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2014年12月30日

年末特集~立ち上がれ日本人!

縄文ブログ2014年最後の記事です。

今年は年末に突然の解散、衆議院選挙が行われるなど政界は着々と自民党を固めてアメリカの日本支配が進もうとしています。民族派の小沢や抵抗勢力の野党は悉く排除され、来年度はさらにエスカレートすると思われます。このままでいいのだろうか?日本人!

という事で年末企画として昨年に続き、立ち上がれ日本人を特集します。
材料はすべて2014年の「るいネット」投稿10本から集めました。
私と投稿群とのやりとりでまとめていきます。

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★これほどの政治的危機になぜ優れたリーダーが登場しないのか?

日本はどの時代も突出したリーダーを必要としていなかった

日本には突出した強いリーダーシップを有したリーダーが不在であり、欧米に劣っている、と言われることが多いかと思いますが、日本はそもそもそのような突出した力を持つリーダーを必要としてこなかったのだ、という記事を紹介したいと思います。
日本は、合議制や協調による統治、共認原理による統合を何時の時代も根底に置いていたのだと思います。日本の歴史を振り返ると、「独裁者」と呼べそうな支配者は織田信長くらいしか見当たらず、徳川家康を筆頭に、あとはみんな調整型のリーダーばかりです。だとしたら日本人は、大昔から権威や権力を嫌ってきたのかもしれません。
もちろんこれについてはいろいろな解釈があるでしょうが、ひとつだけはっきりしていることがあります。
日本に「強いリーダー」がいないのは、だれも望んでいないからです。これまで1000年以上にわたってそうだったのだから、これからもたぶんずっとそうなのでしょう。

日本はリーダーはいなくてもいつの時代も人々の意識を先導する発信者がいた。たとえば・・・

日本型資本主義の始まり~儒教資本主義とは何か?

渋沢は、同様に価値転換の役割を担った福沢諭吉が強調した独立自尊に理解を示し、重視はしたものの、福沢の影響もあってか、当時、顕著になりつつあった私利偏重や利己主義、及び理性万能主義を否定した。儒教的道義で日本らしい近代化の途を模索した渋沢は、人間らしい深い情愛に基づく共同というものが社会には必要であると考えた。つまり、人間は自己のためにのみ立つべきではなく、人道・共同・協調的精神に立ち、分に応じて国家社会の為につくすべきだということを渋沢はより強く主張したのであった。

 ★日本型の闘い方とは何か?目に見えない心の闘いである。その闘いの極意とは・・。

闘いの心を学ぶ~自分と相手の心を同期させる

日本の伝統的なスポーツ(武道)である相撲では、試合開始の前に、両者の呼吸を合わせるための時間を用意している。「仕切り」と呼ばれる数分間の心の調整です。わざわざそんなことをするスポーツは世界でも日本だけですが、それくらい、日本人は「相手との呼吸・心の一致」を大切にする民族なのです。掴み合い投げ合うという、目に見える行為の前に、まず相手と心を一致させる。目に見えない心の戦い(心の調整)から戦いは始まる。これが日本固有の戦いの思想です。

殴る・蹴る・投げる・関節技といった、格闘技の全ての要素を持つ日本拳法という武道(スポーツ)は、同時にまた、茶道や華道と同じく日本人の(和の)精神を学ぶ場でもあるのです。

★無心こそ闘いの前提、無心とは何か?

過去の技術の伝承・維持、あるいは個人意識の孤立を回避するには

無心とは自然に任ずる意である。無学であった工人たちは、幸にも意識の慾に煩わされることなく、自然の働きを素直に受けた。無心の美が偉大であるのは自然の自由に活きるからである。この自由に在る時、作は自ら創造の美に入る。近代の作に創意を欠くのは、自然への帰依が薄いからと云えないであろうか。

★日本人の気質の底流には縄文的職人気質がある

政治でも軍事でも商才でも劣る日本が重要な国家である理由

日本人は職人的気質が血の中に流れていて、それは決して消すことができないものである途方もなく良い物を作りたいという日本人の欲望は誰にも消すことができない。こんな希有な気質を持った民族は他にない。だから、世の中がどうなっていったとしても、必ず日本は技術力で復活することができる

時代が求める技術や商品は違っているが、どの分野でも日本人は職人を生み出す。たかが子供のマンガですらも、日本人のクオリティは世界を驚かせ、影響を与え、アカデミー名誉賞を受賞するような騒ぎになる。今後、技術が流出しないようにきちんと守り抜くことができれば、もともと職人気質の日本はまた新たな技術革新を生み出して、必然的に国が立ち直っていく。

 ★なぜ私たちは細部にこだわるのか?

日本文化のたった1つの特徴が消滅したら日本文化は終わり

「細部を、極める」
日本が特別なのは細部を極めているからだ。日本が美しいのは細部を極めているからだ。日本が他とまったく違うのは、すべてこのひとことに集約できる。
「安ければ何でもいい」という時代が、細部を極めるという日本人の気質や文化を駆逐してしまうのか。それとも日本は「細部を極める」という文化を守り抜くのか。次世代の日本人がどちらの方向に向かっていくのかは、誰にも分からない。

 ★ロシアもイスラムも近年、特に日本に注目している。それは何か?

