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2013年10月29日

「神社ネットワークの解明」4.~神社成立前夜の、共同体におけるシャーマン(=巫女)の役割~

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写真はこちらからお借りしました。
皆さんこんばんは。今年も残すところあと二ヶ月。秋の夜長をいかがお過ごしでしょうか。
さて今回は、神社成立前夜、すなわち原始時代から縄文・弥生時代における、集団内での祈祷や占いの位置づけと、その担い手である巫女の役割について考えてみたいと思います。
神社で見かける巫女さん、現代ではおみくじを売ったり神社の由来を説明したりするのがお仕事と思っている人もいるようですが、
実は神社が今の様な形になる以前から、祭祀を司る「巫女」は重要な役割を担ってきました。
いまでこそ神社に遣えていますが、実は「巫女」の歴史は神社の歴史よりも遥かに古く、原始人類集団に起源を発する長く深い歴史を持っているのです。
祭祀を執り行う事が集団の意思決定においてきわめて重要だった原始人類集団。
その様な集団において、「巫女」とはどんな存在だったのでしょうか。この大前提を押さえるためにも、まず最初に以下の記事を紹介したいと思います。

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以下、るいネットからの抜粋引用です。

10/30なんでや劇場1 原始人類集団のリーダーは、精霊信仰⇒祭祀を司る女であった
「部族長は、もともと祭祀を司る長でもあった」ということだが、祭祀(を司る長)とはいつ登場したのか?
祭祀を司る長とはシャーマンのことであり、古くは原始人類の精霊信仰にまで遡る。古代では王と祭祀長は分化しているが、原始人類ではどうだったのか? そもそも原始人類のリーダーの役割は何だったのか? そこから考える必要がある
足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちと同様、足で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った。そして、人類は1~2万年前まで、まともに地上を歩くことが出来ず洞窟に隠れ棲むしかない様な、凄まじい外圧に晒されていた。
まず、この原始人類の生存状況に同化してみよう。
洞窟の中で餓えに苛まれなが暮らしている。主要な食糧は肉食動物が食べ残した動物の骨であったが、それを拾い集めるのは短時間で済み、何より洞窟の外は危険が一杯なので、長時間も居られなかった。
つまり、大半の時間を洞窟の中で過ごしていたわけで、原始人類はその間、何をしていたのか?

まず考えられることは、エネルギー源としての充足の追求であり、それによって人類は充足機能を発達させてきた。
カタワのサルである人類は地上で適応するために直立歩行の訓練を始め、それが踊りとなり、この右・左と足を踏み鳴らす踊り=祭りが日々の充足源(活力源)となった。
この踊り=祭りの中でトランス状態に入り、そこで観た幻覚の極致が精霊である。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。

脳回路の最先端に精霊信仰の回路が形成されて以降、人類は、生存課題の全てを本能⇒共認⇒観念(精霊信仰)へと先端収束させる事によって、観念機能(→言語機能を含む)を発達させ、その事実認識の蓄積によって生存様式(生産様式)を進化させていった。
精霊信仰に先端収束することによって統合された人類集団では、精霊への祈りが最も重要な課題であり、元々は二足歩行訓練という目的であった踊りや祭りも、精霊への祈りが主要な意味に変わっていったであろう。
また、それに応えるために最も霊感能力の高い者(一般的には女)が集団のリーダーになったはずである。

このように原始人類集団では、祭祀の長(シャーマン)=部族長である。部族長がいなかった部族があったとしても、シャーマンのいない部族はなかったであろう。
もちろん、祭祀とは別に、食糧(動物の死骸の骨)を拾いに出る決死隊も必要であり、そのリーダーは男が担っていたが、霊感能力の高いのは一般に女であり、原始人類の集団のリーダーは女が担っていた可能性が高い。(集団のリーダーは力の強い男という固定観念を塗り変える必要がある。)
そして、集団のリーダーになったのは経験智の高い婆さんである。
この婆さんが娘たちの婚姻相手を決めるわけだが、その相手は集団で最も優れた男=首雄になるのは必然である。このように、原始人類の首雄集中婚は男が主導したものではなく、女たちが望んだものなのである。人類に限らず殆どの哺乳類が首雄集中制をとっているが、生殖過程(雌雄関係)の主導権を握っているのは雌(女)たちであって、首雄集中婚だからといって雄(男)が主導権を握っていたと見るのは大きな誤りである。

以上、引用終わり
集団のボス!というと、いかつい男ボス!を想像してしまいますが、呪術が集団の方向性を示した原始共同体社会では、より霊感能力が高い女性が集団の運命を握っていたのです。
自然外圧に対し為すすべの無い原始人類にとって、神の啓示を聞くことが出来る巫女は、集団の運命を背負った、無くてはならない存在だったのです。
以下、引用を続けます。

