日本古代;征服部族が作り上げた支配構造2 |
メイン
2009年10月16日
縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?-3
wikipediaより
pinguさんに引き続き、「縄文から流れる日本人の本源性の中身とは?」パート3です。
アメリカの経済破局→ドル暴落→失業率増加→秩序崩壊、そのときアメリカ人は暴動に走ってしまうのか?アメリカのあおりを受けた日本はそのとき…暴動に走ってしまうのでしょうか?
今回は、西洋人と東洋人(日本人)の「観念体系」の違いを押え、今後の動向を予想したいと思います。
人の考え方や、観念というものは幼少期の環境に大きく影響されるといわれています。
幼少期といえば、母親にいろんな絵本を読んでもらったのを覚えています。
浦島太郎にかちかち山、金太郎に桃太郎、花咲か爺…これらの特徴は
男(雄)が主人公。
仲間を作り、弱い者を助ける勇気を奨励する。
自然、動物は人間の味方。
規範をやぶったときの罰は結構残酷。
それでは、西洋の童話はどうでしょうか?
白雪姫にシンデレラ、赤ずきんちゃん…これらの特徴は、
かわいい女性が主人公。
恵まれない身分のかわいい女の子が私権を獲得する下剋上物語。
自然、動物は恐ろしいもの。
悪いことをした人に対する罰は痛々しいほど残酷。
全体的に見て、日本は共同性を奨励し、西洋は他者に対する警戒と、自由な私権獲得という個人主義を奨励していることが分かります。
この違いはどういうところから来ているのでしょうか 🙄
今日も1クリックお願いします。
😀 るいネットに関連する記事があったのでご紹介します
『日本人の可能性 共同性の差がもたらす東洋・西洋の観念体系の違い』
>西洋人/東洋人(その中でも日本人)の民族性の違いは、人間の本性である共同性がどれくらい残っているかによって規定されています。(『人類の本性は共同性にある』128695 128696)
東洋であれ西洋であれ、始原人類はこの共同性を育みながら、共認充足を最大の活力源として何とか生き残ってきた存在です。
約5000年前にイラン高原で勃発した人類最初の略奪戦争は、玉突き的に東西に伝播していきますが、皆殺しが常態となっていった西洋に比して、東洋は支配・服属という形が主流となります。特に、日本列島では、大規模な略奪戦争は発生せず、中国大陸の負け組みが渡来人として定着していきました。
この大規模な略奪戦争の有無によって、西洋人、東洋人、日本人、それぞれの共同性に大きな差が生まれ、民族性の違いを生んでいます。つまり、皆殺しにまで発展した戦争を経験した西洋人は周囲に対する警戒心が高まり共同性が失われ、そのような戦争を経験していない日本人は警戒心がそれほど高まることなく共同性が保持されています。
この「共同性」が影響を与えるのは、何も人間関係だけではありません。共同性の根本にある自分と相手を同一視する機能は、観念機能のあり方にも大きな影響を与えます。(対象物である自然との同一視を通じて作り上げられた日本の観念体系と、自然を警戒すべきもの→征服すべきものとして捉えて作り上げられた西洋の観念体系)
この観念のあり方の違いが、その後の文化・芸術の発展過程をも分けていきます。日本では、できるだけ主観や自身の感情を排して対象をありのままに描写する方向で文化・芸術が発展していきますが、西洋では自身の感情を(大げさに)描写する方向で発展していきます。(日本の浮世絵⇔西洋の宗教画/日本の俳句⇔西洋の叙情詩)
1970年前後、ヨーロッパ(特にフランス)において、西洋の(主観的な)言葉・観念のあり方が大きく見直される中、最終的に注目されたのは「俳句」でした。俳句では自然への描写を重んじるだけでなく、先人たちが築き上げた「型」に当てはめることによって、言葉の使い方にまで人間の主観的な要素が入り込まないようにしている様式です。(そして、今ではフランスの中学・高校で「俳句」が教えられています)
自然への同一視、共同性が残っていたため、ここまで人間の主観を排除し続ける観念体系を築きあげることができたのでしょう。このような観念機能のあり方(頭の使い方)によって、現実を直視し続け、その本質をつかみ出すことができると考えています。
なるほど~ 😛
幼いころから共同性を大事にするようにしつけられてきた上、このような民族性の違いがあるということは、日本では暴動が起こるまで秩序が崩壊する危険性は低いでしょうね
投稿者 staff : 2009年10月16日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2009/10/941.html/trackback
コメント
投稿者 ken : 2009年12月21日 21:49
>特に縄文語を独自に醸成していったアイヌ語には、縄文人の共認内容を探っていく可能性が大いにあると感じます。
独自に醸成といっても、続縄文時代以降はオホーツク文化の影響も大きく受けています。
しかし、アイヌが最後まで縄文語を守ってこれたとすれば、その最大要因は文字を最後まで持たなかった口承文化だったからかもしれません。
口承文化だとなぜ言語が守られるのか?これもテーマとしてはありそうですね。
投稿者 ken : 2009年12月21日 21:55
アイヌ人は交易をしていたはずですが、交易には文書が必要だと思うのですが、交易も全て言葉のみで行われていたのでしょうか?
投稿者 たかし : 2009年12月22日 21:17
>kenさん
コメントありがとうございます☆
>文法が言語の基本にあるように思い込んでいましたが、語彙の方がずっと根源的なんですね。
その通りだと思います。文法より語彙のほうが根源的=より思想・規範や文化などを受け継いでいますし、もっと広く捉えていけば、文=伝承(アイヌでは口承)が何を伝えてきたのか?という、より深い追求が必要だと考えています。
>口承文化だとなぜ言語が守られるのか?これもテーマとしてはありそうですね。
面白い切り口ですね!
普通は固定的な文字よりも、口承のほうが言語が変化しやすそうですから。これはアイヌ民族のみならず、他の口承文化を持つ民族を調べてその類似点から普遍的な構造を抽出出来れば新たな発見がありそうです。
投稿者 みっちー : 2009年12月24日 17:45
>たかしさん
コメントありがとうございます☆
>アイヌ人は交易をしていたはずですが、交易には文書が必要だと思うのですが、交易も全て言葉のみで行われていたのでしょうか?
アイヌは交易といっても、大々的なものではなくもっと単純な口頭での物々交換が基本だったようです。そこでは文書がなくてもほとんど問題になりません。最も使えるものがいても、集団内で文字を使う必要性があまりなかったというのが大きいと思います。
投稿者 みっちー : 2009年12月24日 17:48
みっちーさん
これは力作です!
私が一番の気づきだったのが以下の部分です。
>そこで現地人の言葉【縄文語(弥生語)】の音を中国の文字(漢字)に当てはめて(万葉仮名)、さらに【アルタイ語】の文法で意味を持たせることで新たな言語を創っていきました。つまり文法はアルタイ語、基層言語は【縄文語(弥生語)】(≒【南島語】)の混合語である【原日本語】が形成されました。そしてこれが現代の日本語へと繋がっていきます。
文法が言語の基本にあるように思い込んでいましたが、語彙の方がずっと根源的なんですね。よくアイヌ語と日本語は文法が異なるから言語として交わらないという見解は聞きますが、それに対しては真っ向から否定ですね。