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縄文人の集団規模と共認の関係

ちょっと前に、「縄文集団が小規模なのはなんで?」 🙄 というみつこさんからの投稿がありましたが、ワタクシ、ぴんぐ~も調べて見ました。
縄文時代の集団規模が単位集団(核家族数単位分)であった理由
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鷲田豊明氏の「日本社会システムの起源」 [3]によると、

>人々の生業に用いるべき時間が長ければ長いほど、集団性を維持するために必要な語りの時間を確保できない。したがって、共同性を維持できるような規模はこの語りに用いることができるような集団の能力に依存するのである。
>そして、集団の規模が増大にするにしたがって、全体的な共同性を維持することの困難もまた増大する。そして、原始社会の状況のなかでは、共同性を持続できる規模の上限がちょうど単位集団の規模だったと考えられる。
>「縄文時代の集落が小規模のままであり続けたという事実から読み取るべきことは、社会的な格差や個人の権威の突出を拒否し、平等性原理にもとづいた社会関係を維持しようとする確固たる姿勢である。彼らにとっての集落の理想像は、より大きな集落を作ることではなく、少人数でしか維持できない人間関係が維持されることにあったのだろう。」

共認※によって統合される縄文社会で集団を維持していくには、単位集団の規模以上は無理だったってことがわかります。どうやらひとつの集団が30人以上になることはなかったようで、そこが共認域の限界 だったんだろうな。
共認が命綱の縄文人は、共認が集団の規模をも規定していたんだ!!ってことがわかりました
※共認とは
共認とは、読んで字のごとく共に認め合うこと
人類社会は人々が課題や役割や方針、評価などを共認することによって統合されています。

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