2006年12月10日
2006年12月10日
武力統合のために「超越神」が必要だった
今回は宗教のお話しです。
古代宗教の起源はどこにあったのだろうと、少し調べてみました 🙄
「森と人の地球史」より引用すると、
>◎あらゆる自然を神と一体に見る「*マナイズム」
◎万物の精霊を神とし、自分たちを護ってくれる先祖の霊を信仰する「*アニミズム」
◎祖霊・万物の精霊が憑依し、現世の対話やお告げを行う「シャーマニズム」
◎種族を象徴する守護神、特定する主神を祭る「トーテミズム」
◎「言霊」によって悪霊を避け幸せを願う、あるいは敵対するものに災いをもたらす「呪術」
>*上田篤『神なき国ニッポン』は、マナイズムを「万物の中で超人間的、あるいは超自然的な力を持つものを畏れる「超人間教」「超自然教」、アニミズムは「精霊教」といってよく、万物にはどんなものにでも肉体の他に精霊がある」とみるものである」と定義している。
精霊信仰~守護神信仰~呪術信仰など、いろいろありますが、
さて、縄文時代はどうだったか?と云うと、
>マツリというハレの日には、男女とも精一杯のおめかしをしてご馳走を並べ、その喜びを祖霊に、森羅万象を形成する自然神に、森の中のありとあらゆる精霊に、種族を守護してくれる守護神に、心からの喜びの祈りや収穫の品を捧げて踊り、ニワトコやヤマブドウなど木の実の酒を飲んでトランス状態となり、神々や精霊と一体になって、笑い泣きまた陶酔の境地の中で歌い舞い明かしただろう。そうしたハレとケという習慣や心情は、かなりの部分いまのわれわれの心の中に継承されてきた。
>恐ろしい地震は「地母神」の怒りであり、火事は「火の神」、噴火は「山の神」、台風は「雨の神」と「風の神」、旱は「天の神」の洪水は「川の神」の、そして津波は「海の神」の怒りであった。縄文の民は過酷な自然現象に自らの罪意識を重ね合わせ、恐れおののいて許しを乞い、あるいは自然の恵みに素直に喜びを表現した。
確かに、地母神信仰などは感覚的に分かりますね。
日本人の心の中には色濃く残っていそうです 🙂
ところが、どの文明を見ても、最初は精霊信仰や守護神信仰だったものが、古代国家へと統合されていく段階には超越神なるものが現れていますが、それは何でだろう?
続きを見る前に、はい、ポチッ!
投稿者 postgre : 2006年12月10日 Tweet