ゲルマン民族とヨーロッパ文化の基層 |
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2011年03月04日
プロローグ「南から見た縄文」
こんばんわ。tanoです、久しぶりの登場です。
2ヶ月前に予告していました「南から見た縄文」~予告編シリーズがいよいよ始まります。
これまでこのブログでは縄文時代を探求しながら日本人の起源をあらゆる角度で追求してきました。先日終了したシリーズ「日本人の起源」ではこの間ストックしてきた関連記事を列挙して、使いやすい情報としてまとめていただきました。
追求には終わりはないですが、かなり出尽くした感も出ています。しかし、この間の探求で大きな宿題が残っている事に最近気が付きました。それがこのタイトルであり視点です。
これまで日本人の起源というとどうしても日本の歴史、縄文時代の歴史を調べていく事に焦点が当たっていました。周辺地域からの影響を受けて結果的にどのように日本で開花したか、変化したかがその検証ポイントでもありました。つまり日本という視点に立って周囲を見るという見方です。今回挑戦しようと思うのは外から日本を見るという視点です。それで南から見た縄文となったわけです。
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ではなぜ南からなのか?
これは縄文に限らず、世界の民族の過半数以上は出アフリカ後に東に向かい定着したモンゴロイドの系譜を引いています。北方適応したイヌイットやアメリカ大陸に渡った民族も元は南方出自のモンゴロイドです。その中で7万年前からの氷河期に巨大大陸となったスンダランドに定着した南方モンゴロイドは我々の祖先でもあり、スンダランドが最後に海底に沈み始めた1万4000年前から現在の地形になる6000年前の間、あらゆる地域に拡散し、北、南、西、東、海域、山岳、砂漠地帯、それぞれの地域で新たな種・型として適応し現在に至っています。
スンダランドの地形
スンダランドからの拡散
このスンダランドを起点にして拡がった民をスンダランド人と仮に呼ぶとして彼らの特徴を見ていきます。スンダランドは7万年前に大陸となった以降も寒冷期と温暖期の間で海になったり、陸になったりを繰り返します。海に沈み始めると大陸は無数の列島に変化していきます。スンダランド人はこの海、陸の繰り返しの中で海洋技術を他の地域よりはるかに早くから高度化させていたのです。
当然1万4千年前からの沈下では既に獲得した海洋技術を駆使して遠方へ航海する事が可能になり、慣れ親しんだ故郷を捨てて新天地を目指したわけです。スンダランドの最大の特徴は海洋民であり、漁労技術、航海技術、集団間の交流様式まで含めて全て海と繋げて見ることができるのではないかと思っています。
さて、日本でも縄文時代には三内丸山での贈与交易が日本海を中心に南は九州、沖縄まで、北は北海道北端まで、さらには中国とは良渚文明とつながっていたように、海を中心とした一大ネットワークを持っていました。これは他の地域も同様で黒曜石が神津島から本州各地へ広く拡がったり、貝の道と言われる沖縄から九州までの海の贈与の道が存在していたことは有名です。このように調べれば多くの縄文時代の海の道は提示できると思います。
また、その後の日本に漂着した江南人や大量渡来してきた倭人も同様に海洋技術を駆使して日本にたどり着いてきました。そしてそれらの民族も元を辿ればスンダランド発の南方モンゴロイドであるわけです。日本列島ではつい最近の江戸時代までこの海の道は陸の道より重要視され多くの物資の移動手段でした。
決め付けるのは危険かもしれませんが、縄文時代から現代まで日本人の大きな特徴の一つに海洋民的特長を挙げることが出来、その源流はスンダランドにあるのではないかと推測しています。
長くなりましたが、これがこのテーマを設定した理由であり、南とはすなわち、1万4千年前に沈み始めたスンダランドを指しています。スンダランドそのものを扱った文献は少なく、追求も時間がかかると覚悟していますが、まずそのとっかかりとして南方海洋民としての特徴を最も現在まで残していると言われているポリネシア、ミクロネシア、メラネシアの歴史を辿ってみたいと思います。
また、シリーズの途中には南方モンゴロイドの移動の最北端であるフィンランドやポリネシアの発生基地である台湾にも視座を広めていきたいと思います。さらに日本列島の南端沖縄を明らかにし、沖縄が縄文時代にどのように日本列島と密接に繋がっていたのかについて一定の見解を出していきたいと思います。
日本人はどれほど南からの影響を受けているのか、その人的系譜、文化的系譜はどのような経路を辿ってきているのか、ここからの追求でこの縄文ブログに現在穴が開いている南方からの視点を少しでも加えていければと思っています。
以下はこのシリーズの進め方です。まず先を見通す目的で仮タイトルを付けて進めていきたいと思います。議論の方向性によって小テーマとタイトルは変更する可能性がありますが予めご了承下さい。
1)マレーポリネシア語族の拡散
2)ポリネシア人はなぜ遠方まで行ったのか?
3)ポリネシアの婚姻と言語を明らかにする
4)沖縄と縄文社会は連続しているか?
5)南九州に始まる縄文文化はどの後、どこに向かった?
6)江南地方に縄文の源流を探る
7)北九州は弥生からではない
8)フィンランドに行ったモンゴロイド
9)縄文時代、朝鮮半島と九州は同一文化だった?
10)アイヌと沖縄はなぜ近いのか?
11)縄文時代―北と南の文化の接合
12)まとめ「南から見た縄文」で見えた事とは
投稿者 tano : 2011年03月04日 TweetList
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コメント
投稿者 Hiroshi : 2011年7月3日 23:30
>日本も朝鮮半島も巨大帝国中国の存在の元、朝貢関係を結ぶ事で中国からの直接支配を回避し独立国として存在してきた。朝鮮、日本の支配者は歴史貫通的に属国意識に染・・・・・
この様なふつうの考え方が、なぜか日本のテレビ、新聞に出ませんね。それを不満に感じていました。
なんでも昔の日本人が立派であると決めつけないところが、正直で好きですね。
今の世の頬冠りしないと生きて行けませんが
投稿者 匿名希望 : 2011年7月4日 19:16
こんばんわ。コメントをありがとうございます。
>自然環境だけでなく、大陸ではすでに北方部族の南下・略奪闘争が始まっていたので、その外圧状況への判断もあったのではないかという感じもします。~hiroshiさん~
私は自然環境と戦乱は一連のものだと思っています。
自然環境が厳しくなると食料がなくなる⇒侵略する⇒戦争
同様に自然環境が厳しくなった日本では上記のようになっていません。そこが縄文晩期の追求のポイントかと思います。
>この様なふつうの考え方が、なぜか日本のテレビ、新聞に出ませんね。それを不満に感じていました。
なんでも昔の日本人が立派であると決めつけないところが、正直で好きですね。~匿名さん
エッ、普通の考え方とは知りませんでした。昔の日本人は(現代人に比べて)立派だと思いますが、今はそこを強調するよりも、昔から変わらない日本人の欠陥を見ていくことも必要な時だと思います。今までは日本人のプラスの面で何とか突破していけるかと思ってきましたが、この原発事故への対応を見るにつけ、いよいよ欠陥にメスを入れる必要性を考えています。
投稿者 tano : 2011年7月4日 19:27
この時代は、非常に興味ありますね。
>非常に厳しい自然環境に見舞われたこの1500年間の外圧は東アジア全域に変わらず加わった圧力であると見ることができます。
自然環境だけでなく、大陸ではすでに北方部族の南下・略奪闘争が始まっていたので、その外圧状況への判断もあったのではないかという感じもします。
追求楽しみです。