観念機能(事実認識=洞窟・貯蔵・火・調理具・戦闘具・舟・栽培・飼育)の進化によって生存力を強化した人類は、2万~1万年前、弓矢によって外敵と互角以上に闘えるようになった頃から洞窟を出て地上に進出する。そして地上に進出した人類は、忽ち外敵を駆逐して、繁殖していった。その結果、繁殖による集団の拡大→分化を繰り返した人類に、ようやく同類闘争の潜在的な緊張圧力が働き始める。
それでも5000年前の中国では農耕の母権社会であった。このことも、それ以前の人類集団のリーダーが女であったことを伺わせるものである。
中国の母権社会は採集→農耕部族の例であるが、狩猟部族でも北米インディアンは母系だし、父権制に転換したゲルマン人でも、戦いの際には女たちが男たちの尻を叩くなど、母権制の風習を残している。ということは、闘争圧力が高い狩猟部族でさえ、元々は母権社会であったと考えられる。

ところが同類闘争圧力→戦争圧力が高まると、戦闘集団の長(男)が部族長になり、戦争の果てに古代初期に王国が誕生すると、武装勢力を率いてきた部族長が王となる。
このように、元々の人類集団では祭祀長が部族長だったのが、闘争圧力が上昇したことにより、戦闘隊長が部族長に昇格し、その下or横並びに祭祀長(シャーマン)が控えるという形に逆転した。(なお、東洋では神官集団はほとんど例外なく女集団である。)

このような長(リーダー)の役割の交代の背後にあるのは、大衆の期待の変化である。
原始時代~採集生産時代は自然圧力に適応することが集団の成員の期待であって、それに応えるために長には祭祀能力が求められた。
同類闘争圧力が高まり戦争が始まると、防衛や闘争勝利が大衆の期待となり、それに応えて武装勢力の長がリーダーに変わったのである。


以上、引用終わり。
人類は長い原始時代を経て、弓矢を発明し、生産力と武力を発展させ、ついに同類闘争の幕が切って落とされたのは上記のとおりです。以降は、武力支配による男原理の私権社会へと入って行き、相対的にシャーマン=巫女の地位は下がってゆきます。
しかし、島国であり、温暖で物なり豊かな日本列島は、こうした略奪闘争から隔絶され旧来の本源性を維持し続けます。
もちろん日本においても集団同士の接触は発生しますが、上述の立地や風土に培われた日本人の本源性は、相手の否定と闘争ではなく同化と融和を志向します。
ここが欧州や大陸の集団と大きく異なる点です。
他集団との接触。ここで巫女の役割もまた、自集団の祭祀を司る存在から、他集団との交流と融和、そして統合を担う存在へと変わってゆきます。
ここで注目されるのが「性」を媒介とした集団統合という観点です。
以下
未来狂冗談氏のブログ「皇統と鵺の影人」からの引用です。

巫女(みこ/シャーマン)
日本の独自文化と言えば、この国では古来から女神が多いのだが、実を言うとその資格について現代では考えられない条件があった。

それは性交の儀式を執り行う事である。
(中略)
弥生時代から古墳時代までの間、日本列島は縄文原住民族と渡来した多くの他民族・他部族が混在する人種の坩堝(るつぼ)だった。その日本列島に在って、部族間の争い事に対処するもっとも有効な呪術は、次代が混血する為の性交に拠る人種的和合の「誓約儀式(うけいぎしき)」だった。
つまり異部族間の性交が人種的和合の為の呪術だったからこそ、巫女に拠る神前性交儀式や神前娼婦などの文化が残った。
これは理屈に合っていて、後の江戸末期に「公武合体」のスローガンの下に皇女・和宮を十六歳で徳川十四代将軍・家茂に嫁がせている。
つまり「誓約(うけい)」の概念の基本が、何百年経ても血の混血で在った事が、証明されている。
大和合の国(日本列島)黎明期の女神は、神の言葉を天上から受け取り、御託宣(ごたくせん)として下界の民に伝えるのが役目、つまり巫女(シャーマン)だった。
そこに介在したのが、神事として奉納する性交の儀式である
何処までが本気で何処までが方便かはその時代の人々に聞いて見なければ判らないが、五穀豊穣や子孫繁栄の願いを込める名目の呪詛(じゅそ)として、巫女の神前性交行事が神殿で執り行われていたのだ
(後略)

以上引用終わり
ここで、「性」を媒介とした【誓約(うけい)】という概念が提起されています。
この「性」を中心に据えた力に頼らない集団統合、もうすこし詳しく見てゆきましょう。
以下、同じく未来狂冗談氏のブログからの引用です

