 2006年11月08日 List  

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コメント

おお~
これだけ分布が比較できるデータはいいですねー
僕も見てみようと思います。
しかし、後期~晩期にかけて衰退している理由を解明したいですね!
今度調べてみましょう~

投稿者 さーね : 2006年11月10日 01:26

興味深いデータの集約ありがとうございます。
縄文時代から現代にかけて、じわじわと海へ海へ向かって定住生活が進んで行ったような気がします。近代は物流の金銭的効率性の為、海辺の港へ物が集まる様になり、自ずと人も集まる社会の仕組みになりました。今では山間集落が人口減で問題になり、まちづくりなどで話題になっていますが、これから何万年の先を考えると高台へ戻り、稲作農耕民族に戻る事になりそうです。考え方としては、昔に戻るのではなく、新しいライフスタイルを求めて。

投稿者 けん : 2012年11月10日 13:40

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