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2018年08月03日
「骨が語る日本人の歴史」~歴史学に根付く誤診を検証
面白い本を発掘したので紹介します。 「骨が語る日本人の歴史」片山一道 ちくま新書
発掘された古人骨を調べ、当時の人の様子を明らかにする「骨考古学」。その進展によって、日本列島の歴史は大きく書き換えられねばならないことがわかってきた。実は縄文人は南方からやってきたのではない。大陸から渡来した弥生人が縄文人を駆逐したというのも本当ではない。そもそも「弥生人顔」など存在しない―旧来の歴史学に根強く残る誤謬を科学的視点から検証。人々の生身の姿を復原し歴史をひもとく「身体史観」を提唱する。骨考古学の第一人者が、日本人の実像に迫る。
実は「渡来系か縄文系か 」の二分論で議論できるほどに事は単純ではなかったようなのだ。
ひとつは「渡来系弥生人」なる人々の分布。どうも、ある地域に集中しており、そこでも、どの時期にも渡来人ばかり、ということではなかったようなのだ 。ひとつは 「伝来文化と渡来人の共時性」。そもそも、渡来人が多く来て、彼らが新しい文化と生活様式を伝播したから、日本列島全体の人々も生活様式も変わっていったのだとする図式は、どうやら無理筋かもしれない 。
縄文時代は一万年の長きにわたったにもかかわらず、だいたいのところ、縄文人骨の顔立ちや体形は一定しており、あまりに大きな時期差や地域差は認められない。しかるに弥生時代は七〇〇年ほどと短いが、その遺跡で出る人骨は、けっこう多様であり、地域差や時期差が無視できない。
それとまた、もうひとつ見逃せないポイントは、「弥生人」のタイプにも地域偏在性が認められること。北部九州や西部中国で出土するのは、おおむね渡来系「弥生人」骨に区分される。つまり弥生時代人骨は、そもそも渡来系「弥生人」が集中した地域で集中して発掘されているわけだ。かくして、「弥生人」すなわち渡来系「弥生人」の図式が描かれかねない。大きな落とし穴と言えよう。実際、北部九州とともに、弥生時代の重心があったと想定される近畿地方の状況は複雑きわまりない。渡来系「弥生人」とされる人骨も見つかるが、むしろ、それ以上の割合で縄文系「弥生人」の人骨が混在して見つかる 。どうも一筋縄ではいきそうにないのだ 。
そんな海峡地帯を越えて、弥生時代から古墳時代の始めにかけて、100万人以上もの人間が大陸側から渡来してきたのではないか、と試算したのが埴原和郎(東京大学)であるが(1987)。だが、そんな大規模な渡来人がいたという仮説には、易々と乗れない。なぜなら、あとでも触れるだろうが、弥生時代の渡来人の分布が北部九州や中国地方に限定され、せいぜい西日本に及ぶ程度だったからだ。それに弥生時代の日本列島の人口は、たかだか100万人規模でしかなかったと推定されているからだ。いくらなんでも、一桁多いのではないか、と懐疑する。いくら弥生時代になり、大陸側で人々がうごめき、航海技術が発達、渡海のノウハウが向上したといっても、まるでウンカが海を渡るがごとく海峡地帯を人々が渡ってきたとは、とても想定できそうにない。
投稿者 tanog : 2018年08月03日 TweetList
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