【誓約(うけい)】
この国には、二千年の永きに渡り特殊な性文化が存在した。

元を正すと、縄文末期に日本列島に数多くの征服部族が渡来して縄文人(原住民・/エミシ族)を征服し、それぞれが土地を占有して小国家を打ち立てた。
その征服部族の出身が、中国大陸から朝鮮半島に到る極めて広域だった事から、被征服者の縄文人(原住民・/エミシ族)を含めそれぞれが対立したこの環境を、武力を背景にした強姦や性奴隷化ではなく、双方の「合意に拠り創り出す知恵」が、誓約(うけい)だったのである。

太古の昔、人間は小さな群れ単位で生活し、群れ社会を構成した。
その群れ社会同士が、争わずに共存するには性交に拠る一体化が理屈抜きに有効であり、合流の都度に乱交が行われて群れは大きくなって村落国家が形成されたその事情が、仲間として和合する為の誓約(うけい)の性交を産みだしたのである。
弥生期初期の頃は、大きく分けても本来の先住民・蝦夷族(えみしぞく/縄文人)、加羅族(からぞく/農耕山岳民族)系渡来人、呉族(ごぞく/海洋民族)系渡来人の三つ巴、その三っも夫々(それぞれ)に部族集団を多数形成していた。
つまり最大の政治(まつりごと)は、それらの勢力の争いを回避する手段の発想から始まり、その和解の為の最も実効があるツール(道具)が誓約(うけい)の性交に拠る血の融合だった。
そしてその誓約(うけい)の性交は、新しい併合部族の誕生を呪詛(祈る)する神事と位置付けられて、主要な「祀(祭・奉)り」となった。

(中略)
異民族同士が、簡単且つ有効に信頼関係を構築して一体化する手段は一つしかない。
それは、性交に拠り肉体的に許し合う事に拠って究極の信頼感を醸成し定着させる事である。
その結果は明らかで、次代には混血した子孫が誕生する。
「誓約(うけい)」とは、一義的には性交を伴う現実的和解であり、結果的に両部族(両民族)の子孫が融合して新たな部族(民族)を創造する事である。
つまり、食料確保の為に縄張り争いによる殺し合いが当然の時代に、究極の握手に相当するのが誓約(うけい)の概念である乱交とその後の結果としての混血による群れの一体化である。
この「群れそのものを家族」とする唯一の手段としての知恵に、異論は無い筈である。
現在の国家意識、民族意識、つまり所属意識の原点は、「同じ血を共有する」と言うこの誓約(うけい)の概念である。


以上引用終わり
国家内に様々な部族・民族が存在する状況は世界的に見て珍しい事では有りません。
しかしこうした異部族、異民族との統合に際し、力の原理ではなく、和合と同化、共同性をもって統合を成し遂げてきた日本のこの考え方はきわめて独特、かつ人類としての普遍性を持っています。
その為に、「性」という要素を介在させ、「巫女」という女性主導の下にその絆を深めて異言ったという点は非常に興味深いところです。
この発想は、現代的な思考ではちょっと理解しがたいかも知れません。
すなわち、「神=神聖」「性=淫猥、秘事」と捉えてしまうと、「神社」と「性」は相反するものであると思ってしまいます。
しかし、このような価値観念は、明治以降、強固な私権観念とキリスト教的世界観に支えられ得た西洋観念(近代観念)が流入してきてからのものです。
それ以前の日本では、特に農村社会を中心に、性はもっとおおらかなものでした。
これは決して日本人が無節操だったと言う事ではありません
むしろ「性」というものが、集団を越えた充足感、一体感を隔てなく共有できる素晴らしいものである、その事を十分に理解していたからに他なりません。
本源性が色濃く残る民族だったからこそ、他の集団とも「わかりあえる」「充たし合える」いった肯定的な想いがあり、それが「性」を紐帯とする集団間の融和と統合に繋がったと考えられます。

そして、それを主導するのが「巫女」だったのです。
性的な交わりを女性主導の「神事」とする事で、むしろ集団の皆にその事実を知らしめ、結びつきをより強くしようとしたと考えられます。

「性」の持つ充足性を素直に受け入れていた原始共同体の人々。
そうした集団の人々のシャーマン=巫女への期待が、我が国特有の巫女の役割を創出して行ったのではないでしょうか。

さて、次回は、こうした地域毎の祭司祭礼が、「神社」という全国ネットワークの中に組み込まれてゆく過程と、その中で本質は変わったのか、はたまた普遍性を保ち続けたのか、見てゆきたいと思います。
ご期待ください!

投稿者 yama33 : 2013年10月29日 List  

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