| メイン |

2009年10月17日

中国史にみる官僚の誕生~武力統合の必要から官僚の肥大化へ

前回は、中国が中央集権体制へ転換していった「周代から春秋戦国時代」への転換の背景を分析したが、もう少し長いスパンで中国が何故、中央集権体制へと転換していったのかをまとめておこう。
大きくみると中国には2つの圧力が働き、この圧力に適応するために中央集権体制は構築されていったといえそうである。
ひとつは北方・西方からの遊牧民の侵入圧力=外からの敵であり、もうひとつはそれに対抗すべく形成されていった諸侯(地方軍閥)=内なる敵である。
2.jpg
写真は秦の時代に築かれた内蒙古の長城:秦の始皇帝は国と国のあいだにあった長城(長い城壁)を統一の邪魔物として撤去。ただし、北から秦を脅かす匈奴の襲来に備えるために燕、趙、秦の三国の北側を東から西に走る城壁は拡張した。http://www.peopleschina.com/maindoc/html/kaogu/50/200205.htm 

 にほんブログ村 歴史ブログへ


夏王朝を除けば、殷、周、秦の租は全て北方もしくは西方の騎馬民族であり、あの巨大土木工作物である万里の長城の存在が証明している通り、中国は常に、遊牧騎馬民族の脅威という外圧を背景につくられていった。
他方、この遊牧騎馬民族の中には、積極的に農耕転換していったものもいた。彼ら農耕転換した騎馬民族によって土着の氏族集団を母系社会から父系社会へと転換し、続いて集団単位を氏族共同体から小家族へと解体していった。そして、流動化した小農家を束ねる諸侯と呼ばれる地方豪族が台頭し、隙あらば、領土侵犯の可能性をお互いに警戒しあわなくてはならない緊張関係にさらされることとなる。
%E3%81%93%E3%81%86.bmp
写真は北魏の六代目皇帝孝文帝。北魏の出自は匈奴だが、漢民族との融合を図り、積極的に漢文化を取り入れ、また人材も漢民族から登用する同化路線をとった。自ら、漢風の「元」に改姓し、漢語以外の使用を禁止し、服装や髪型も漢風にした。北方民族と漢民族との結婚も奨励し、融合をはかった。だが、この漢化政策は、もともとの北方異民族の人々の間では評判が悪く、孝文帝への不満が高まっていたのも事実である。
http://abc0120.net/words01/abc2008081002.html 
こうして、上から下まで私権追求の主体となった漢民族は、内(諸侯たち)からも外(騎馬民族)からも恒常的に戦争圧力を受け、これらの同類闘争圧力を止揚するために、常設軍を必要とするようになる。
この常設軍は農耕地が拡大できる時は、屯田兵として自前で食い扶持を稼ぐことが出来るが、農地の拡大がとまったり、戦乱続きで自給自足が困難になると、その膨大な兵糧を手当てするために、農民から上前をはねる必要に迫られ、徴税官僚たる文民を必要とするようになる。
こうして、最初は農耕祭祀の長に過ぎなかった皇帝は、軍隊の長となり、徴税官僚の長となる。そして中央組織は世襲を通じて特権階級化し、肥大し、肥大した組織を束ねる必要からさらなる官吏を必要とするようになる。こうして中央集権国家中国は官僚制度の先進国へと進化していったのである。
尚、官僚をどのようにして選ぶかは、この地方豪族と皇帝の力関係の中で、様々な試行錯誤がなされた。皇帝たちは「郷挙里選」や「九品官人法」といった制度改革によって、皇帝に忠誠を誓う官僚をいかに採用するかに苦心した。そうした権力に従順な官僚を生み出す仕組みとして科挙が登場することになる。
次回「科挙の歴史」をお楽しみに。
●補足
ちなみに、漢民族が中央集権化したのに対して騎馬民族が部族連合に止まったのはなぜか、という点もおさえておこう。
農耕を基盤とする漢民族は、隣接する地方豪族を力の原理で制圧する必要から、上位の帝王などによる庇護を必要とするため、力の序列体制を構築しやすいのに対して、騎馬民族同士は土地に縛られないから、流動的で、強い敵が襲ってきたら、その場を放棄して、弱いものを襲っていけばいい。つまり土地に縛られない流動性故に強固な序列体制の構築を必要としない。
また漢民族はいつ侵入してくるかもわからない騎馬民族に備えるには、強大な常設軍を必要とするのに対して、騎馬民族は別に守るものはない。漢民族が遊牧地に攻め入ってくることはない。気が向くときあるいは気候変動が起こった時に、農地へ押し入るだけのことで、守るための軍体はいらない。
遊牧騎馬民族のこの「恒常的な防衛の必要性のなさ」が、遊牧騎馬民族が部族連合に止まり、強固な中央集権体制へと移行しなかった理由である。
文責:怒るでしかし~

投稿者 staff : 2009年10月17日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2009/10/945.html/trackback

コメント

私の職場では、何でも社内ネットに開示しようとしています。
しかし、大抵は「何でも、と言っても、まとまっていないことまでは投稿できない」、「方針が出たら報告する」と考えがちです。
しかし、直感的に「いい」と感じた時とか、「なんかおかしい、すっきりしない」と思った時に、何もその理由を明確な言葉にしなくともいいから、そう思ったときに感じたままを投稿することのほうが重要だということに、最近気がつきました。
しかもそういう投稿のほうが多くの人の共感を得、逆にあれこれ原因や経過やら説明を付け加えてまとめたつもりの投稿のほうが、わかりにくく共感を得られないことが多いですね。
やはり「直感投稿」が大事なんだと思いました。

投稿者 鯉太郎 : 2009年12月28日 11:34

読ませていただきました。
応援ポチポチ!

投稿者 アシュトン : 2009年12月29日 09:22

>直感的に「いい」と感じた時とか、「なんかおかしい、すっきりしない」と思った時に・・・・・そう思ったときに感じたままを投稿することのほうが重要だということに、最近気がつきました。
「鯉太郎さん」
本当にそうですね。潜在思念の持っている統合力を発揮していきましょう!

投稿者 nandeya tamura : 2010年1月3日 14:47

>アシュトンさん
読んでいただいてありがとうございます。
「素人の創造」シリーズは今年も続きます。
ご期待を!

投稿者 nandeya tamura : 2010年1月3日 14:51

著名人等から「これは、いい」と紹介された物をみても「本当にいいのかな~しかし著名人が言うのだからいいのだろう」と思うケースが多い。
しかし普通の人が直感的に「いい」と思ったことは、多くの人も同様に「いい」と思う場合が多いですね。
どうしてかなと思っていましたが、解りました。
著名人は、普通の人(素人)でなくなっていたのですね。
だから、普通の人と共感ができなくなっているのでしょう。

投稿者 中高年 : 2010年1月7日 21:18

>著名人は、普通の人(素人)でなくなっていたのですね。
プロが操れない領域での評価の方が確かですね。
例えば「クチコミ」や、素人の「実感」(逆に通販のCMに使われたりしてますが・・・)
素人こそが全てを生み出す!

投稿者 nandeya tamura : 2010年1月7日 22:14

コメントしてください

*