| メイン |

2006年12月12日

卑弥呼は大倭の女王?

邪馬台国については、九州説と畿内説の論争が続いているようですね。
今回は、畿内説の立場からの記事を紹介したいと思います。
女王の統属する範囲
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/gisi/10c.htm
要旨:女王の統属する範囲は、西は、対馬、壱岐を含む九州北部。東は京都府と滋賀県の境まで。
この範囲を魏志倭人伝は『倭国』と称す。
touzoku.gif
 
続きを読む前にポチッとお願いします 😀
Blog Ranking
にほんブログ村 歴史ブログへ

 にほんブログ村 歴史ブログへ


『魏志倭人伝』の記述と、三世紀前半の古墳の分布範囲を重ね合わせると、上のような、女王の統属する地域が想定できる。
私は、出雲と関東地方の一部も女王の影響下にあつたと考えている。
それでは、この範囲は何とよばれたかである。
『魏志倭人伝』では、これを『倭国』と称す。
しかしこれは、あくまで大陸の人たちの呼び方であつて、この国の人たちがこの地域を『倭国』と称したかは不明である。
いずれにしても三世紀の半ばには、西は対馬、壱岐を含む九州北部。東は京都府と滋賀県の境あたりまでを範囲とする、女王の政治的影響の及ぶ『倭国』という範囲が形成されているのである。
女王は伊都国王や、邪馬台国周辺の国を「統属」している。「統属」という文字の意味には、支配、被支配の意味が含まれるであろう。
また『魏志倭人伝』の中で、「大倭」という言葉が使われている。
『後漢書』倭伝の記述の冒頭に「国皆称王。世世伝統。其大倭王居邪馬台国。」と記す。
この記述によれば、邪馬台国に都する大倭王が、諸国の王を統属していたことになる。
邪馬台国の女王卑弥呼は、西日本の諸国を支配下に置く、大倭王なのである。《引用ここまで》
『魏志倭人伝』からのアプローチ。
論理整合性の高い内容だと思います。

投稿者 naoto : 2006年12月12日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2006/12/65.html/trackback

コメント

今日のなんでや劇場にて、宗教の成立過程について勉強してきました!
卑弥呼はシャーマンだったという説もあった…との話があり^^
今日、この記事を読んで、シャーマンだった!?
ちょうど、日本の国家成立時点での大事な史実ですねー
解明しましょー!

投稿者 さーね : 2006年12月17日 18:35

卑弥呼は日巫女と書くそうです。
まさに日本のシャーマンの代表的存在だと思いますが、意外と卑弥呼が何をしたのかは記録がありません。
推測ですが、卑弥呼をシャーマンに仕立て上げる事で当事の戦乱の連合を統合しようとしたのではないでしょうか?それは魏志倭人伝の以下のくだりからも読み取れます。
「自爲王以來 少有見者」
王となってから後は、彼女を見た者は少なく、
シャーマン卑弥呼を人民から隔離する事でよりその神格性を高め、まさに卑弥呼のお告げと称して自らの政治課題を大衆に広め貫徹しようとした側近の存在が気になります。

投稿者 tano : 2006年12月19日 00:21

  少し、誤りがあるのでは・・・!?
目次を見ると第五章の”倭国出現”『後漢書倭伝と、魏志倭人伝を読み比べた事がありますか?』のところで、5章から、いきなり、9章になっております。
 そして、内容のテーマ、又は、題名と、一致しない目次が多くあり、目次としては、何が何だかと言った感じであります。
 細かく書かれてあるのであれば、細かく、目次等でも、訂正を、一刻も早くして頂きますよう、お願いします。

投稿者 田中 和人 : 2010年1月30日 03:03

卑弥呼について教えて

投稿者 ユキカ : 2012年5月3日 16:18

コメントしてください

 
Secured By miniOrange