なぜ日本は「希望の星」なのか

「ロシアはアジアとヨーロッパを繋ぐ橋です。すなわちロシアには、アジアとヨーロッパの良い部分を融和させる使命があります。日本文化もまた、伝統的な文化に、大陸を通して伝わった文化を融和させて独自な文化として発展させてきました。そこで私は、日本文化こそ、キリスト教が入る以前のロシア的な精神と通じるものであると思います。」

アラブ首長国連邦(UAE)]のムハンマド・エル・ターイブさんは言う、「2030年のイスラム世界を決めるのは若者たちです。日本は古い伝統、習慣を維持しながら、急速な経済発展を実現しています。我々は日本を教訓にしなければなりません」と。こうした視点から日本をモデルにしようとする国々が、イスラム世界でも増えているようだ。

★日本人が持っている潜在的能力って何?

「日本人の独自性について」 ~日本人を危険に晒しているユニークさについて~2

人類の多くはその様な能力を伝える言語を失った?が為に、文明の進展と共にその様な能力を失っていった。使われぬ能力が退化をするのは自然の摂理だ。
しかしながら、我々日本人の言語はその様な能力を脳に与える潜在的力を秘めている。この能力は非常に貴重であり、文明の進んだ今日こそ、改めて見直されるべきであることは言うまでもない。
日本語はおそらく、縄文語が渡来人の言語を取り入れる事で進化をした言語である。そういった変化の中でも、縄文時代からの基本的な部分、つまり、日本型の脳を基礎付ける要素:母音中心の言語であることは変わらなかったそのために我々日本人は、縄文の心性を無意識の内に持ち続けることになったと考えてもいいのではないか

 日本は既に世界で最も豊かな国になっている。

国連の新しい経済統計では、日本は「世界一の豊かさ」

国連新統計(GDPに代わる国連の新しい経済統計)が発表されました。
(1)国民の頭脳力である人的資本
(2)ヒトが生産した資本
(3)国民の信頼関係である社会関係資本
(4)農業や鉱物資源を中心とした天然資本の四つの資本
この四資本のうち、数値化の難しい社会関係資本を除く三資本の資本残高を計算した結果、

日本は国全体ではアメリカに次いで二位、一人あたりでは四十三万五千ドル(二〇〇〇年米ドル換算)となり、二位米国の三十八万六千ドルを一三%も上回って、ダントツの一位となったのだ

 日本人の可能性は?“要求すること”ではなく“与えること”

日本と西洋の違い~「権利と義務」「御恩と奉公」の比較より

『我々の生活を支配するギヴ・アンド・テイクの原則は、期待の原則である。』
この言葉は『人生論ノート』(三木清)のなかにある『利己主義について』の一節である。我々は『ギヴ・アンド・テイク』というと、『権利と責任』、あるいは『権利と義務』を思い浮かべる。
しかし権利、責任、義務という言葉自体は、明治以降に作り出された翻訳語である。
江戸時代の人間はそんな言葉を日常使っていたわけではなかったし、日常生活のなかでそのような意識を持ってもいなかった。日本人はそのことをどういう言葉で表現してきたかというと、それは歴史的には『御恩と奉公』の考え方ではなかったかと思う。

つまり『御恩』と『奉公』に共通することは、その行為の主体にとってはどちらも、『自分が受け取る行為』ではなく、『人に与える行為』であるということである。
つまり『人に与える行為』が優先され、それを起点として社会的な人間関係が構成されている
『権利』も『責任』も『人に要求する』というベクトルを放っていることが分かる。
『御恩と奉公』が『自ら与える』というベクトルを持っていることと強いコントラストを示している。

2015年、人々は西欧型の力の支配の限界に気づき、思考のベクトルを替えることができるだろうか?
リーダーなくしても国がまとまる万能細胞としての日本人が試される時代がやってきている。

投稿者 tanog : 2014年12月30日 List  

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コメント

あけましておめでとうございます。

歴史を学ぶことは、現在、未来への可能性を見出すこと。
いつも記事に力づけられます!

今年もどうぞよろしくお願いします☆

投稿者 みつこ : 2015年1月2日 14:01

「立ち上がれ日本人!」
このタイトルほど、力強いものはありません。
 大激動の世界情勢の中、次世代の活路を見出すのは、日本人であってほしいという願いもありますが、実際、私たちが全世界の人々のために、なんとかしなければという意識をもったとき、縄文の本源性・共同体性を最大に発揮できるのではないだろうか?と思います。
 極東アジアの人々と共同しながら、新しい世の中を作っていく必要があると感じています。
 力の論理だけしか知らない方々からは、出てこない発想で、新しい社会を作っていくこと。それが私たちに課せられた課題ではないかと思います。
 2015年とはそういう年になるのでは?と思います。

投稿者 御肇国 : 2015年1月4日 11:05

人に与える(させて頂く)ことにより、人は多くのことを学び、成長しているのだと考えます。(頂く!!)
そのような仕事を頂くことが、どれほど喜ばしいことか。
この日本人の感性が理解されれば、世の中は変化していくのだと信じ(神事)ています。

投稿者 安達 幹雄 : 2015年1月7日 19:03

すばらしいです。大変勉強させていただきました。

投稿者 遊真あつこ : 2015年2月11日 11:22

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